4-5.ナチスドイツと日本の関係:MJ-12 とケネディ大統領

NSAはUFO隠蔽工作を行ってますが、そのひとつに「MJ-12(マジェスティック・トゥエルブ」があります。

これはUFO問題を一手に扱う米政府の秘密組織で、CIA長官や軍幹部など12人のメンバーで構成される組織で奇妙なことに12人委員会と同じ12人です。(イスラエル12支族やイエスキリストの12人の使徒、八咫烏の12烏とも同じです)

 

MJ-1~MJ-12までの名前を挙げると下記の通りです。

メンバー

1.ロスコー・ヒレンケッター海軍少将 (初代ClA長官、国家安全保障会議顧問)

2.ヴァネバー・ブッシュ博士 (国家軍事研究開発委員会議長)

3.ジェームズ・フォレスタル国防長官

4.ネイサン・トワイニング空軍大将 (空軍司令官)

5.ホイト・ヴァンデンバーグ空軍中将 (空軍参謀長)

6.デトレフ・ブロンク博士 (国家研究会議長)

7.ジェローム・ハンセイカー博士 (国家航空学諮問委員会議長)

8.シドニー・サワーズ海軍少将 (国家安全保障会議事務局長)

9.ゴードン・グレイ議員 (陸軍長官)

10.ドナルドーメンゼル博士 (ハーバード大学天文台長)

11.ロバート・モンターギュ陸軍将官 (陸軍基地司令官)

12.ロイド・バークナー博士 (国家軍事編成研究開発委員会事務局長)

 

このうち3のジェームズ・フォレスタル国防長官が死去した後、後任にCIA長官ウォルター・スミスが選ばれてます。
MJ-12の存在が明らかになったのは1984年12月のことです。

元地方議員だったジェイミー・H・シヤンデラのもとへ送られてきた差出人不明の封筒の中に、35ミリフィルムが入っていていました。
それを現像してみると、そこにはトップシークレットと刻印された米国の機密公文書が写っていて、それは7枚の報告書に1枚の添付資料の計8枚でした。

ここには驚くべきことが記されていて、1947年9月24日、時の米国大統領トルーマンがUFO問題を扱う最高機関としてMJ-12を設置したというのです。
シヤンデラは知人のUFO研究家らを通じて『MJ-12文書』を公開。

画像と内容は下記の通り。

【1ページ目】

内容

概況説明書:MJ-12

ドワイト・D・アイゼンハワー次期大統領宛(マル秘)1952年11月18日付
警告:これは合衆国の安全保障に必要不可欠な区分済み情報をおさめた最高機密である。
本文書内容の閲読は、MJ-12秘密情報使用許可を有する者にのみ限定される。
いかなる形の複写行為も、手書き、機械を問わずメモすることを厳禁する。

 

【2ページ目】

内容

件名:アイゼンハワー次期大統領のためのMJ-12作戦に関する予備備的概況説明。
書類作成:1952年11月18日
説明担当官:ロスコー・H・ヒレンケッター将軍(MJ-1)
注意:この文書は、あくまでも予備的な概況説明のために作成された。
今後予定される全作戦概況説明の予備文書とお考えいただきたい。

******
MJ-12作戦は、米国大統領にのみ直接責任を負う極秘研究開発/情報作戦である。
本プロジェクトの作戦行動は、MJ-12(マジック-12)委員会の統制下で遂行されるものとする。
当委員会は、ヴァネバー・ブッシュ博士とジェイムズ・フォレスタル国防長官の勧告に基づき、1947年9月24日付のトルーマン大統領の特別機密行政命令によって設置された。(添付書類“A”を参照)

