(30)ユダヤ人が成功する理由【セフィロトの樹から出現するシンボル】

セフィロトの樹は、「①・④」  「④・⑤」  「⑤・①」のセフィラ……

そして、「②・⑥」  「⑥・③」  「③・②」のセフィラを線で結ぶと「六芒星」が現れます。

また、「⑥・⑨・⑩」のセフィラ……そして、「⑦・⑧」のセフィラを線で結ぶと「十字架」が現れます。

次に①・②・④・⑥・⑤・③のセフィラを曲線で結ぶと「◯」が現れ、上記でも行ったように⑥・⑨・⑩のセフィラ……そして、⑦・⑧のセフィラを直線で結ぶと「十字架」が現れますが、それはエジプトの「アンク十字」に似ています。

アンク十字は、「◯」と「十」…つまり「0」と「10」です。

「〇」と「十」…つまり「0」と「10」は、「始め」と「終り」の象徴でもあります。

「◯」が始めで「十」が終わりを示すということは、アラビア数字にすると、「0・1・2・3・4・5・6・7・8・9・10」…と言えます。

これはイエス・キリストが言った「我は始めなり終わりなり」・「我はΑなりΩなり」を示しているのです。

「0・1・2・3・4・5・6・7・8・9・10」は、「0」から始まって「0」で終わっていることが分かります。(「10」の右側の数字は「0」なので)

ということは、「無」から始まり「無」で終わる…という意味で、釈迦が説いた「無我」を示しているのかもしれません。

そのことが「裏」に隠れている?…ということでしょうか。

なぜならアンク十字を表す「♀」は、「メス:女性」を表す記号としても用いられ、これは表裏で言えば「裏」になるからです。

しかし、このシンボルは何かに似ていませんか?

そう、「けん玉」です。

けん玉は「◯」と「十」を組み合わせた玩具です。

実は「◯」と「十」を組み合わせた形のものを「天童(あまかす)」とも言います。

「お天道様」という言葉がありますが、これはつまり、「太陽=神様」という意味でもあるのですが、実は「お天童様」の意味でもあります。

「お天道様(おてんとうさま)」=「お天童様(おてんどうさま)」というわけです。(但し、天童はアマカスと読ませます)

天皇家では跡継ぎが生まれると、枕元に天童を置くという儀式を行いますが、これはイエス・キリストの儀式を行っているのです。

この儀式が世に広がり、けん玉遊びへと発展するわけですが、けん玉は「オス・凸」と「メス・凹」の象徴でもあります。

さらに、各セフィラを全て順番に線で結ぶと「稲妻」が現れます。

これは、神社などの注連縄にぶら下がる紙垂(しで)を彷彿とさせます。

さらに言うと、神道の祭祀に用いられる「御幣」にも見えます。

また、セフィロトの樹の3本の柱(ここでいう3本の柱は、峻厳の柱、慈悲の柱、均衡の柱ではなく、セフィラを支えてる柱のこと)は、中央が高く、左右の柱は低いですが、これは日本の「門松」を彷彿とさせます。

カバラはユダヤの神秘主義ですが、実は日本にも「カバラ」があります。

もともと日本には、飛鳥時代から明治時代まで1000年以上に渡って「陰陽寮(おんようりょう)」という組織が存在し、ここには、占い、天文、暦などの編纂をする陰陽師たちが置かれていました。

