(22)まだ日本で行われている生贄の儀式

 

実は、諏訪大社は物部氏系の神社です。なので神道の「裏」を司る神社です。

それが証拠に諏訪大社では明治初期までは、「生贄の儀式」を行ってました。
正確に言えば、まだ今でも「生贄の儀式」が行われています。

諏訪大社と言えば、長野県の諏訪湖周辺に位置する二社四宮の神社です。

上社
・本宮(長野県諏訪市中洲宮山)
・前宮(長野県茅野市宮川)

下社
・秋宮(長野県諏訪郡下諏訪町武居)
・春宮(長野県諏訪郡下諏訪町下ノ原)

 

全国に25,000社もあると言われる諏訪神社系の総本社でもあり、風や水の守護神であり、五穀豊穣を司る神社でもあります。

また、毎年元旦に「蛙狩神事」という行事が行われますが、これが現代の「生贄の儀式」として残っています。

 

下の動画は「蛙狩神事」です。

 

これは、諏訪大社・前宮を流れる御手洗川の底を掘り返し、冬眠した蛙をを2匹捕まえ、口から尻までを生きたまま串刺しにして、生贄として祭壇に捧げ、国家平安と五穀豊穣を祈願する儀式です。

この儀式の由来は諸説ありますが、諏訪大社の祭神は、もともと「蛇神」だったという説もあり、もしそうだとしたら、蛙を生贄として捧げることは理にかなっているとも言えます。

ただ、諏訪大社の「生贄の儀式」は蛙に限ったことではなく、その歴史は実に奥深いものがあります。

諏訪大社の上社・前宮で行われる「御頭祭(おんとうさい)」では、現在では鹿や猪の頭部を剥製(はくせい)が生贄として捧げられていますが、古来は本物の鹿や猪、兎などが生贄にされていました。

「神長官守矢(じんちょうじかんもりや)史料館」には、御頭祭の生贄となる鹿や獅子の剥製が展示されています。

空飛ぶ泥船や高過庵といった茶室は実に意味深です。

資料館の中には、鹿や猪、兎などの生贄の剥製が展示されている

 

また、江戸時代以前の御頭祭においては、少年を象徴的に生贄として捧げる儀式を行っていたと言います。
当時の儀式は、柱に縛られた子供が神の生贄となり、神官が子供に向けて刃物を振り下ろそうとする瞬間、別の神官がやって来て、その行為を止めるというものです。

これは、勿論、象徴的に行う儀式なので実際に子供を殺そうとしているわけではありません。

その後、子供は開放されますが、その代りに鹿の頭を75頭分、生贄として捧げるのです。

実は、この儀式での振る舞いと全く同じことが『旧約聖書』の「創世記」22章2〜13節に記されています。そう、それが「イサクの燔祭」です。

『神は言われた、「あなたの子、あなたの愛するひとり子イサクを連れてモリヤの地に行き、わたしが示す山で彼を燔祭として捧げなさい」。

アブラハムは朝はやく起きて、ろばにくらを置き、ふたりの若者と、その子イサクとを連れ、また燔祭のたきぎを割り、立って神が示された所に出かけた。
三日目に、アブラハムは目をあげて、はるかにその場所を見た。

そこでアブラハムは若者たちに言った、「あなたがたは、ろばと一緒にここにいなさい。わたしとわらべは向こうへ行って礼拝し、そののち、あなたがたの所に帰ってきます」。

アブラハムは燔祭のたきぎを取って、その子イサクに負わせ、手に火と刃物とを執って、ふたり一緒に行った。

やがてイサクは父アブラハムに言った、「父よ」。彼は答えた、「子よ、わたしはここにいます」。

イサクは言った、「火とたきぎとはありますが、燔祭の小羊はどこにありますか」。
アブラハムは言った、「子よ、神みずから燔祭の小羊を備えてくださるであろう」。

こうしてふたりは一緒に行った。

彼らが神の示された場所にきたとき、アブラハムはそこに祭壇を築き、たきぎを並べ、その子イサクを縛って祭壇のたきぎの上に載せた。

そしてアブラハムが手を差し伸べ、刃物を執ってその子を殺そうとした時、主の使が天から彼を呼んで言った、「アブラハムよ、アブラハムよ」。

彼は答えた、「はい、ここにおります」。

御使が言った、「わらべを手にかけてはならない。また何も彼にしてはならない。あなたの子、あなたのひとり子をさえ、わたしのために惜しまないので、あなたが神を恐れる者であることをわたしは今知った」。

