日本神話/(15)古事記:出雲と天孫降臨④大国主神の国作り

出雲に帰って来た大国主神は須佐之男尊から授かった宝物の生太刀と生弓矢を用いて八十神たちを次々と降伏させる。

出雲を平定した大国主神は、八上比売(やがみひめ)と結婚する。

しかし八上比売は出雲に連れて来られたが、正妻の須勢理毘売の嫉妬を恐れて、自分の子を木の俣に挟んで故郷の稲羽に一人で帰ってしまった。

その御子神を木俣神(きまたのかみ)または御井神(みいのかみ)と言う。

その後、大国主神は、沼河比売(ぬなかわひめ)と結婚するために、高志国(こしのくに)に出向いた。

二神はお互いに歌を詠み、会った翌日に結ばれることとなった。

大国主神が再び妻をめとったことを知った須勢理毘売は限界に達し、物凄い剣幕で夫に迫る。

困り果てた大国主神は、出雲から大和に旅立とうとしたが、別れの間際に、二神はお互いに歌を詠み合い、杯を交わし再び仲睦まじく暮らしたという。

古事記には建御名方神(たけみなかたのかみ)の母神は明記されていませんが、先代旧事本紀(せんだいくじほんき)によると沼河比売の子という伝承もある。

さて、出雲を平定した大国主神の元にとても小さな神が訪れる。

その小人神は海の沖合から蔓草(つるくさ)の天乃羅摩船(あめのかがみぶね)に乗って、蛾の皮で作った服を着ていた。

大国主神が名前を訊ねるが、答えなかったので物知りの崩彦(くえびこ)に尋ねると「神産巣日神の御子神の少名毘古那神に違いないでしょう」と答えた。

そこで大国主神が神産巣日神にこのことを尋ねると、神産巣日神の手から漏れ落ちた子であると判明した。

そして神産巣日神は大国主神と少名毘古那神に、お互い協力して国を作ることを命じる。

こうして二神は兄弟となり、力を合わせて国を作り始めた。

その後、大国主神と少名毘古那神は協力して国を作っていたが、ある日突然、常世国に少名毘古那神は一人で帰ってしまう。

大国主神は、自分一人でどうやって国を作ればよいのか分からず途方にくれた。

その時、海の向こうから神がやって来て「我が御魂を大和の東の山頂にお祀りすれば、国作りは成功するだろう」と言った。

その神の言葉を聞いた大国主神は、早速、大和の東にある御諸山(みもろや=現在の三輪山)にその神を祀った。

この神は大国主神の幸魂奇魂(さきみたまくしみたま)だと宣言し、現在も三輪山に祀られる大物主神(おおものぬしのかみ)と言われる。

山の麓にある大神(おおみわ)神社は、神殿が無く、拝殿の奥にある三輪山そのものをご神体にしている。

こうして、大国主神は大物主神と共に、葦原中国(あしはらなかつくに)を平定し国作りを終えた。

少名毘古那神
少名毘古那神は、大国主神の国造りを手伝った神ですが、常世国の神であり、医療、酒造、穀物、知識、石の神など、多様な性質を持ち合わせた神様です。また一寸法師の原型ともされています。
常世国
少名毘古那神が旅立った常世国は、海の彼方にある異世界、永遠の生命と豊穣をもたらす祖霊の国、あるいは理想郷として考えられ、永久不変や不老不死、若返りなどと結び付けられていました。初代神武天皇の兄である御毛沼命(みけぬのみこと)も常世国に渡ったとされていて、渡った人や霊は、祭事のときに現世に再び帰り、子孫からもてなされると言われます。
崩彦
案山子(かかし)のこと。

大神神社

 

これまでの学び

(0)古事記:はじめに

(1)古事記:天地開闢① 天地の始まりと神様の誕生

(2)古事記:天地開闢② 別天津神と神世七代

(3)古事記:天地開闢③ 伊耶那岐命と伊耶那美命の国生みと神生み

(4)古事記:天地開闢④ 伊耶那岐命

(5)古事記:天地開闢⑤ 伊邪那美命

(6)古事記:天地開闢⑥ 伊耶那美命の死と火之迦具土神

(7)古事記:天地開闢⑦伊耶那岐命の黄泉の国訪問

(8)古事記:天地開闢⑧禊祓と神々の誕生

(9)古事記:天地開闢⑨天照大神と須佐之男命の誓約

(10)古事記:天地開闢⑩天岩屋戸と高天ヶ原の神々

(11)古事記:天地開闢⑪五穀と須佐之男命の大蛇退治

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(12)古事記:出雲と天孫降臨①大国主神と稲羽の白兎

(13)古事記:出雲と天孫降臨②大国主神と八十神の迫害

(14)古事記:出雲と天孫降臨③大国主神の根の国訪問

本日の課題

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2 件のコメント

  • kyorintomo@yahoo.co.jp より:

    男神と女神が生まれてから世界が複雑になったような気がします。そのために多様性に富んだ豊かな世界になったのだと思います。我々は天の恵みに感謝して、目の前の事を大切にしなければいけませんね。

  • zipang044kwsk@au.com より:

    神でさえも頭を悩ますことがある古事記の物語は
    色々と示唆に富んでいると思います。

    神も悩むのだから、人も悩みがなくなることは
    ないという示唆だと思います。

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