簡単に言えば「陰陽道」のことです。

陰陽道は文字通り、「陰」と「陽」の道です。

そう、「表」があれば「裏」がある…ということです。

そしてこの陰陽師のトップを「陰陽頭(おんようのかみ)」と言い、裏の名前を「漢波羅(かんぱら)」と言います。

この陰陽道の中に、迦波羅(カバラ)があり、その使い手が「秘密結社・八咫烏」です。

もともと陰陽道は、古代中国の自然哲学や陰陽五行説を基盤としていましたが、日本に入ってきてからは神道の影響もあって、呪術や占術へと発展していきました。

宇宙や自然のすべては陰と陽から成ると考え、表があれば裏があり、+と−があると考えます。

陰陽道自体がそうで表と裏があり、表が「陰陽道」で、裏が「迦波羅」というわけです。

こうした陰陽道では、数字にも陰陽があり、「奇数」は陽数(表)で、「偶数」は陰数(裏)です。

だから「表」の陰陽道では、奇数(陽数)の五芒星が使われ、裏の「迦波羅」では偶数(陰数)の六芒星が使われるのです。

実際に、平安時代の陰陽師としてよく知られる「安倍晴明(あべのせいめい)」は、五芒星を使っていました。

なので安倍晴明を祀った晴明神社でも五芒星が使われています。

晴明神社

ところで、安倍晴明と言えば、同じ陰陽師「蘆屋道満(あしやどうまん)」と言うライバルがいました。

安倍晴明が五芒星…つまり「5」を使っていたのに対して、蘆屋道満は、九字紋…つまり「9」を使っていました。

この五芒星と九字紋を、「セーマン・ドーマン」と呼び、よく魔除けとして使われます。

左の五芒星がセーマン 右の九字紋がドーマン

ご覧の通り、蘆屋道満が使った九字紋は、縦4本、横5本の線からなる格子状です。

安倍晴明が使った五芒星(5)に1を足して陰数(偶数)にすると六芒星になり、蘆屋道満が使った九字紋(9)に1を足して陰数(偶数)にすると十字になります。

そう、「セフィロトの樹」が出現するのです。(もう一度、さっきの図を見てみましょう)

つまり、陽数(表)では「陰陽道」ですが、陰数(裏)にすれば「迦波羅」になる、ということです。

迦波羅では、この十字が重要な意味を持っていて、キリスト教徒も祈る時には十字を切りますし、空海が開いた真言密教の総本山である高野山でも、秘密の儀式では十字を切ります。

なぜ、ユダヤのカバラを真似するかのように、日本にも裏陰陽道である迦波羅があり、そこには十字までがあるのか?というと、秦氏の存在があったからです。

日本に沢山の神社を作った秦氏は、陰陽師でもあったのです。

事実、安倍晴明のライバルだった陰陽師・蘆屋道満の本名は「秦道満」です。

このように、日本に渡来した秦氏は、神道にも陰陽道にも大きく影響を与えました。

因みに、表神道のトップは伊勢神宮で、裏神道(迦波羅)のトップは賀茂神社です。

伊勢神宮にも内宮と外宮があるように、賀茂神社にも上賀茂神社と下鴨神社があり、ともに表裏一体からなります。

がしかし、これも表向きであり、裏にはもっと重要な別の神社(正殿)の存在があるのです。

日本は三位一体に見せかけて、実際は三位三体なので三社殿が必要です。

それが、表神道(伊勢神宮)側は「伊雑宮」で、裏神道(賀茂神社)側は「河合神社」というわけです。

伊雑宮

八咫烏を祀った河合神社

こうした構造が陰陽合一となり、それは「生命の樹・セフィロトの樹」を象徴しているのです。

そして、生命の樹に咲く花が「フラワー・オブ・ライフ」という調和の取れた図形となります。

このシンボルは古代エジプトのアドビス神殿の壁画にも描かれていて、中国北京の紫禁城の門にある獅子にも見られます。

フラワー・オブ・ライフ

このフラワー・オブ・ライフは、「六芒星」でもあり、日本の「籠目紋」でもあります。

そしてこの籠目を唄ったのが「カゴメ唄」でもあるのです。

「♪ かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に 鶴と亀が統べった 後ろの正面だあれ? ♪」

これは籠目…つまり、生命の樹に咲く花「フラワー・オブ・ライフ」から飛び出してくる「鳥」のことです。

この「鳥」とは、一体何を意味するのか?

神社の「鳥居」は、鳥の居るところ…つまり「鳥の棲む場所」を意味します。

鳥は天と地を行き来する動物なので、神(天)と人間(地)の間を取り持つ重要な役目があるとされます。

そうした重要な役目を持った鳥の住まいが神社です。これはあくまでも象徴です。

では、神と人間を取り持つ存在とは何か?と言えば「救世主」です。

そう、神の代理人でもあり、人間の代理人でもあるイエス・キリストです。

ここには、その鳥(イエス・キリスト)が居ますよ…という意味で神社に「鳥居」を置いたのです。

鳥=酉=鶏=トリ…ですが、最後に登場する人を「トリ」と言いますが、籠の中の鳥は いついつ出やるは、籠目の中から「鳥=イエス」が飛び出してくる…という暗示にもなっています。

だから天照大神(イエス・キリスト)を祀った伊勢神宮には「鶏」がいます。

伊勢神宮の鶏

日本で一番最初に鶏のことが記されている書物は『古事記』です。

天照大神が天の岩戸に隠れ、世界が暗闇になったとき、八百万の神は「常世長鳴鳥(とこよのながなきどり)=鶏」を鳴かせて、天照大神を天岩戸から出そうとしますが、これは要するに、鶏は太陽を呼び出す存在であることを示しているのです。

