(4)自我の形成

下にリンゴの断面図がありますが、このリンゴの表面には地球上のあらゆる問題が存在しています。

例えば、政治、経済、法律、芸術、スポーツ、歴史、科学、文学、教育、医学、物理学、そのほか貧困の問題、経済格差の問題、あらゆる問題が地球上にあります。

学問の領域でも、 それぞれ専門家が掘り下げていってます。

そして、それぞれの視点から更に問題を掘り下げていくと、やがてリンゴの芯の部分では、地球上のあらゆる問題を解決に導くための普遍的、根本的なテーマにぶつかります。

その普遍的、根本的なテーマが、

  1. 自己(自我)とは何か?
  2. 人(人間)とは何か?
  3. 生命とは何か?
  4. 実体とは何か?

この4 つです。

松下電器産業(現パナソニック)の創業者である「松下幸之助 (1894〜1989年)」が提唱した経営哲学に「水道哲学」があります。

これは水道水のように安価ですぐに手に入るものは、生産量や供給量が豊富であるという考えから、商品を大量に生産・供給することで価格を下げ、人々が水道の水のように容易に商品を手に入れられる社会を目指すという考えのことです。

水道の水はいくら飲んでも、とがめられることがなく、それは価格が安く、量が豊富にあるからです。

なので、物資を豊富に生産して安価で提供することで貧困を失くし、人々を幸福にできるという考え方です。
この考えを達成するために、それは彼自身から始まり、や がては世界中の人々を幸せにしたい…と、ここでは「人」 が対象になっています。

このように、あらゆる切り口から段々世界中の「人」が対象になっていくことが大事なのです。

この4つのテーマについて、哲学の大御所に「このテーマはいかがですか」と聞くと、「そのテーマは間違いなく重要なものです」という答えが返ってくるそうです。

これからその4つのテーマを順番に掘り下げていきますが、そのことによって将来的にこの世から「競争」や「戦争」がなくなるところまで到達するのではないか、という期待がもてるわけです。

ではまず、一つ目の「自己(自我)とは何か?」というテーマについてお話します。

今から約2700年前にギリシャのが建設されましたが、その際に神殿の正面に額文字が掲げられました。

デルフォイの神殿

タレスという哲学者を筆頭に、当時のギリシャの7人の賢者が考えに考え抜いた後、最終的に掲げられた文字が「グノーシ・セアウトン 」です。

ギリシャ語で「γνῶθι σεαυτόν [gnothi seauton]」。

日本語では「汝自身を知れ」と訳されています。

これは要するに、自己とは何者か?ということを知ることが人類にとって最も重要だという意味です。

下の画像は「汝自身を知れ」とギリシャ文字で刻まれたレリーフです。

すなわち、「自己とは何者か」というテーマは、既に2700年も前から哲学的なテーマであって、今日まで答えを求めて哲学の領域でも掘り下げているという状況なのです。

今あなたはこれを読みながら、この話が自分にとって役に立つか、立たないか、という判断をしています。

つまり、あなたの身体の中には自己が存在していることは間違いありません。

が、これは病院で検査しても見えるものではありません。

レントゲンを撮っても写りません。

ですが、間違いなく意見を言うことができる「自己」が存在しているのです。

全てを意識したり認識したりする自己があるのです。

でもその自己というのは、あなたの身体のどこにあるのでしょうか?

イメージで良いので答えてみてください・・・と聞くと、多く の人が「心」「脳」「体全体」「血液」と答えます。

この質問は、自己(自我)というものが、いったい何か?ということを掘り下げるにあたって、とても重要なのです。

上記で出てきた、心・脳・体全体・血液…でもこれは証明することができません。

どこの病院に行っても証明できないのです。

しかし、存在するのは間違いないのです。

そして次の問いはもっと重要なものです。

生まれた直後の赤ちゃんは、「自己が存在しているか?」 それとも「自己が存在していないか?」です。

あなたは、この質問に対してどうお考えですか?

ちょっと考えてみてください。

生まれた直後の赤ちゃんには、自己が存在してるか、していないかです。

さて、どちらでしょうか?

