重要な旅の始まりには、テフィラ・ハデレハという特別な旅行者の祈りを唱える。
この祈りは旅の危険から身を守ってくださるように、そして目的地に無事に届けていただけるように主にお願いするものである。
この祈りを捧げる理由の一つは、実際に旅には危険が伴うからです。
今日でさえ、旅行は私たちが普段することの中では危険な方であり、その危険はほとんど事故に遭う危険です。
賢人たちの時代においては、事故、賊、飢えなどの危険が今日よりもずっと大きかったでしょう。
このことは特にエルサレム・タルムードによって強調されています。
しかし、この説明では不完全であるように思えます。

未開の地を車や飛行機で旅するよりも危険なことは多くありますが、そうしたことは特別な祝祷に値しません。
たとえば、手術を受ける前に特別な祝祷はありません。
賢人たちの時代にはもっと危険な医療行為が一般的であったにも関わらずです。
実際、タルムードは旅行者の祈りについて話す中で、危険については全く言及していません。
これは次のような話に関係しています。
預言者エリヤはラビ・サラ・ハシダの兄弟、ラビ・ユダに次のように言いました。
怒りに駆られなければ、罪を覚えることはない。酒を飲み過ぎなければ、罪を覚えることはない。
旅をする時には、創造主にお伺いを立てた上で旅をせよ。
エリヤは怒り、酒の飲み過ぎ、旅行という三つのことを言っています。
これらは全て、人に我を忘れさせ、普通なら避けるようなことをさせてしまうものです。
怒りと酔いは常に正しくないことであり、エリヤははっきりと警告しています。
しかし旅に出ることは時には必要なことですので、この場合の正しい手順は主にお伺いを立てること、すなわち、旅に主が同行されることを思い出すために旅行者の祈りを唱えることなのです。
このことから、旅におけるもっとも重要な危険は精神的な危険であると考えることができます。
旅において私たちは疲れがちであり、それによって主の意に沿う行いをすることに対して注意力が低下します。
不慣れな環境により、ミツバを守ることが難しいこともあります。
さらに旅先では周りに知っている人がいないため、普段の戒律を破ることを恥じる感覚が薄まるかもしれません。
これに対して、ラビ・ガンツフリードは次のようなことを勧めています。
道中もトーラーを学ぶこと、神の恵みを心に留めること、ミツバに必要な道具を持参すること、コーシャーである食べ物に気をつけること、そして孤独の念を薄めるために、旅の初期の段階では誰か同行者を持つことです。
そして、注意深くテフィラ・ハデレハを唱えたならば、誰が自分を旅に送り出してくださるのか、誰が旅の成功と無事の帰りに責任を持ってくださっているのかをはっきり思い出すことでしょう。
本日の課題
1:今回の学びで感じたことをシェアしてください。
これまでの「タルムードと神道」の学び
タルムードと神道(30):ペスーケイ・デズィムラ(祈りの儀式を始める詩編)
タルムードと神道(41):ケドゥーシャ・ディシドラとアレイヌ
タルムードと神道(45):トーラーの巻物を書くこと、トーラーの本を得ること
タルムードと神道(79):特別な助けに対する感謝とその助けを求めること
若いころ羽目を外すという行為を何度かしてしまいした。その時の心の中は傲慢さでいっぱいだったと思います。結果ろくな事になりません。旅行などに行くと非日常的な感覚になり少しうかれてしまいますが、敬意と感謝の視点で社会に関わろうと思います。