(18)ユダヤ人が成功する理由【失われたイスラエルの十支族⑨】

南ユダ王国は紀元前931年、ソロモンの息子であるレハブアムが初代王に就任して以来、20代のゼデキア王まで345年間続きます。

同国はイスラエル12支族のうち、ユダ族とベンヤミン族だけで、国土の面積も北イスラエル王国に比べて狭く、人口も北王国の80万人に対して30万人以下でした。

※レビ族は特権階級なので北と南にいました。

北王国は肥えた土地が多くて農作物にも恵まれていましたが、南王国の土地は荒野が多くて貧しい国であったにも関わらず、北王国よりも長く続いたのは、ダビデ家を継承する王が国を治め、首都エルサレムを受け継ぎ、王位継承を巡る争いもなく、政治が安定していたからです。

北王国がメソポタミアからの侵略を抱えていたのに対し、南王国は攻めてくる国々に貢物を渡していたため、あまり攻撃されなかったことが長く生き延びれた理由でした。

 

ダビデ家を継承した南王国の民がヤハウェの神を忘れなかったわけではありません。

南王国の歴代王の中にも北イスラエル同様に、偶像を作って異教の神々を祀る王も存在してたのです。

初代王レハブアムは、異教の神であるアシェラ像を建てて、ヤハウェの怒りを買います。

アシェラ像

神ヤハウェの怒りを買う王が続くなかで、13代目ヒゼキヤ王、16代目ヨシア王は、神ヤハウェの言葉に耳を傾け、異教の偶像を破壊していきました。

また、世の不正を正すため、貧富の差が広がっていた南王国でも、豊かになった人たちが貧しい人たちを迫害していたので、これを厳しく糾弾しました。

こうした王の出現により、南王国は北王国よりも存続できたと思われます。

 

紀元前586年には、アッシリアに代わって勢力をつけた新バビロニアに包囲され、エルサレムは陥落します。

南王国の民は土地を追われ、新バビロニアに捕囚され、ついに滅びることになります。

新バビロニアのネブカデネザル2世によって、南王国からバビロンやバビロニア地方(現在のイラク中央部)へ捕虜として連行された事件が「バビロン捕囚」です。

バビロン捕囚

紀元前597年、19代ヨヤキン王の時と、20代ゼデキヤ王の時に2度行われ、2度目の捕囚で南王国は完全に消滅し、エルサレム神殿も破壊されました。

 

バビロン捕囚は、ユダヤ人にとっては大きな危機だったはずで、聖地であるエルサレムから遠く離れて異国で暮らさなければなりませんでした。

しかしこの事件のお陰で、ユダヤ人は自分たちの生き方をより強く意識したはずです。

ユダヤ人は何千年もの間、国を持たずにどのようにして、ユダヤ教や民族性を維持できたのか?

国を持たずに異国で暮らし、さらには異教世界への同化から身を守るには、ユダヤ人はアイデンティティーの確立が必要でした。

ユダヤ教の礼拝堂であるシナゴーグが生まれ、そこで礼拝することや安息日の遵守や割礼、食事の戒律規定なども、このバビロン捕囚時代に確立されたと思われます。

因みに、南ユダ王国を構成していた、この2支族(ユダ族とベニヤ民族)+1支族(レビ族)のことを「ユダヤ人」または「ユダヤ民族」と呼ぶようになったのは、この頃からです。

だから消息不明とされる残りのヘブル人10支族のことを「失われたユダヤの十支族」とは言わず、「失われたイスラエルの十支族」と呼ぶのです。

 

ユダヤ人が捕囚によって失ったものは、神がユダヤ人に与えた約束の地とエルサレム神殿での祈りでした。

この2つは、ユダヤ民族としてのバックボーンでもあったのです。

神殿を失くしてエルサレムを離れた彼らには、ユダヤ民族を1つにまとめる何かが必要でした。

そこで、過去の伝承や記録等を「律法」として纏め、それを学ぶことをユダヤ民族の義務としたのです。

 

キリスト教での祈りの場は教会ですが、これに対してユダヤ教にはシナゴーグという礼拝堂があります。

シナゴーグは、キリスト教の教会とは雰囲気が違っていて、礼拝堂と言うより集会所という感じで、教えを学ぶ場所です。

ユダヤ教は祈りの宗教ではなく、学びの宗教なのです。

 