マジェスティック-12 委員会の指名メンバーは次のとおり

1.ロスコー・ヒレンケッター海軍少将
2.ヴァネバー・ブッシュ博士
3.ジェームズ・フォレスタル国防長官
4.ネイサン・トワイニング空軍大将
5.ホイト・ヴァンデンバーグ空軍中将
6.デトレフ・ブロンク博士
7.ジェローム・ハンセイカー博士
8.シドニー・サワーズ海軍少将
9.ゴードン・グレイ議員
10.ドナルドーメンゼル博士
11.ロバート・モンターギュ陸軍将官
12.ロイド・バークナー博士

1949年5月22日のフォレスタル国防長官の死去にともない、1950年8月1日まで欠員が生じたが、同日付でウォルター・ B・スミス将軍が後任として常任委員に任命された。

 

【3ページ目】

 

内容

1947年6月24日、民間人パイロットがワシントン州カスケード山脈上空を飛行中、高速度で編隊飛行する9機の円盤型物体を目撃した。
こうした物体の目撃事件はこれが最初ではないが、マスコミが大々的に取り上げたのは、この事件が初めてである。
以後続々と、おびただしい数にのぼる同様物体の目撃事件が報告された。
報告を寄せた者の多くは極めて信頼のおける軍人、民間人だった。

こうした報告の結果、国防上の観点から軍の様々な機関がそれぞれ独自に、この物体の性質と目的を確かめるべく努力した。
多数の目撃者を事情聴取しただけではなく、失敗には終わったものの、 円盤出現の報を受けるたびに、飛行中の円盤を航空機で追跡する試みも何度か行われた。
ときには、一般大衆がパニックに近い反応を示すまでになった。

こうした努力にもかかわらず、これらの物体の実体は杳ようとして不明であったが、やがて、ある牧場主から通報があり、ロズウェル陸軍航空基地(現ウォーカー・フィールド基地)の北西約75マイルの地点にあたるニューメキシコ州内の僻地に1機の円盤が墜落したことが判明した。

1947年7月7日、科学的研究のため、この物体の残骸を確実に回収すべく、秘密作戦が開始された。
この作戦の過程で円盤が爆発する以前に、機内から4体の人間に似た生物が脱出したらしいことが、空中偵察により判明した。

この生物たちは、残骸墜落地点の2マイル東方に落下していた。
4人とも死亡しており、死体が発見されるまでに一週間ほどかかったため、肉食獣に食われ、風雨にさらされた結果、損傷がはなはだしかった。
特別科学チームが研究のため死体移送の任にあたった。(添付書類“C”を参照)
また機体の残骸も分散して各地へ移送された。(添付書類“B”を参照)

同地域の民間人・軍人の目撃者には厳重な緘口令がしかれ、新聞記者に対しては、物体は誤誘導された気象観測気球だったという、もっともらしい虚偽の発表が行われた。

 

【4ページ目】

内容

大統領の直接命令に従って、トワイニング将軍とブッシュ博士によって秘かに分析の努力が続けられた結果、問題の円盤は短距離用偵察機である可能性が最も高いという暫定的合意が出された。(1947年9月19日)
この結論はもっぱら、機体の小ささと糧食らしきものが積み込まれていなかったという事実に基づいている。(添付書類“D”を参照)

搭乗員の4死体に関しても、ブロンク博士の手で、これと同様の分析がとり行われた。

同グループが提出した暫定的結論(1947年11月30日)では、この生物たちは外見上は人間に似ているが、彼らの進化を司る生物学的進化過程は、ホモ・サピエンスにおいて観察・仮定されるそれと、まったく異なるらしいとのことである。
ブロンク博士の研究チームは、協議の結果もっと明確な名称ができるまで、この生物の通称として、“地球外生物学的存在”すなわち“EBEs”という名称を採用することを提案した。

こうした航空機が、地球上のいかなる国にも起源を有するものでないことは事実上確実なので、もっぱら考察の対象となったのは、航空機がどこから、どうやって地球に飛来したかという問題である。
火星は過去も現在も有力な候補地とされているが、科学者のなかには、メンゼル博士をはじめとして、この研究対象となっている生物は別の太陽系からきたと考える者もいる。