答えはこの後にお教えします。

この問いに対し、「自己が存在している」という答える人が全体の4分の3くらいで「自己が存在していない」と答える人が4分の1くらいです。

それでは、これから2つのストーリーをお話ししますが、このストーリーによると生まれたばかりの赤ちゃんには、自己(自我)の存在はないと考えられています。

1つ目の話

西暦1194〜1250年、フリードリヒ2世という神聖ローマ皇帝が召使いに命令を下しました。

その命令とは、近々出産しそうな召使いの妻たちに「赤ん坊が生まれてきても、赤ん坊に名前をつけてもいけないし、名前を呼ぶことも許さない…話しかけることも許さない… そして最初に赤ん坊がしゃべる言葉をメモして持ってこい」といった内容の命令でした。

皇帝のフリードリヒ2世は、「赤ちゃんは神の授かりものなので、雑音を一切入れない赤子の言葉は神の言葉に違いない」そういう期待を持って命令を下したのです。

ところが、残念ながら全ての赤ちゃんが 、なぜか15〜16歳で白痴の状態で亡くなったのです。

白痴とは、要するに重度の知的障害のことです。

話すこともできない、文字も理解しない…ただ生きているだけで、食べること、寝ること、排泄するだけで、全員がわずか15〜16歳で亡くなったのです。

ただ、10年ほどで歩けるようになり、外にも行けるようになったそうです。

なので、もし自己が存在するなら、外界の変化によって刺激を受け、自我が形成されるはずです。が、それも全くありませんでした。

2つ目の話

1920年10月17日、インドのカルカッタ近くのミドナプールの森で、キリスト教伝道師シング牧師が「狼に育てられた」と思われる姉妹を発見しました。

狼に育てられたとされる2人の少女は、シング牧師によって保護され、「幼少時に親に捨てられた少女らが狼に育てられ野生児になった」と発表されました。

狼が育てたと思われる少女は5〜6歳と1〜2歳で、その後、発見したシング牧師が夫婦で育てながら教育することに。

推定1〜2歳と思われる子には、「アマラ」という名前を付けましたが翌年には亡くなってしまいました。

推定5〜6歳と思われる子には、「カマラ」という名前をつけ、 その後9年間生きましたが、やはり15〜16歳で亡くなってます。

その9年間、彼女に言葉と文字を一生懸命教育しましたが、言葉をしゃべることもなく、文字も理解できず、狼の習性を残したまま亡くなってしまったのです。

これらのことは、シング牧師夫妻の教育日記として残されています。

この2 つのストーリーから推測すると、生まれた赤ちゃんには「自己の存在はない」ということになります。

1つ目のフリードリヒ2世の話では、もし赤ちゃんに自己の存在があるとすれば、赤ちゃんが成長していく過程で、外からの多くの刺激によって、自己(自我)がさらに形成され て行くと考えられますが、結果的に全くありませんでした。

2つ目の狼少女の話では、既に5〜6歳の少女の教育が上手く機能しなかったのはなぜか?

生まれたばかりの赤ちゃんに自己の存在がないとすれば、 いつ、どのようにして自己が形成されるのか?という問題にぶつかるのです。

どうも人間というのは、生まれた後に、その自己が形成されるプロセスがあるようなのです。

しかし、狼少女だったカマラちゃんのように、5歳になってしまうと、それが有効ではなくなり、自己を形成できなくなることが分かってきたのです。

つまり、生まれてからある期間内に、そのプロセスがなければ自己の形成ができないというわけです。

実は「哲学」では、このテーマを一切話題にしたことがありません。

考える主体としての自己と、その存在を定式化した「我思う、ゆえに我あり」 は、哲学者「デカルト(1596〜1650 年)」が言った哲学史上でもっとも有名な命題の1つです。

哲学者 デカルト

しかし、それすらも自己の意識があるところからスタートしています。

これまでに、「生まれてからどうなのか?」ということは、 哲学の世界で掘り下げたことがないのです。

なので「生まれた後、どのように自己が形成されるかの か?」ということが最も重要なテーマなのです。

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