重要文化財・旧三井家下鴨別邸

2019-05-14

日本の三大財閥といえば、三菱・三井・住友でした。
これらのグループは、財閥が解体された今もなお、
世の中で非常に強い影響力を持っています。

各グループには日本を代表する大企業が属していて、
その頂点には名だたる経営者がいます。

その中でも、戦前最大の財閥の流れを作った
三井グループには、「二木(にもく)会」という、
系列の中核会社の社長・会長会があります。

現在「二木会」の会員会社は26社で、
商船三井、三井物産 、三井不動産など
三井の名を冠した会社の他に、

東芝、東レ、トヨタ自動車、日本製粉、富士フイルムホールディングス、
三越伊勢丹ホールディングス、王子製紙、IHIなどが加盟しています。
(三井の冠がついていない各社は、グループのイメージが薄いかもしれませんが)

大手百貨店の三越伊勢丹は、三井財閥の先祖といわれる
伊勢商人・三井高利が、伊勢から江戸に出て創業した
越後屋三井呉服店がその前身と言われています。

また、東芝の始まりは、1875(明治8)年、
東京・銀座に造られた電機工場です。

1893(明治26)年、三井財閥から実業家の藤山雷太を
招聘して「芝浦製作所」として再スタートし、今に至っています。

「二木会」は、毎月第2木曜日に集まることから名付けられたと言います。
今では毎月の会合のほかに「新年互礼会」「叙勲・褒章受章者祝賀会」など
数百人規模で行われています。

三井グループにはもうひとつ、「月曜会」という組織もあります。
二木会とともに「新年互礼会」などに参加する団体で、
参加資格はグループ企業の常務以上。
現在は78社が名を連ねています。

その歴史は二木会より1年ほど長く、
三井系企業首脳部の連絡会議として発足されました。

名前は発足日が月曜日だったことに由来し、
現在も主に月曜日に会合を開いています。

そんな豪商・三井グループが誕生した、
京都の旧三井家下鴨別邸はご存知でしょうか?

今日はその旧三井家下鴨別邸へ行ったので
その模様を紹介したいと思います。

ここ「旧三井家下鴨別邸」の敷地面積は
約5700平方メートルあると言われています。

1880年(明治13年)もともとあった三井家木屋町別邸を
1925年(大正14年)下鴨に主屋(しゅおく)を移築し、

1、2階は玄関棟と茶室、座敷、
中庭には瓢箪型の池があり、
3階は望楼となっていて、
東山(大文字)や鴨川の眺望が実に見事です。

この旧三井家下鴨別邸ですが、、
戦後、財閥が解体され、一帯が国有地となってしまいました。

その後、京都家庭裁判所が建ち、所長官舎として
使用されていたのですが、2007年以降、競売にかけられ、
取り壊される危機があったといいます。

しかし、近代和風建築の貴重な建物であると認められ、
2011年、国の重要文化財に指定されました。

そして京都市管理のもと旧三井家邸宅として
修復が行われ現在に至ります。

元々、この旧三井家下鴨別邸は、呉服を扱っていた三井家が、
養蚕の神をまつる京都太秦の「木島(このしま)神社」に設けていた、

先祖を祀る顕名霊社(あきなれいしゃ)の遷座(移転)先となった
下鴨の三井家の土地約2万平方メートルに、顕名霊社を建築し、

その神社で行われる、例祭などの際に休憩所として
使用されていたということから、
当時から三井財閥が
いかにスケールが大きいものかがわかります。

ご存知の人も多いと思いますが、
三井家といえば、

2015年NHK朝の連続小説ドラマ『あさが来た』の
主人公今井あさ(白岡あさ)がモデルとなったドラマです。

主人公(ご本人)である、広岡浅子(ひろおかあさこ)は、
1849年(嘉永2年)山城国京都(現・京都府京都市)
油小路通出水の小石川三井家に四女として生まれます。

17歳で大阪の豪商加島屋の次男広岡信五郎と結婚。
明治維新後、筑豊の潤野炭鉱の買収・開発、
加島銀行の設立、大同生命創業に参画するなど、
明治の女性実業家として活躍しました。

また、日本女子大学校の設立をはじめとする
女子教育、婦人運動、廃娼運動やキリスト教の
普及にも貢献しています。

今や、重要文化財に指定された「旧三井家下鴨別邸」
三井家飛躍の地として風情豊かな建物や庭園を始め
盛況だった商いの名残が今も残っています。

これまで存在すらほとんど知られていなかった
この邸宅が、今では重要文化財となり、

2016年10月に一般公開され、多くの観光客が訪れています。
建物の内部を見学したり、庭を散策したりすることができ、
豪商・三井家の高貴なパワーが感じられます。

京都に行った際は、是非足を運んでみて下さい。