残骸のなかから、一種の文字とおぼしきものが大量に発見された。
これを解読すべく、さまざまな試みがなされたが、おおむね失敗に帰している。(添付書類“E”を参照)
同様に、推進方式および、内部動力源のエネルギー伝達方式の原理や仕組みを解明する努力も不成功に終わった。こうした方面の研究が大いに難航しているのは、翼、プロペラ、ジェット機関その他、通常の推進・誘導方式に使われる装置らしきものが全く存在しないうえ、金属製電線や真 空管、またはこれに相当するエレクトロニクス部品と思われるものが一切見つからないためである。(添付書類“F”を 参照)
おそらく推進装置は、墜落の原因となった爆発により完全に破壊されたものと思われる。

 

【5ページ目】

内容

1947年12月、こうした航空機と飛行特性、目的に関する追加情報を可能なかぎり多く集める必要から、合衆国空軍プロジェクト・サインなる計画が開始された。
機密保持のため、サインとMJ-12の連絡担当者は、空軍資材司令部情報課の2名に限定された。
両名の任務は、正式のルートを通じてある種の情報を交換することである。

1948年12月、サインはプロジェクト・グラッジへと発展した。
同作戦は、目下ブルーブックというコードネームで遂行され、連絡担当には、同計画の指揮をとる空軍士官があたっている。

1950年12月6日、テキサス・メキシコ国境間にあるエルインディオ=ゲレロ地域で、おそらく同種の起源を有すると思われる第二の物体が、大気圏内に長い軌跡を残して、高速度で地面に激突した。
捜索隊が到着するころには、すでに物体の残骸は燃え尽きて、ほとんど完全に灰になっていた。回収できた資材は、研究のため、ニューメキシコ州サンディアにある原子力委員会の施設まで移送された。

これらの訪問者の動機と最終的意図がまったく不明であることは、国家安全保障上の観点から依然として重大問題である。
しかも、こうした航空機に対する監視活動が、本年5月から秋にかけて激増した事実は、何らかの新展開がさし迫っているのではないか、との懸念をいちじるしく高めている。

以上の理由に加え、国際関係と科学技術上の明らかな諸問題、ならびにいかなる犠牲を払っても大衆のパニックを回避するという究極的課題にかんがみ、MJ-12 委員会は、新政権下においても厳格な機密保持上の予防措置を中断することなく継続するべきだとの見解を全員一致で支持する。

同時に事態の公表を迫られた場合に備え、非常事態プランMJ-1949-04P/78(最高機密) を従来どおり維持すべきと考える。(添付書類“G”を参照)

 

【6ページ目】

内容

添付書類一覧

添付書類“A”・・・・特別機密行政命令No.092447(TS/EO)

添付書類“B”・・・・MJ-12作戦現状報告書No.1・パートA 1947年11月30日付(TS-MAJIC/EO)

添付書類“C”・・・・MJ-12作戦現状報告書No.1・パートB 1947年11月30日付(TS-MAJIC/EO)

添付書類“D”・・・・MJ-12作戦予備分析報告書 1947年9月19日付(TS-MAJIC/EO)

添付書類“E”・・・・MJ-12作戦ブルーチーム報告書No.5 1952年6月30日付(TS-MAJIC/EO)

添付書類“F”・・・・MJ-12作戦現状報告書 No.2 1948年1月31日付(TS-MAJIC/EO)

添付書類“G”・・・・MJ-12作戦非常事態プランMJ-1949-04P/78 1949年1月31日付(TS-MAJIC/EO)

添付書類“H”・・・・MJ-12作戦 地図、写真(抜粋) (TS-MAJIC/EO)

 

【添付”A”:大統領命令】

内容

1947年9月24日付 国防長官宛の覚え書き

フォレスタル国防長官殿

過日貴殿と行った本件に関する協議に基づき、貴殿の任務をあたうかぎり迅速かつ慎重に遂行する権限を、貴殿に授与する。
今後本件は“MJ-12作戦”とのみ呼称することとする。

