2-3.ナチスドイツと日本の関係:黒龍会と緑龍会

ハウスホーファーは、ヒトラーの顧問を務めていました。
彼はアガルタへの入り口(地球内部の世界)を見つけるためにチベットの探索を行ってます。

彼が日本の駐在武官だった頃、緑龍会に入会し、皇室に隠されている奥義「八咫烏秘記」の一部に触れてたことは先述しましたが、その後ドイツに戻りブリル協会を設立しています。

そう、実はブリル協会を設立したのはハウスホーファーです。

彼が設立したブリル協会では、今のユダヤ人は偽者のイスラエル人だとし、本物のイスラエル人は大和民族だけで十分だという理由でヒムラーにホロコーストを実行させたのです。
ホロコーストを行った張本人は、ヒトラーではなく、ヒムラーだっと言いましたが、ヒムラーにユダヤ人迫害を行わせたのはハウスホーファーだったわけです。

ハウスホーファーは、緑龍会に忠誠を誓っていて、もし任務に失敗すれば自決せねばならず、結局のところドイツは敗れ、ミッションは成功しなかったので、掟どおりに自決を果たしています。
ハウスホーファーが入会していた秘密政治結社の緑龍会ですが、いったいどんな組織なのでしょうか?

彼がドイツに帰国して結成したグリーンドラゴンソサエティ=(緑龍会)は、確かに実在した組織ですが、日本の緑龍会は、その痕跡がないため実在しなかったのではないか?という見方をする歴史学者もいるほどです。(秘密結社なので痕跡を残さないのが当然なのですが)

「緑龍会」に似た名前で「黒龍会」という政治結社があります。(紹介済み)

この黒龍会とは、いったいどんな組織か?

1895年、日清戦争に勝利した日本に対し、フランス、ドイツ、ロシアの三国が日本に勧告を行ってきました。
その勧告内容は、「日本」と「清」の間で結ばれた下関条約に基づき、日本に割譲(分け与えられた領土)された遼東半島を清に返還することを求める内容でした。

(左)遼東半島の位置 (右)下関条約

 

下関条約(日清講和条約)とは、日清戦争で日本が清に戦勝したことにより、1895年4月17日に下関での講和会議を経て調印された条約で、会議が開かれたのが山口県の下関です。
もともとは、「日清講和条約」と呼んでましたが、戦後は「下関条約」という呼称になりました。

緑の部分が当時の清

 

以上のように、フランス、ドイツ、ロシアのヨーロッパの三国が日本に対して行った勧告を「三国干渉」と言います。

これに激怒した右翼団体「玄洋社」が海外戦略を推し進めるために結成したのが「黒龍会」です。

右翼団体「玄洋社」とは、大アジア主義を掲げ1881~1946年まで存在した政治結社で、福岡藩(黒田藩)士が中心となり結成された組織です。

初代代表は平岡浩太郎でした。

平岡浩太郎

この平岡浩太郎の甥にあたる内田良平が中心となり結成された組織が「黒龍会」です。

但し、この玄洋社の黒龍会は五龍会の黒龍会とは異なります。
黒龍会の顧問には、玄洋社の総帥、頭山満が就任。

(左)内田良平 (右)頭山満

 

そして、前に紹介した問題の緑龍会メンバーの写真ですが、前列にいるこの三人の名前は下記の通りです。

 

そう、頭山満は黒龍会の顧問でもあり緑龍会のメンバーでもあったのです。
さらに驚くべきことに、犬養毅や蒋介石も緑龍会のメンバーだったのです。

補足

• 犬養毅(1855年~1932年)は、第29代内閣総理大臣
• 蒋介石(1887~1975 年)は、中華民国の最高指導者
• 頭山満(1855 年~1944 年)は、アジア主義者の巨頭

 

左から犬養毅、蒋介石、頭山満

このように緑龍会には、そうそうたる大物メンバーが名を連ねていたのです。

 

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