1-6.ナチスドイツと日本の関係:ベルリンの壁

1945年5月8日、第二次世界大戦において、ドイツは降伏しました。

これによりドイツは、アメリカ・イギリス・フランスに占領された資本主義を名目とした「西ドイツ(ドイツ連邦共和国)」と、ソ連に占領された共産主義を名目とした「東ドイツ(ドイツ民主共和国)」の二つに分断されました。

この分断された西ドイツと東ドイツを隔てるために1961年8月13日に東ドイツ政府によって建設されたのが「ベルリンの壁」です。


落書きされたベルリンの壁


かつてベルリンの壁のあったライン

因みに、こちらがドイツの占領図です。

西ドイツは、米国、英国、仏国が占領し、東ドイツはソ連が占領。
ベルリンの壁を建設し、西と東を隔てた理由は、ソ連が占領した東ドイツの中にはドイツ最大の都市ベルリンがあり、このベルリンも西ベルリンと東ベルリンに分かれ、西ベルリンは西ドイツ側、東ベルリンは東ドイツ側の領土となっていました。

下記の拡大図の赤で囲んだ線がベルリンの壁です。

つまり東ドイツの中に「飛び地」として西ドイツの領土があったわけです。

ということは、西ベルリンの外側に壁を作ってしまえば、西ベルリンに物資が届かないと考えたソ連は、嫌がらせ目的で壁を作って封鎖したわけです。

勿論、ただ嫌がらせ目的の為に壁を作ったわけではなく、亡命を防ぐ目的もありました。

当時は、西ドイツと東ドイツとの経済格差はどんどん拡大していきました。

1953 年、東ドイツは生産性の向上の為に労働者にノルマの引き上げを発表しました。

すると、東ベルリンをはじめ各地で暴動が発生…暴動はソ連軍が鎮圧しましたが、この年だけで33万人が西ドイツへ亡命。

1949~1960年迄は、亡命者が東ドイツの人口の4分の1にあたる250万人に達し、1961年は4月の1ヶ月間 だけで3万人を越えました。

亡命者の殆んどは若者でしたので、東ドイツは国家存亡の危機となったのです。

そこで東ドイツ国民が西へ流出するのを防ぐため、1961年8月に西ベルリンを囲む形で建設されたのです。

それでも自由を求めて、壁の下に穴を掘って逃げる人や気球に乗って逃げる人など、様々な形で東ドイツから西ドイツへ逃げる人が続出し、逃げてる途中で射殺された人も沢山います。

ソ連がベルリンの壁を作ったことに対し、米国は貨物軍用機を次々と飛ばして物資を送り届け、ベルリンの壁がいかに無意味かを思い知らせたのです。

このベルリンの壁ですが、1989年11月9日に崩壊しましたが、この1989 年というのは、ある記念日でもあります。

何の記念日かお分かりでしょうか?(答えはのちほどお教えします)

こちらはベルリンの壁が崩壊する時の動画です。

 

東西ベルリンの市民に占拠された壁