将来、本件の最終的処理に関する問題が生じる場合、貴殿とブッシュ博士、中央情報局長官の適切な協議に従って、もっぱら大統領府 が単独で決定を下すべきというのが、当方の変わらぬ見解である。

ハリー・トルーマン(署名)

 

世間はMJ-12の話題で盛り上がり、それを見計らったかのように『MJ-12文書』に記されたトルーマン大統領のサインとまったく同じものが別の便箋から見つかり、これをコピーして貼り付けたという疑惑が持ち上がりました。
すると、発見された「カトラー文書」も記録番号が不自然で、あるはずの透かしがないことから偽造文書であることが明らかとなりました。

さらにMJ-12の名称に関しても、本当の名称は「マジョリティー12」であるとか、これに対抗する組織として「COM-12」が存在するなどと情報は混乱し、その結果すべてがフェイクではないのかと、誰もがUFO陰謀論に興昧を持たなく なってしまったのです。

もうお分かりだと思いますが、実はこれがNSAの狙いだったのです。
ほんの少しの真実を含んだ偽のリーク情報を流し、世間が注目したところで真実を暴露するのです。
すると、重要な真実までもがフェイクだと疑われ、人々はその問題に関心をもたなくなる、という図式です。

こうした情報操作を繰り返すことで、大衆は簡単に騙されるというわけです。
シヤンデラに送られてきた『MJ-12文書』は偽造文書でした。

一部の「マジック・12」と記された一枚だけは本物だと考える研究家もいますが、真相は明らかになっていません。
その一方で、新たな『MJ-12文書』が見つかり密かに注目を集めています。

 

本物の『MJ-12文書』は、二クソン大統領の命令により焼却処分されましたが、その時に一部が抜き 取られたといいます。

一部が焼け焦げていることから『焼失MJ-12文書』とも呼ばれています。

 

下の写真がトルーマン大統領のサインが記された「MJ-12文書」です。

UFO 問題を掌握する秘密組織の存在を示す公文書ですが、ニクソン政権下で焼却処分され、現存するのはごく一部といいます。

焼失 MJ-12 文書

 

ここにはケネディ暗殺のことが記されています。

ケネディ大統領はUFO問題に深い関心を寄せていました。
ケネディ大統領はUFOの存在を知っていて、これを全世界の人々に公表しようとしていました。

友人の証言によると、1963年の夏ごろ、ケネディ大統領はUFOを実際に目撃していて、当日、ケネディ大統領は家族や友人らと一緒にマサチューセッツ州ケープコッドの海でヨットのクルージングを楽しんでいたそうです。
すると突如、直径20メートルほどの円盤形のUFOが出現したといいます。
UFOは銀色の金属質のボディをしていて、底部が白く光っていたといいます。
初めは水面すれすれに滞空していたものの、40秒ほどすると急加速して上空へと消えていったそうです。

ケネディ大統領は、その場に居合わせた人すべてに、今見たことを他の人にいわないように口止めしたといいます。

ケネデイ大統領がUFO問題を真剣にとらえていたことを示す証拠があります。
それは、1963年に書かれた公文書にあります。日付は11月12日、つまり暗殺される10日前。

トップシークレットと刻印された公文書はケネデイ大統領から当時のCIA長官ジョン・マコーンにあてたもので、案件名は「国家安令保障に影響を及ぼすUFO秘密情報ファイルの分類調査」となっています。

一部、検閲のため黒く塗りつぶされていますが、全文を引用します。

 

内容

■■■■■■■
トップシークレット(極秘)
1963年11月12日

宛先:■■■■■■■CIA長官
件名:国家安全保障に影を及ぼすUFO 秘密情報ファイルの分類調査

前回お話ししたように、私は■■■■■■を開始し、ソ連と共同で宇宙探査及び月探査の計画を開発するようジェームズ・ウェッブに指示した。
正真正銘の(UFO)情報とCIAやアメリカ空軍の機密情報とを識別する目的で脅威度の高いケースを再調査していただけると大変助かる。

