(28)ユダヤ人が成功する理由【八幡神信仰】

前回お伝えした岩清水八幡宮には、聖地とされる「岩清水の井戸」があります。

そこには、造化三神の一番目の神様「天之御中主神」が祀ってあります。

その昔、水がなくて人々が苦しんでいた時、この神社で神に祈って岩を叩いたら、そこから水が湧きだした…という言い伝えが残っていて、これが「岩清水」の名前の由来となっていますが、実は聖書にも、これと似たようなことが記されています。

主はモーセに言われた。

「あなたは、杖をとり、あなたの兄弟アロンと共に会衆を集め、その目の前で岩に命じて水を出させなさい。こうしてあなたは彼らのために岩から水を出して、会衆とその家畜に飲ませなさい。」

モーセは命じられたように主の前にある杖を取った。

モーセはアロンと共に会衆を岩の前に集めて彼らに言った。

「そむく人たちよ聞きなさい。我々があなたがたの為に、この岩から水を出さなければならないのであろうか。」

モーセは手をあげ、杖で岩を二度打つと、水がたくさん湧き出たので、会衆とその家畜は共にに飲んだ。

『旧約聖書』民数記 第20章 7〜11節

上記のように、エジプトを脱出したイスラエル人は、荒野を彷徨う中、水がなくて苦しんだことがあります。

恐らく上の画像(下)のような荒野を彷徨ったのでしょう。

その際に、神に言われたように、イスラエルの指導者モーセが杖で岩を叩くと、そこから水が噴き出たのです。

日本に渡来した秦氏は、この話を知っていたから、そこを聖地にしたのだと思われます。

岩から水が出てきたから「石清水(いわしみず)」…というわけです。

そんな聖なる地で、亀山上皇は日本の無事を一晩中祈ったのです。

その聖地にはヤハウェの神が臨在し、亀山上皇の献身的な祈りに応えて、日本を守って下さったのではないでしょうか。

モーセもまた、「イスラエルの民を助けて下さい」と神に懇願しています。

亀山上皇の祈りは、モーセのような祈りだったに違いありません。

殆ど知られていませんが、東北大震災(3.11)の時、現在の上皇(当時は天皇陛下)は、国民が震災から救われるように…と、三日三晩、宮中祭祀を行われたそうです。

宮中祭祀とは、皇居内の神殿において、天皇が国家と国民の安寧と繁栄を祈る祭祀のことです。

お付きが天皇陛下(当時の)の身体を心配して、「もうお祈りをおやめ下さい」と、お願いしたそうですが、それでも三日三晩、祈りが続いたと言います。

世界の歴史を見れば、これまでの支配者の多くは自分のことばかりで、国民のことなどあまり考えておらず、いざとなれば自分だけ逃げようとするものですが日本の天皇は違います。

亀山上皇や現在の上皇を見ても分かるように、自分よりも国民のことを想って一心不乱に祈る…これはまさにイスラエルの指導者モーセと同じ精神です。

さて、こうした八幡信仰(ヤハウェ信仰)は、もととも多くの秦氏が定住していた宇佐地方(九州は大分県北部)から始まっています。

中国の歴史書に記された「秦王国」とは、この宇佐地方だと見ている学者もいます。

八幡信仰の始まりは、宇佐八幡宮と同じ宇佐地方にある「薦(こも)神社」だとされます。

ここには御澄池(みすみいけ)という池があり、そこには大昔、ヤハタの神が現われたと言います。

池の中から美しい男児が現れ、池の岸辺に生え茂る薦草(こもぐさ)の上に立ち、「我こそはヤハタの神である。我がために薦草で方舟を作り、それを御神体とせよ!」と告げた…という伝説が残っているのです。

それ以来、この神社では御澄池に生えている薦草を刈り取って、方舟を作り、宇佐八幡宮に御神体として奉納してきました。

この伝説は、「出エジプト記」に記されたモーセの誕生を彷彿とさせます。

当時、エジプトで奴隷になっていたヘブライ人を迫害するために、エジプトの王はヘブライ人の男の赤ん坊を殺すように命じました。

そんな中、あるヘブライの女性が、自分が産んだ赤ん坊を殺されないようにと隠しましたが、後に隠すのが難しくなり、パピルス草を編んで方舟を作り、そこに赤ん坊を乗せてナイル川に流しました。

