(25)ユダヤ人が成功する理由【イエスと稲荷神社】

日本全国で最も多い神社と言えば稲荷神社ですが、この神社は会社の社屋の横や工場の敷地内などでも目にすることがあります。

その総本山は京都の伏見稲荷神社で、ここの秘文には、「夫神は唯一にして御形なし。虚にして霊あり。」と書いてあることを前に動画でお伝えしましたが、これは要するに「多神教」に思える日本の神道は、実際は「一神教」だということです。

古代の日本では、その一人神を大元神(おおもとつかみ)などと呼んでいました。

この神は、古事記で最初に登場する造化三神の一人、天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)と同一神だということもお伝えしました。

さらに、伊勢神宮の外宮の神である豊受大神(とようけのおおかみ)も、その正体は大元神です。

そして、稲荷神社の神である稲荷大神と豊受大神も同一神です。

その理由として、稲荷大神の正しい名称は、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)であり、「ウケ」または「ウカ」は、古代日本では「食物」のことを意味し、豊受大神の名にも「トヨウケ」と言うように「ウケ」が入っているからです。

因みに、ヘブライ語でも食物のことを「ウケ」と呼びます。

そう、大元神も、天御中主神も、稲荷大神も、豊受大神も、皆同じ神の別名だということです。

例えば、聖書の信者も神のことを「すべての根源である神」や「天の中心の主なる神」や「日々の糧を与えて下さる神」と呼んだりします。

これは、、、

  • すべての根源である神 = 大元神
  • 天の中心の主なる神 = 天御中主神
  • 日々の糧を与えて下さる神 = 豊受大神・稲荷大神

だということが、漢字の意味を見ても分かると思います。

このように、古代日本は一神教であり、それを深く追求していくと古代イスラエルの神ヤハウェだということが分かります。

ところで、稲荷神社を作ったのは、渡来人である秦氏ですが、彼らは西暦3〜4世紀頃に日本に渡ってきたとされます。

その王は「弓月君」で、彼らが元々いた場所は、現在の新疆ウイグル自治区付近にあったとされる弓月国でした。

そこの近くにヤマトという地があり、そこがもともと秦氏がいた場所だったとされます。

やがて、秦氏は現在の中央アジアや中国付近に離散しますが、この辺りは決して安住の地ではありませんでした。

東へ東へと進んだ後、彼らが辿り着いた地が日本でした。

秦氏の第一軍が日本に渡ってきたとき、日本の天皇は彼らを招き入れたのです。

離散していた他の秦氏も、後に日本に移住するようになったというわけです。

この秦氏は、もともと古代イスラエル人でしたが、弓月国に住んでた頃に、古代ユダヤ教から東方諸教会(東方キリスト教)に改宗し、2世紀頃には、ほぼキリスト教に改宗されていました。

日本に移り住んだ秦氏は、日本にもともとあった原始神道に、キリスト教の要素を次々と加えて行きました。

キリスト教と言えば、日本人は西洋のキリスト教をイメージしがちですが、実は西洋のキリスト教(カトリックやプロテスタント)は、古代ユダヤ教の教えなどを排除して西洋化したものです。

なので東方キリスト教とは全く違うものなのです。

イエス・キリストも彼の12人の使徒もユダヤ人です。

だから本来のキリスト教はユダヤの文化を残しています。

とくに東方諸教会は、ユダヤの文化を多く残したキリスト教です。

秦氏は日本に渡来し、既に存在していた日本の原始神道にキリスト教の要素を加え、さらに発展させて行きました。

そして、発展させた神社を全国に作っていったわけですが、それが稲荷神社です。

だから稲荷神社はイエス・キリストの神社と言っても過言ではありません。

 

稲荷神社と狐

最初から日本にあった神社に置かれている狛犬は基本的には獅子です。

なのに、なぜか稲荷神社の狛犬は白狐です。

本来は稲荷神社と白狐は何の関係もありませんが、どうして狐が置かれるようになったのか?