話を前に戻しますが、バビロンに捕囚されている時に、南王国は魔方陣などの魔術も取りれいます。

そして、タルムードもこの頃に完成したものです。

タルムード

タルムードと言えば、簡単にいえば「旧約聖書」の解説書みたいなものですが、あらゆることを制限して禁止事項にしています。

「あれをしてはならない」、「これをしてはならない」…など、聖書に書いてないことまで禁止し、食事だって好きなものを自由に摂れなくしたり、不要なものまでどんどん禁止事項に付け加えて行きました。

そして、いまだにユダヤ人はこのタルムードの教えを学んでいるわけです。(八田塾でも配信しているコンテンツなのでご存知だと思います)

また、ユダヤ教には「安息日」がありますが、これは神が天地創造の7日目に休息をとったという聖書の教えをもとに、金曜の日没から土曜の日没までの間を聖なる日と定めたものです。

なので、全ての労働が禁じられいて、一部のユダヤ人たちは40項目ほどの禁止事項を守っています。

例えば、「耕す」「蒔く」「書く」…なども行ってはいけません。

中でも代表的な禁止事項が「火をつける」です。

照明をつけたり、家電などのスイッチをONにすることも、火をつける行為にあたるので御法度です。

電気を使ってはいけないので、使いたい時間、切りたい時間に自動でON/OFFするグッズが使われたりします。

エレベーターのボタンを押すこともできないので、各階で自動開閉するエレベーターになっています。

料理もしてはいけないので、安息日前に作り置きしておき、自動保温プレートで温めます。

運動も基本的には禁止ですが、全力でなければやっても良いとされてます。

禁止事項が多すぎるので、やりたいことが出来ずにどうしようもない場合には、ユダヤ教以外の人にヘルプを頼むことは認められています。

もしヘルプが誰もいない場合は、暗闇の中で一晩過ごす必要があるわけです。

勿論、スマホやPCも電化製品なので使用が禁じられていて、週に1日はネットもできません。

 

こうしたイスラエルでは、政府機関をはじめとし、役所、銀行、公共交通はすべて止まります。

ただ例外もあり、人命にかかわる場合の救急車や消防車、警察、軍などは出動を許されています。

そんな安息日ですが、ユダヤ民族のアイデンティティーを確認する役目も担っていると言います。

勿論、ユダヤ人全員が安息日を守っているわけではなく、アンケート調査によれば、守っていると答えた人は全体の4分の1で、部分的に守っている人は少数で、殆どの人は守っていないようです。

 

実は、日本では江戸時代まで7日毎に休むという習慣はありませんでした。

日曜日が休日とされていること、7日毎に休むという習慣は聖書に由来しているのです。

 

勿論、西暦もキリスト誕生を紀元としたもので、聖書に由来しています。

事実、「歴史」を意味する「History(ヒストリー)」は、下記の2つの単語から出来ていいます。

  • His(彼の)
  • Story(物語)

そう、「彼の物語」なのです。

では、「His=彼」とは一体誰なのか?

勿論、イエス・キリストのことです。

つまり、「歴史」とは、「イエス・キリストの物語」が由来しているのです。

 

人が国家を支配する人治国家ではなく、法が国家を支配する法治国家が欧米で発達したのは、モーセ五書などの律法を記した聖書を模範としたからです。

産業が欧米で発達したのも、「労働は神の御前に尊い」という聖書の教えが背景にあったからです。

近代の大物科学者の多くは聖書の信奉者です。

近代科学がなぜ、仏教圏でもイスラム教圏でも儒教圏でもなく、キリスト教圏で興り発達したのか?

それは、「宇宙が神によって創造されたなら、それがどのように造られ、どのような法則によって保たれているのかを研究することは、価値あることだ」という信念が存在したからです。

たとえば、上から下に物が落ちるのは、キリスト教圏以外では当たり前のことであり、それ以上のことは考えられませんでした。

しかし、秩序の神を信じていたニュートンは、そこには宇宙全体を支配している普遍的な法則が存在すのではないか?と考え、物体と物体の間に働く引力の大きさは、それら物体の質量の積に比例する、という法則…すなわち、「万有引力」を発見したのです。

相対性理論を生み出したたアインシュタインは、「私は神の天地創造の足跡を探していく人間である」と語っています。

聖書とは、一体何なのか? 架空の「神話」なのか?

そのような書物が、人類にこれほどの影響を与えられるはずがありません。

聖書は、今日も信じる者に多大な影響を及ぼしている書物だということを忘れてはなりません。

 

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