(25)いさら井とイサライの井戸

 

古代イスラエルは、紀元前926年に南北二つの国(北イスラエル王国とユダ王国)に分裂しましたが、その後、アッシリアとの紛争に破れて国を失ってしまいます。

200年後の紀元前722年に、北イスラエル王国は滅亡し、その際に10支族が忽然と消えたのです。それ以来、行方が分かりません。

 

だから、「失われたイスラエル10支族」と呼ぶのですが、この10支族は100万人にも及んだと言います。なのにどこへ消えたのか?

実は、最近の調査によると、失われた10支族の末裔と思われる人々は、ユーラシア大陸全般にわたっていると言います。

新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)の記録によると、弓月国の王が127縣の民を率いて、日本にやってきたと記されています。(127縣の民とは、およそ20万人弱)そして、その大集団が実は秦氏なのです。

新撰姓氏録

 

秦氏は、もともと日本に住んでいた倭民族の人口が600万人の時代に渡来したと言います。

当時の日本の天皇であった「仁徳天皇」に、秦氏はシルクロードの交易品である絹の服を献上したと言います。そこから秦氏は「絹の民」とも呼ばれました。

この秦氏の長(中心人物)が秦河勝で、彼は聖徳太子の側近としても知られる人物です。

 

秦氏は平安京(現在の京都)を本拠地とし、自分たちが居住した場所の地名を「太秦(うずまさ)と名付けました。太秦の「太」は光を意味し、「秦」は賜物を意味します。

秦氏が太秦に建てた神社で、三柱鳥居があることで有名な木嶋神社(蚕ノ社)は、キリスト教の影響を受けていて、ここには、元糺の池(瓢箪池)があります。
ここでは昔、バプテスマ(洗礼)を行っていました。元糺は、元を糺すであり、これは「悔い改める」であり、洗礼(バプテスマ)を意味します。

木嶋神社

元糺の池

 

現在は元糺の池は枯れて、水がありませんが、7月末には御手洗祭(みたらしさい)が行われるので、その際にはポンプで汲み上げた水をこの池に溜めて、多くの人が手足を清めると言います。また、イスラエルの首都であるエルサレムにも、この池に似た池があるといいます。

 

さて、秦河勝が晩年に移り住んだという兵庫県の赤穂市坂越には、大避神社(おおさけじんじゃ)があります。

大避神社の「大避」とは、「避」と「闢 」が類字だとされています。したがって、『旧約聖書』に登場するダビデ王の漢訳である「大闢」(ダヴィ、たいびゃく)だとして、大避神社はダビデ王を祀った神社だとしています。

赤穂市坂越の大避神社

 

京都の太秦にも同じ読み方をする「大酒神社」があり、実はこの神社も、昔は「大辟神社(おおさけじんじゃ)」だったと言います。

太秦の大酒神社

 

しかしよく見ると、坂越は「オオサケ=大避」で、太秦は「オオサケ=大辟」で、「避」と「辟」で違います。
「辶」があるかないかの違いはあるものの「大避=大辟」は同じだと考えれば、同系列の神社となるのです。

どちらも秦氏の長である秦河勝が建てた神社なので、当然と言えば当然です。

さらに大避神社には、「イサライの井戸」がありますが、太秦にも「いさら井」がありますが、この「イサライ」は、「イスラエル」が訛ったものだと言います。

 

また、「いさら」という言葉は実際にあり、その意味は「少ない」という意味を持つ古語だとされていて、「水が少ない井戸」という意味を持っていると言います。

坂越にある「大避神社」の「イサライの井戸」の井戸穴は、「12」の長石で囲われていますが、これはイスラエルの支族の数であり、イスラエル人にとっては神聖な数字です。

 

また、ここには1300年前のお面がありますが、鼻が高くて西洋人の顔をしていて、天狗にも見えます。(熊本県の幣立神宮にもこうした五色面があります)
そのことから、秦河勝は西洋人の顔だったのではないか?という説もあります。

大避神社にある1300年前のお面

幣立神宮の五色面

 

 

1 個のコメント

  • kyorintomo@yahoo.co.jp より:

    大避神社のお面も西洋人に見えます。幣立神宮の五色面も青人以外は各大陸人の顔の特徴が見られますね。世界との交流が無かったとされる時代なのに不思議です。

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