(9)命と命の核

森羅万象を包含する能を「名」にすることはできません。

しかし、敢えて「名」にすると 「命」になります。

生物の生きていく原動力、命を命たらしめたのは何者か?

命以上の「名」が唯一名です。

その名「X」こそが命の核です。

それらが究極の実体なのです。

全生物3000万種中、唯一、ホモサピエンスのみが命名ができます。

人体のみに命の核が備わるからで、人体は「命の核体」と言える所以です。

その人体に命の一片としての「名」が称呼され、「命の座」となり、附着する名の転化者である自己もまた命と直結しているのです。

命と繋がってなくては「言葉」も使えませんし、「名」を 命(ナ)づけることもできません。

「名」を命(ナ)づける…これは全生物中、人体にのみ備えられた「秘能」なのです。

ありとあらゆるものに命名されている全ての「名」「名称」 「言葉」「文字」「数」「名」 の命名、創出元が「命」なのです。

全ての「名」「名称」「言葉」「文字」「数」「名」は、 命の一片です。

それから、「命」には実は2つあります。

「生命」は「生」の方です。

つまり、見える方の命です。

これは、あらゆる地球上の生物は生物体として見ることが可能です。

もう一方の「命」は、目に見えない「能(ハタラキ)」です。

生物体を働かせる命のハタラキ…これが「命」です。

そして、あらゆる見えないエネルギーによって、生物が動かされているのです。

繋がってなくては存在できません。

 

例えば、あなたは命と繋がっています。

命のエネルギーと繋がっているから人体には体温がありますし、心臓も動いています。

仮にあなたが交通事故に遭って亡くなったとします。

この時の身体の鉄分やカルシウム等といった全ての組成は、生きている時と死んだ直後は全く一緒です。

組成の分量は一緒ですが、生きている時は体温があり心臓が動いています。

しかし、死んでしまうと体温がなくなり、心臓が止まってしまいます。

今の生きている時が命と繋がっているのです。

見えない命のハタラキと繋がってはじめて、命の動きがあるし、エネルギーもあるのです。

これが無くなってしまった時は、命の絆から離れていってしまうということです。

目には見えない命のハタラキ…宇宙の全て…この空中にも原子レベルで言うと、酸素や炭酸ガス等、他にも色々な元素レベルがあります。

が、それらを見ることはできません。

しかし、それぞれの元素レベルでの命のハタラキと繋がっているのです。

原子核の中にも陽子や中性子など、あらゆる命のハタラキがあります。

そうした命のハタラキを働かせている中心の存在…これが究極の実体となる「命の核」なのです。

この命の核の断片の一片ずつが、唯一、私たちホモサピエンスという80億の人体の、ある部分にあるわけです。

そして、それがあることによって人体が全てのものを名付けることができるようになり、言葉という名、文字という名、数という名、名という名…全てが「名」の範疇にあるのです。

この全ての「名」…これは命の変化体であり、命から発生しているものなのです。

言葉も文字も辞書がありますが、その発明者はどこにも出てきません。

これはある意味、湧き出てきたと言っても過言ではありません。

そしてそれは、その時々、編集する人たちが、それぞれの人体を通じて、それを言葉にしたり文字にしたりしています。

その「源」は、命のハタラキの中から出てきた言葉、文字、数が人体の自我を形成するために必要な栄養源として存在するのです。

この言葉、文字、数を駆使して自我形成をしているという仕組みにあるということは、全てが命のハタラキの手の内にあるのです。

人体も、もともと精子と卵子が結びついて何百万倍も成長していきますが、これも命のハタラキのひとつです。

そしてその身体が、言葉、文字、数、名という命の変化体を駆使しながら自我形成していくのです。

見えない自我も全部、命の範疇にあります。

あなたの主体と自我……例えば、私を例に挙げると「八田芳雅」という自己(自我)があります。

これも一片の呼称が繰り返えされることによって形成されるもので、命のハタラキの範疇にあるし、全てが命の手の中に、この世の中が存在しているのです。

すなわち、命の手の中に存在している全てのものは、否定したり批判したりする対象でなく、必要だからあるのです。

必要だから全てが今現在、存在しているのです。

今、地球上の80億人の全ての人たちの自己(自我)が責務です。

現世において全ては名の世界です。

今の世界は、ある意味では名を取り合いながら自我形成しています。

あらゆる名を取り合っているのです。

例えば、大統領の名を取り合うとか、日本でも選挙の度に落選するか当選するか、名の取り合いを行います。

スマホ業界では企業同士が世界ナンバーワンの座を獲得しようと争いを行います。

この全てが名の世界の現世において、名が名を用いて追い求めているのです。

簡単にいうと、私の場合だと最初の名は「八田芳雅」という呼称です。

「芳雅、芳雅」と呼び続ければ、それがやがて自己になり、自我が形成されますが、しかしそれは、もともとは名です。

そのそれぞれの名が名を用いて、全て名を駆使しながら答えを求めます。

名が無ければ問うこともできないし、研究もできないし、企業活動だってできません。

あらゆる名が名を用いて問い求めるから、結果的に得られるものも名でしかないのです。

それは、上辺での名でしかなく架空のものです。

本物ではなく「仮」である現世は、政治、経済、学問、宗教など、全てが上手く収まるようにはできていません。

仮である現世が全て上手くいってしまうと、今の状態のままで終わりを迎え、次のステップに進めません。

次のステップとは、人の子が人になる成人成就のことです。

自己は人体と脳を育成し、最後に本精、人精とも融合し、人の完成に進むことが責務として課せられています。

人体に収納し、人体を勝手に使用している各自己の名の転化者が命の一片であれば、認識はしていなくても実体の代行者としての役割を持たされているのです。

今回の話は少し難しいですが、要するに、この全て名の世界の中は、本物の世界ではなく仮の世界であり、やがて人の子が人になり、究極の実体となり…そのハタラキは本精、人精というわけです。

この辺の話は分かる人には分かると思いますが、今の段階では殆どの人が難しいと思います。

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