(8)人間とは何か?

「人(人間)」というテーマに入っていきます。

下に「人(人間)とは何か?」という5名の学者のフレーズが出ています。

利根川進

生命科学の究極の研究目的は、人間とは何かという疑問の解明だ。

 

 

山本仏骨

すべての宗教および学問は、人間とは何かを問い求めることにこそある。

しかし、答えはまだ出ていない。

 

 

山本信

人間とは何か?というのは、カント(イマヌエル・カント)が哲学の全ての問いは、最終的にはそこに帰着すると言った問いであるが・・・。

 

 

松井孝典

自然科学にしろ社会科学にしろ、哲学にしろ文学にしろ、その問うところは、つきつめていけば人間とは何か?という永遠不変の命題である。

 

 

小林秀雄

人間とは何か?についてハッキリした説明がいくつもあれば、ちっともハッキリしないことになる。

 

これらのフレーズを見ていただいて、「人間とは何か?」という問いは、「自我とは何か?」というテーマよりも大きくて、重いテーマのように思います。

そして、人間というタイトルがついた本は、国会図書館にいくと1000冊あります。

しかし、どの本を読んでもこれが人間であると理解できる本は一冊もないそうです。

それぞれの著者の人間観は出てきますが、全部バラバラなのです。

それほど、人(人間)というのは大きなテーマなのです。

「人間」という単語は、実は昭和初期の辞書には【世間、 世の中、社会】と記載されていて、しかも人間(じんかん)と呼んでいました。(※このことは前にお伝えしました)

中国語でも「人間」と言えば、やはり【世間、世の中、社会】のことです。

しかし、今で言う人間(ニンゲン)とは、日本や韓国では、下記の意味になります。

① 機械・動植物・木石などにはない、一定の感情・理性・人格を有する人。人類。

② ある個人の品位・人柄。人物。

中国でいう「人間」と、日本と韓国での「人間」では意味が違ってきます。

日本と韓国はどこかで間違ってしまったのです。

実際に昭和初期の辞書には、「誤ってしまった」と出ていて、注釈に【世間、世の中、社会】と出ています。

日本と韓国は、誤ったまま今日まで来てしまったので、中国に行って「人間」という単語を使う場合は注意が必要です。

前に、リンゴの表面に政治も経済などのあらゆる問題があり、それを掘り下げていくと4つのテーマ にぶつかりました。

もう一度見てみましょう。

1つ目が「自己(自我)とはなにか?」で、2つ目が「人(人間) とはなにか?」でした。

広島と長崎に原爆を落とされた日本が、核爆弾の恐ろしさや核廃絶をどんなに訴えても、「自己(自我)とはなにか?」、「人(人間)とはなにか?」・・・この根本的な2つのテーマが全く分かってないから上手く伝わらないし、この基本が分かってなければ、どんなに自我 に訴えかけても難しいのが当たり前なのです。

「人とは何か?」というテーマに関してのヒントがありますので見てみましょう。

「人(人間)」という単語は、地球上に存在する80億人すべてに使える単語です。

なので、「人」という字の上に「個」を付けて「個人」という呼び方は、本来は誤りなのです。

小林秀雄 氏は、さすがにそれに気が付いていました。

「人(人間)」という単語は80億人の全てで、この字が使えるということを・・・なのでその反対語は「個人」ではな く「自己」だということを。

つまり、80億分の1が「自己」というわけです。

ということは、今の世界は、人の世の中ではなく、80億のバラバラの自我の集合体というわけです。

本当の意味での人の世の中という単語を使うには、例えば、人体のように役割分担をして調和がとれている世界…

それができて初めて人の世の中と呼ぶことができます。

例えば、人体は60兆の細胞で出来ていますが、一つ一つの細胞には100%のDNA情報があります。

にもかかわらず、髪の毛は髪の毛だけ、爪は爪だけ、皮膚は皮膚だけその働きがあり、それ以外の情報は眠っています。

60兆の細胞が、それぞれに役割分担をしながら、調和し、人体という世界を作っています。

すなわち、地球上の80億人がお互いに、それぞれの役割を分担しながら調和をとり、争いをせず、お互いに助け合う社会が到来したときに初めて「人の社会、世の中」という単語が使えるようになるのです。

ということは、今は自我の世の中であり、そして殆どの人が、一つ一つの人体とその人体の主権者を意味する自己(自我)を「人(人間)」だと勘違いしているというわけです。

敢えて言うと、人体の機能は世界中の人々、皆んな共通しています。が、その主人公たる自己(自我)はバラバラです。

だからと言って、それを批判したり否定するつもりはありません。

なぜなら、それは進化の過程で、どうしても古いものから新しいものへと移り変わっていく途中の時期(過渡期)が必要だからです。

未来、自我を卒業することが出来た時に、80億人がお互いに役割分担をしながら、争わず、お互いが助け合える世の中にしなければいけないと思います。

そして、そうなる可能性が十分にあります。

しかし現時点では、まだそうした状況ではなく、エリアの中でそれぞれの自己主張と企業の利益、団体の利益、国や民族の利益を主張し合っているという状況にあるわけです。

人(人間)でなく、生まれてもいなかった

生まれたのは、人体の赤ん坊です。

出生後、命名により、命(な)付けられ、名が肉声による一定波長の音波「呼称音声」として赤ん坊の脳の「命の座」に繰り返し送り込まれ、凝合-転化して、自己(自我)へと変貌します。

この経過を経て、赤ん坊として生まれた身体は、何時しか「自己」のモノとなり、且つ、身体の誕生日も「自己」の誕生日へとすり替えられるのです。

さらに5〜6才にして「人(人間)」なる名を受けとり、「人 (人間)」を演じるようになります。

しかし、「人(人間)」ではないのです。

「人(人間)」…その正態を暴いてみれば「人(人間)」とは似ても似つかぬ「名」にすぎない称呼が転化し、人体の脳の中枢に主権者として納まり、「人(人間)」を演じているのです。

この世は、人(人間)の世界ではなく、「人(人間)」なる「名」を受取り、演じているだけの自己(自我)主態の世界なのです。

上記の青文字は、各自己(自我)がどのように成立するかについて言及しているものです。

簡単に言うと、身体が生まれてきました。

そして、その身体に自己(自我)が外部から受けた呼び名によって宿り、その身体の主権者となります。

そして、その身体を主権者は好きなように使う事が出来ます。

5〜6歳になって、「太郎ちゃんは人だよ、人間だよ」という感じでタイトルとして刷り込まれ、自分は人間なんだと認識し、人間を演じているだけに過ぎず、その世界が現世だということです。

これは決して悪いことではなく、人類が素晴らしいステージに進化していくことを前提としたものであり、今の世界はこういう世界である、ということを言っているわけです。

でもこうした話をすると、約3%くらいの人は気づいて納得しますが、大多数の人は不思議がって納得できないみたい です。

但し、刷り込みをあまり受けてない若い世代は、頭の柔軟性があるので、もっとパーセンテージが高くなります。

おそらく私のコミュニティに参加されている方は、頭の柔軟性があるのではないかと思っています。

そうでなければ、お金を払って参加したいとは思わないでしょう。

こうした情報は、普通はなかなか入ってこないし、知り得ない情報です。

しかし、今こうしてあなはこの情報を受け取っている… ということは、普通の人に比べて高いステージにいるということです。

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