2-18.ナチスドイツと日本の関係:騎馬民族

古代日本の風俗を記した書物に「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)があります。

これには3世紀の日本列島には「邪馬台国」と呼ばれる国があり、女王「卑弥呼」が統治していたと記されています。

邪馬台国の支配下には数百にも及ぶ小さな国があり、人々は入れ墨をしていて、その生活は海洋民族のようだったといいます。

稲作は始まっていましたが、不思議なことに馬や牛などの大型哺乳類の家畜はいなかったと記されています。

ところが、4世紀を過ぎると、なぜか馬や牛がいきなり出現し、家畜として大量に飼育されるようになるのです。

それに伴い、家畜に使う道具が急速に発達します。

なかでも特徴的なのは、「馬具」で、鐙(あぶみ)やハミ、馬面冑(ばめんちょう)など、戦闘に使用される馬具が大量に生産されるようになります。

左からハミ、鐙、馬面冑

それまでの文化が、ある時、断ち切られたことが分ります。

邪馬台国に代表される稲作中心の弥生時代から、中央集権化が推し進められる古墳時代が始まったのです。

近年では、古墳時代の始まりを卑弥呼に起因させる説もありますが、残念なことに邪馬台国のことを記した「魏志倭人伝」を最後にしばらく日本は中国と交流をもたなかったようです。

そのため、次に中国の正史に登場するのは、5世紀のことを記した「宋書(そうしょ)」で、このときはすでに大和朝廷が誕生していたと考えられています。

 

補足

「正史」とは、東アジア諸国において、主に国家によって公式に編纂(へんさん)された王朝の歴史書のこと。
「宋書」とは、中国南朝の宋(そう)について書かれた歴史書のこと。

「正史」とは、東アジア諸国において、主に国家によって公式に編纂(へんさん)された王朝の歴史書のこと。
「宋書」とは、中国南朝の宋(そう)について書かれた歴史書のこと。

宋書

 

つまり、国家の新しい文化や時代の大転換があったはずの4世紀のことが全く歴史として残っていないのです。
そのため、古代史では「謎の4世紀」と呼んだりするそうです。

稲作中心の弥生時代

謎とされる4世紀ごろ、大陸の騎馬民族が朝鮮半島を南下し、九州に上陸、圧倒的な機動力で先住民を征服。

現在の近畿地方あたりに侵入し、西日本一帯を制圧し、大和朝廷を開いたという説もあります。

ともともと、朝鮮半島南部には「馬韓(ばかん)」という国があり、北部と東北アジアには「高句麗(こうくり)」をはじめとする騎馬民族が割拠していました。

そうした中、高句麗と同族だった「夫余族(ふよぞく)」が朝鮮半島に侵入し、「辰韓(しんかん:泰韓)」と「弁韓(べんかん:弁辰)」を建国します。

これら夫余系騎馬民族は「辰王」が支配していて、当初、辰王は馬韓の支配を受けていましたが、2~3世紀ごろに状況が一変します。

馬韓の領域にあった夫余族が独立して「百済」を建国したのです。

こうした動きを受けて、辰韓は「新羅」、弁韓は「伽耶」 諸国へと成長し、朝鮮の三国時代が始まったのです。

4世紀ごろ、『三国志』でも知られる中国の動乱が発生、その影響は朝鮮半島にも及んだ高句麗の動きがあわただしくなり、朝鮮半島の南部に攻め込んでくるようになります。

 

こうした状況の中、朝鮮半島の南端に勢力を維持していた辰王が日本海を渡り、九州へと勢力を拡大し、「伽耶(かや)」と北九州の「倭国(わこく)」が連合状態になったのです。

尚、九州を支配下に治めたのが記紀神話に登場する第10代「崇神天皇」です。

神話的要素が強い初代「神武天皇」や、それに続く、9代の天皇の業績は、ほとんど記されていないことから、これらは架空の存在であり、本当の初代は崇神天皇だともいわれています。

それを裏付けるように、崇神天皇の「謚号(しごう:貴人や高徳の人の死後におくる名前)」は「ツクニシラススメラミコト」といい、最初に国を開いたことを示しているそうです。

さらに、崇神天皇の亡き後、九州から騎馬軍団を率いて近畿あたりに攻め込んだのが記紀でいう第15代「応神天皇」です。

堀を含めなければ、応神天皇陵(誉田御廟山古墳)が史上最大の古墳であり、これは統一国家を打ち立てた王権の強大さを示しているといいます。

大阪府羽曳野市にある「誉田御廟山古墳」=応神天皇陵

 

 

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