実際に鶏の鳴き声(一番鶏)の後に太陽が昇ります。

また聖書には、イエス・キリストが十字架に架かる前に鶏が鳴くことが記されています。

イエスは言われた、「よくあなたに言っておく。今夜、鶏が鳴く前に、あなたは三度私を知らないと言うだろう」。

『新約聖書』マタイによる福音書 第26章34節

これは最後の晩餐の後、イエスが12使徒の1人であるペトロに言った預言の言葉です。

ペトロはこれに対して「絶対にありえない」と否定しますが、翌日、イエスがローマ兵に連行される姿を見て、ペトロは怯えます。

周囲から「お前もイエスの仲間だろう」と、詰め寄られると、「違う」と否認してしまうのです。

その直後、鶏が鳴き、その声を聞いてイエスの預言を思い出し、泣き崩れてしまいます。

イエス・キリストも天照大神も岩戸(墓)にお隠れ(死んで)になって、そこから再び出てきますが、これは「死」と「復活」の象徴です。

イエス・キリストも天照大神も、死の前にも鶏が登場し、この「鶏(にわとり)」は、「庭鳥(にわとり)」であり「二羽鳥(にわとり)」です。

そう、「二羽の鳥」を示唆しているのです。

こうした言葉遊びの中に、高度なトリックを使って真実を隠すのが日本です。

すなわち、「二羽鳥」とは「鳳凰」のことなのです。

鳳凰は「不死鳥=死んで蘇る」でもあり、それぞれの字を分けると、「鳳」は雄鳥で「凰」は雌鳥を示し、陰陽からなります。

※フェニックス(不死鳥)と鳳凰は厳密には違います。

だから契約の箱(アーク)のレプリカとも言える、神社の御神輿の上には鳳凰が乗っています。

それに、トリックと言えば紙幣。

1958年〜の聖徳太子が肖像画になった壱万円紙幣には、鳳凰が描かれています。

1984年〜の福沢諭吉が肖像画になった壱万円紙幣には、二羽の鳥(キジ)が描かれています。

2004年〜の福沢諭吉が肖像画になった壱万円紙幣には、鳳凰が描かれています。

鳳凰が描かれている意味は「人々に平和や幸せをもたらす鳳凰」…つまりイエス・キリストを暗示しているのです。

籠の中の鳥は いついつ出やる

この籠の中から出てくる鳥の正体とは一体何か?

籠目の「目」とは、六芒星の中心にある「ヤハウェ(神)の目」のことです。

契約の箱には、天使の羽(鳳凰を象徴)が二つ向かい合わせに並んでいますが、その羽根と羽根の間は三角の形をしていています。

ヤハウェは、稲妻と共に天から降りてきて、その三角形の隙間から左目で覗いたとされます。

それが「万物を見通す目」…つまりフリーメイソンのシンボルとされる「ピラミッド・アイ」です。

だからカバラの「セフィロトの樹」では、ヤハウェ神が天から降りてくる時の稲妻(紙垂)または御幣が現れるのです。

ということは、「籠の中の鳥」とは、ヤハウェのことを指しているのです。

またメノラー(七枝の純金の燭台)は、ユダヤ教の象徴でもあり、セフィロトの樹の変形型でもあります。

ついでに言っておくと、『古事記』には、最古の神は造化三神の三柱で、天之御中主神、高皇産霊神、神産巣日神とされています。

それぞれの神は独り神なので、神道の根幹は「三位一体」ではなく「三位三体」だということです。

そして、これを宣言しているのは世界で日本だけであり、三位一体という間違った教えは、キリスト教のバチカンから来ているのです。

日本に古くからある物部神道は一神教でした。

が、後に秦氏が渡来し、彼らが祀っていた三位三体の神…つまり三柱の神を取り込むことで、日本には一神教、三柱の神、多神教(八百万の神)と、全てが揃いました。だから国が一度も滅びることなく、世界で最も長く続く国になったのです。

要するに、日本人は何でも受け入れれる「器」を、もともと持っていたということです。

「器」は「許容」と言い換えることもできます。

つまり許容とは…

  • 相手がありのままのあなたを認めなくても、あなたは、ありのままの相手を認める。
  • 相手が認めてくれなくても、あなたは、ありのままの自分でいられる。

といった概念です。

自身の器が大きくなれば、少々のことは気にならなくなります。

たとえ自分を傷つけた相手であっても、冷静に話し、相手が理解して謝罪をしてくれたら許してあげれます。

また、他人を許すことは自身を許すことであり、心が穏やかでいれる秘訣でもあります。

許容することができれば、自分の望まないことを引き寄せることはなくなり、人間としての器も大きくなっていきます。

人としての器が大きくなればなるほど、それに比例しての収入も大きくなる傾向にあるのです。

なので、「収入の大きさ = 人としての器」…と言っても過言ではありません。

勿論、一概には言えませんが、しかし、器の小さな人がどんなに大金を持ったところで決して幸福にはなれません。

是非、参考にしてみてください。

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