エジプト王の娘がナイル川で水浴びをしていると、ちょうどそこに方舟に入った赤ん坊が流れてきました。

王の娘は、その赤ん坊を引き取って育てたました。

やがてその子は立派には育ち、エジプトから同胞を救い出すという偉業を成し遂げます。

そう、その赤ん坊こそ、のちのモーセです。

女は身ごもって男の子を産んだが、その麗しいのを見て、三月の間隠していた。

しかし、もう隠しきれなくなったので、パピルスで編んだ籠を取り、それにアスファルトと樹脂とを塗って、子をその中に入れ、これをナイル川の岸の葦の中においた。

その姉は、彼がどうされるかを知ろうと、遠く離れて立っていた。

ときにパロの娘が身を洗おうと、川に降りてきた。

侍女たちは川辺を歩いていたが、彼女は葦の中に籠のあるのを見て、使い女をやり、それを取ってこさせ、開けて見ると子供がいた。

見よ、幼な子は泣いていた。

彼女はかわいそうに思って言った、「これはヘブル人の子供です。」

『旧約聖書』出エジプト記 第2章 2〜6節

このように、薦神社に伝わる話と幼少期のモーセの話はよく似ているのです。

日本でこうした伝説が残っている背景には、ヤハウェ神を信仰する秦氏が聖書を知っていたからに違いありません。

 

ところで、石清水八幡宮で、氏子総代(氏子の中から選ばれた代表者)を務め、神社を篤く信仰していたとして有名なのがパナソニックの創業者である松下幸之助です。

彼は生涯にわたり、八幡宮以外にも様々な神社を信奉し、大きなご利益を得ていた人物です。

社内にも神社を設け、神に感謝することを忘れませんでしたし、得たご利益を社会に還元しようという精神も忘れませんでした。

松下幸之助

また、石清水八幡宮と言えば、京都は八幡市にある標高143mの小高い山…「男山」の山上にありますが、実は発明王としても有名なトーマス・エジソンも、この男山の竹を使って白熱電球の発明を成功させています。

エジソンは、電球のフィラメントの問題で非常に悩み、何百回、何千回と実験を繰り返していました。

ある日、彼は中国からのお土産として研究所に置いてあった扇子を見つけ、その骨を使って電球を試作してみました。

すると、電球の寿命は飛躍的に延びたのでした。

扇子の骨は竹で出来ていて、竹は繊維が太くて丈夫なので、長持ちするフィラメント作りには最適でした。

エジソンは、この「竹」を入手するために、研究員を世界中に飛ばし、その中の1人が日本へとやってきます。

その研究員は色んな地域の竹を集める中、京都を訪れた際、竹の産地として知られた八幡の竹を紹介してもらい、八幡竹も入手します。

そして、八幡竹を他の地で集めた竹と一緒にエジソンのもとへと送りました。

エジソンは研究員から送られた様々な竹を使って実験を繰り返し、ついに長持ちする竹を発見します。

その竹こそが石清水八幡宮がある男山に生えていた八幡竹だったのです。

この竹を使用した電球は、平均1,000時間以上も輝き続けたといいます。

のちに人工繊維であるニトロセルロースのフィラメントが使用されるようになってからは、竹は使われなくなりましたが、およそ10年もの間、米国の街や家庭を照らしていたのは日本の竹…そう、八幡竹だったのです。

このように、稲荷の神も八幡の神も人々を成功へと導き、ご利益を与えています。

さらに言えば、石清水八幡宮では古くから、なめし革に菖蒲(しょうぶ)の葉を模様にした「菖蒲革」と言うものを作っていますが、そこには十字架までがくっきりと描かれています。

菖蒲革

菖蒲革に十字架が描かれていれる理由は、石清水八幡宮を作った秦氏がキリスト教徒だったからだと思われます。

一方、宇佐八幡宮では「八幡大神」として応神天皇が祀られていますが、その昔は応神天皇ではなく、応神天皇が信仰していた神を祀っていたはずです。

因みに、仏教の世界でも八幡神は「八幡大菩薩」として崇められています。

応神天皇は、秦氏が日本に渡来したとき、快く迎え入れてくれた人物です。

ということは、迎え入れた秦氏から色んな話を聞き、秦氏と同じ神を信仰するようになったと考えられます。

そしてその神こそが、八幡神(ヤハウェ)だったに違いないのです。

応神天皇と八幡大菩薩

 

1 個のコメント

  • 伊藤 より:

    自宅近くにも八幡神社がありますが、ヤハウェをお祀りしているのですね。改めて参拝させて頂きます。
    自宅は千葉県柏市にありますが、他にも多くの神社が近隣にあります。網の目のように張り巡らされて
    いるネットワークのように感じます。

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