それは、仏教系の神である荼吉尼天(だきにてん=白狐に乗る天女)信仰が習合したらからです。

荼枳尼天

この狐が置かれるようになったのは、8〜9世紀の空海の時代か、それ以降のことです。

空海は仏教僧でしたが、稲荷信仰に熱心だったと言います。

因みに、稲荷神社の鳥居が赤いのは、『日本の真の歴史』に書いたとおり、もともとエジプトで奴隷になっていた古代イスラエル人が、殺戮の天使の災いを避けるため、子羊の血を家の門の上・左・右の3箇所に塗ったことが由来しています。

また、「稲荷(いなり)」は、もともと「伊奈利」と書いていました。

伊奈利とは、万葉仮名(まんようがな)であり、現代人が外来語をカタカナで書くのと同じで、外来語に当て嵌めた文字です。

そう、もともと「イナリ」という音があり、その音に「伊奈利」や「稲荷」を当て嵌めただけです。

因みに万葉仮名とは、漢字の表す意味とは関係なしに、漢字の音読みや訓読みを、国語の音を表記するのに用いた漢字です。
万葉集に多く用いられているので万葉仮名と呼び、その例は次の通りです。

  • あ= 安、阿、足、網
  • い= 伊、射、寐、已
  • う= 宇、烏、有、于
  • え= 得、衣、榎、愛
  • お= 於、意、憶、應

イエス・キリストを信仰していた秦氏は、イエスが磔になった十字架の罪状板に書かれた「INRI(インリ)」を取って、イナリ神社としたのです。

「INRI」とは、ラテン語で、

「Iesvs Nazarenvs Rex Ivdaeorrvm(ユダヤ人の王ナザレのイエス)」を示す頭文字です。

また、イエス・キリストのことを「Jesus」と書いたり「Iesus」と書きます。

群馬県高崎市では、古代の景教徒の遺跡である多胡碑(たごひ)が発見されています。

多胡碑とは、8世紀頃の古代碑文で、その傍らから石槨(せっかく)が発見されました。

石槨とは、石造りの棺を入れる外箱のことで、そこには「JNRI」の文字が見つかっています。

また、多胡碑の下からは十字架も発見されています。

「JNRI」もまた、先ほど述べたようにラテン語で、Jesus Nazarenus Rex Ivdaeorvm(ユダヤ人の王ナザレのイエス)」を示す頭文字で、最初の頭文字が「Iesus(イエス)」か「Jesus(ジーザス)」の違いです。

イエス・キリストは、ジーザス・クライストとも呼ばるので、INRIでもJNRIでもどちらでも意味は同じで、昔はどちらも用いられていました。

ところが、昔の日本に「ン」を表す文字はなかったので、古事記にも日本書紀にも、そして万葉集にも「ン」の音を表す文字は出てきません。

「ン」は、もともとナザレの「ナ」の部分なので、秦氏は「INRI」を「インリ」ではなく「イナリ」と言ったのです。

そのイエス・キリストの神社だから稲荷(INRI=イナリ)神社と呼ぶようになったのです。

そしてこの稲荷神社には、「イエス・キリストの祝福と恵みが、日本の民に届かれれるように」との願いが込められているのです。

さらに、船岡山になある「元稲荷」とも呼ばれる義照稲荷神社があります。

船岡山

義照稲荷神社

平安京は秦氏によって造られましたが、そのとき、船岡山はその中心線として目印にされた小高い山でした。

この船岡山を頂点として、各ブロックが配置されました。

ブロックは、長方形のブロックと正方形のブロックに分かれ、正方形のブロックを除外すれば、それはまるで巨大な鳥居に見えます。(上空から見た場合)

また、長方形のブロックの外側を線で囲うと、それはまるでイエス・キリストが磔になったT字型の十字架に見えます。

そして、ちょうど十字架の「INRI」と書かれた罪状板あたりが「船岡山(稲荷神社の本宮である義照稲荷神社が鎮座する)」に当たるのです。

秦氏はイエス・キリストの恵みがあるように、と祈りを込めて平安京を造ったのだと思われます。

イエス・キリストが十字架に架けられた場所は「エルサレム」です。

このエルサレムを日本語にすれば「平安京」です。

京都の祇園祭は、秦氏が平安京を造るとき、「疫病が起こらないように」との願いを込めて始まった祭りです。

かつてのソロモン王も、神殿を造った後、「疫病が起こらないように」との願いを込めてエルサレムで祭りを行いました。

祭りはユダヤ暦の7月に行われましたし、京都の祇園祭も7月に行われます。

また、祇園(ぎおん)とは、エルサレムの別称「シオン」が由来しています。

しかも、祇園祭の山鉾巡行は、7月17日ですが、これはノアの方舟がアララト山に漂着した日です。

ということは、平安京は聖書に基づいて造られた都だということが分かります。

祇園祭の山鉾巡行

 

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