この時アブラハムが目をあげて見ると、うしろに、角をやぶに掛けている一頭の雄羊がいた。
アブラハムは行ってその雄羊を捕え、それをその子のかわりに燔祭として捧げた。』

 

この話をもっと分かりやすく言うと…

神はアブラハムに、息子のイサクを連れてモリヤの地へと行かせ、さらにそこで、イサクを生贄として捧げるように命じました。

アブラハムは考えた末、神の命令に従い、イサクを縛り、祭壇に寝かせました。

しかし、アブラハムが刃物を振り下ろそうとした瞬間、神の御使いである天使が降りてきて彼の手を止め、「アブラハムよ、子供に手にかけてはならない。あなたは自分の可愛い一人息子でさえも、神のために惜しまずに捧げようとした。あなたが神を畏れる者であることをわたしは知った。」と言ったのです。

そして神は、息子イサクの代わりに、近くの藪でツノを引っ掛けている1頭の雄羊を生贄として捧げるよう命じたのです。

そう、この伝承と全く同じことを御頭祭では行っていたのです。

現在は、この御頭祭では鹿の剥製などを生贄として捧げていますが、古くは、本物の鹿や猪が捧げられていたと言います。諏訪大社の神は狩猟の神なので、今でも動物を捧げる神事が続けられていると言います。

また、諏訪大社は、守屋山(モリヤ山)と呼ばれる山の麓にありますが、アブラハムがイサクを捧げようとした地も「モリヤ」と呼び、小高い山だったと言います。
そこは現在のイスラエルの首都エルサレムの中心地だとされます。

さらに「御頭祭」を古来司っていた人々を守矢家(もりやけ)」と言います。そう、守屋山は、守矢家の聖地なのです。

 

補足
守矢家とは、日本の氏族の一つで「守屋氏」の末裔で、現在の長野県諏訪地域を発祥とする天津神・国津神からなる氏族で、代々諏訪大社上社の神長官を務めてきた家系です。
つまり、先ほど紹介した「神長官守矢史料館」は、守矢家の文書を保管・公開する博物館で、守矢家の敷地内にあります。
それにしても、守矢氏(家)と島津氏(家)は、丸に十字のよく似た家紋ですが、両者は何か関係あるのか?

守矢家の家紋と島津家の家紋

また、諏訪大社で有名なのは、「御頭祭」よりも、「御柱祭(おんはしらさい)」です。

この神事は、山中から樅(もみ)の木を16本切り出し、4カ所の各宮(上社本宮・前宮・下社秋宮・春宮)に4本ずつ立てて御柱とする行事です。

 

この祭で、大勢の男たちによって運ばれるのが、前に紹介した地殻変動によって日本の地が再び四散しないように、日本の中心にある諏訪湖の周りに、象徴的に杭として打ち込んで止める柱のことです。

この祭には危険が伴い、毎回のように死者が出ると言います。

この御柱祭は、切り出された木の柱を崇拝するのですが、これとよく似た考えが古代イスラエルにもあると言います。

また、『旧約聖書』の歴史書「列王記(上)」には、古代イスラエル人は、ソロモン神殿建設の際に大木を切り出し、レバノンからエルサレムまで運んだことが記されていて、御柱祭は、聖書の記述と重なるのです。

また、古代イスラエルではに日本と同じく、樹にも神が宿ると信じられていたそうで、その神の名前を「アシラ(女神)」と言います。

つまり、日本の「柱(はしら)」は、古代イスラエルの女神「アシラ」が由来しているのです。

 

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