アメリカの協力提案がソ連の防衛や宇宙計画についての機密情報収集のためのカモフラージュであるとソ連が誤解したときに備え、既知のものと未知のものを明確に区別しておくことが重要である。

このデータの分類が終了したら、あなたには未知が要因となるNASAのデータを共有する計画を立てていただきたい。
そうすれば、防衛の面でNASAのミッション・ディレクターの役に立つことだろう。
データの再調査に関する中間報告を1964年2月1日までに提出されたし。

ジョン・F・ケネディ ■■■■■■■

 

 

これを見てもわかるとおり、ケネディ大統領はUFOの存在を認識していて、UFOを飛ばしているのが敵国のソ連ではないこともわかった上で、CIA長官あてに対策を指示しているのです。
後半部分を読むと、UFO情報はNASAが握っていることがわかります。

UFOは軍事問題であり、宇宙開発を進めるにあたって、ソ連とも情報を共有する必要があると言っているのです。

ケネデイ大統領のUFOに関する公文書と同じ日付で、宇宙開発に関する別の公文書が存在します。
これはNASAの長官にあてたもので、明らかにCIA長官にあてた公文書の内容を受けた形で語られています。

内容

機密文書 ホワイトハウス

ワシントン1963年11月12日

国家安全保障行動覚書NO.271

宛先:アメリカ航空宇宙局長官

件名:宇宙案件に関するソビエト社会主義共和国連邦との協力

長官には具体的な技術的捉提案の策定を含む、宇宙分野でソ連と実質的に協力する計画の開発において、政府内で自ら主導権をとり、重要な責任を負っていただきたい。
私は、必要に応じてあなたが国務省およびその他の機関と密接に連携するものと思っている。
これらの提案は、月面着陸計画での協力など、宇宙における米ソの広範囲にわたる協力関係について述べた9月20日の私の提案の直接の結果として、ソ連と協議する可能性を視野に入れたうえで策定されるべきものである。
政府内から生じたこの案件に関連する提案または提言のすべては、長官に検討、評価してもらうよう、長官に付託される。
実質的な提案の策定に加え、長官には、国務長官がソ連と協議する手段とタイミングに関する問題を探り、私たちの立場からもっとも望ましい話し合いのルートを私に提案する手助けをしていただきたい。

この件に関しては、ドライデン博士が作ったNASAとソ連科学アカデミー間の話し合いのルートがこれまでに非常に効率的であり、私は、必要に応じて両国の科学者の対話を継続する手段として、このルートを引き続き利用するべきだと思う。
このプランの進捗状況についての中間報告を12月15日までに提出されたし。

 

UFO 問題は地球人共通のテーマであり、国際的な覇権をめぐって、米ソが争っている場合ではありません。
互いの生存を脅かす核戦争の恐怖をもって維持される見せかけの平和、冷戦状況を打破し、国際協力のもと宇宙開発を進めることが大切であるとケネディ大統領は訴えているわけです。

なぜケネディ大統領は、こうした公文書を書いたのでしょうか。

実はこの公文書を作成するにあたって、11月12日に政府の幹部を集めた秘密会議が行われました。
ケネディ大統領はUFO問題を公表することで、東西の冷戟 時代を終わらせ、国際的な協力のもと宇宙開発を行い、UFOを飛ばしている地球外知的生命体とコンタクトを取り、平和裏に共存する道を模索するべきだと述べたのです。

この会議にはGHQ最高司令官ダグラス・マッカーサーも出席していたといいます。
当時、すでに引退していたマッカーサー元帥は、後日、陸軍士官学校でスピーチを行い、そこでケネディ大統領と同じように、もはや米ソが争っている時代ではないと訴えたといいます。

ケネディ大統領がNASA長官宛に送った文書

 

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