(17)ユダヤ人が成功する理由【失われたイスラエルの十支族⑧】

古代イスラエル王国は、初代サウル、2代目ダビデ、3代目ソロモンと続き…紀元前926年のソロモンの死後、王国は、北王国(イスラエル王国)と南王国(ユダ王国)に分裂することになります。

王国が崩壊した原因は、ソロモンがヤハウェの神を忘れ、一神教から多神教になったからだと聖書には記されています。

ただ、日本の土壌では不思議なことに、正月は神道、葬式は仏教、結婚式はキリスト教など、複数の宗教や神の存在があっても何の問題もありません。

そもそも古代イスラエルには「神(ヤハウェ)こそが王である」といった思想だったため、周辺諸国よりも、かなり遅れての王制導入でした。

ソロモン神殿は、ダビデ家が王として民を治めるために建設したもので、ダビデの時代に神殿の建立が果たせなかったのは、神こそが王なので、神が座るための神殿は不要だという価値観の民が多かったからかも知れません。

 

さて、イスラエル12支族のうち、南のユダ族とベニヤミン族は、ダビデ家が王制を継承することに賛成していましたが、北の10支族は世襲的な王制には反対でした。

賛成していた南の2支族はソロモンの死後、息子のレハブアムの王位継承を受け入れましたが、北の10支族はレハブアムの王位承認を受け入れる代わりに条件を付けました。

その条件とは…

  • 王が派手な生活を維持するための重税を軽減
  • 建築事のための強制労働の緩和

 

ソロモンに仕えてきた長老たちは、 レハブアムにこの要求を認めるように提案しましたが、レハブアムは北の提案を却下。

ダビデとソロモン親子の統一王国は、紀元前1011年から紀元前931年までの80年で終焉を迎えることになったのです

 

その後、北イスラエル王国は、初代ヤロブアム王から19代ホセア王がアッシリアに滅ぼされる(紀元前722年)まで209年間続きます。

その時の首都はソマリアに置かれていました。

 

南のユダ王国は、初代レハブアム王から20代ゼデキア王が新バビロニアに滅ぼされる(紀元前586年)まで345年続きます。

首都はそのままエルサレムに置かれました。

 

王制が20代続いた南ユダ王国は、7代アタルヤ女王を除いて、すべての王がダビデの子孫でした。

なので王位継承には、あまり大きな混乱はなかったとされます。

これに対して、北イスラエル王国では常に王位継承での争いが起き、血で血を洗う抗争が続きました。

北イスラエル王国では、19人の王のうち8人が暗殺され、南ユダ王国をはじめとする近隣諸国との争いまで繰り返されました。

 

王国が分裂した後も北イスラエル王国の人々は、エルサレム巡礼を続けていました。

なぜなら、エルサレムには神殿があり、イスラエル12支族の聖所を意味するアークが置かれていたからです。

しかし、聖地エルサレムは南ユダ王国の首都なので、北王国の支配者たちはエルサレム神殿への巡礼を阻止しようとします。

北王国の初代ヤロブアムは、北の人々をエルサレム神殿から切り離す必要があると考えました。

そうでないと、いつか北王国は南王国に占領されるのではないかと恐れたのです。

ヤロブアムは、北王国にある聖所2ヶ所に金の仔牛2体を安置し、偶像崇拝を勧めました。

「もうエルサレムに参拝する必要はない。これがお前たちの神である。南の神殿に安置された神を祈らなくても、自国にも我々の神がいるではないか。」と。

それは、ヤロブアムの宗教的な信念ではなく、自己の政治的地位を確立するためのものでした。

ヤロブアムは、真の神を捨てて、人々を間違った道に導いたのです。

こうしたヤロブアム王に続く王も偶像崇拝を行い、異教信仰が蔓延るようになります。

即位した北王国の歴代王たちが何人も暗殺さ、王位継承の世襲制は定着しませんでした。

周辺国と上手くやり合い、国の安全を維持するためには、異教の神を受け入れる必要があったのかも知れませんし、不安定な時代になればなるほど、人々は偶像崇拝に走る傾向にあるのかもしれません。

絶対神ヤハウェは偶像崇拝を非常に嫌うにも関わらず、人々は目に見えない神ではなく、目に見える偶像を祈った方が安心するのかも知れません。

 

紀元前722年、19代ホセア王の時、アッシリアによって北王国の首都サマリアは陥落し、10支族は捕虜としてアッシリアへ連れ去られ、その後10支族は歴史から完全に姿を消してしまいました。

これが俗に言う「イスラエルの失われた10支族」です。

因みに、このうちの幾つかの支族が時代を分けて、シルクロードを通り、東の果て日本へやってきたと考えるのが「日ユ同祖論」です。

※12支族すべてが日本に渡来したという説もあります。

 

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