タルムードと神道(88):夜の祈り

夜にはマアリーブの祈りを唱える。

日暮れから深夜にかけて唱えるのが普通であるが、必要であれば日没から夜明けの間唱えることができる。

前回の「午後の祈り」で3つの毎日の祈りの時間が神殿での生贄に関係していることを説明しました。

一方で、それぞれの祈りの特徴は、族長たちが創始した時の状況から学ぶことができると説明しました。

マアリーブの祈りは生贄のうちで焼かれない部分に対応しており、ヤコブによって始められたものです。

タルムードでは、マアリーブは夜通し唱えることができるとしています。

この点は、朝の4時間しか唱えられないシャハリートとも、正午の30分後から日没までしか唱えられないミンハーとも異なっています。

これは、祭壇の上に夜通し置かれる使われないままの生贄に対応しています。

マアリーブとこれに対応する生贄との間には、また別のユダヤ法との類似点があります。

タルムードでは、マアリーブの祈りは任意のものであると結論づけています。

あたかも賢人たちが、もしかしたら族長たちが、義務ではない祈りを創始したと言わんばかりです。

しかし後の権威たちは、これはユダヤ人全てに受け入れられている習慣であることから、今日ではこれは間違いなく義務であるとしています。

言ってみれば、公式には任意であるものの実際には義務として行われている祈りなのです。

「存置される」生贄も似たような二面性を持っています。

日中の生贄とは違い、夜間に祭壇に生贄を置くことにははっきりした義務はありません。

しかし実務的には、そうした生贄が常に置かれています。

ですからこの生贄を焼くことも公式には任意であり、実務的には義務なのです。

族長について言えば、タルムードでは夜の祈りは、ヤコブが妻を探しにベエルシバを立ってハランに向かう途上でベイト・エル(神の家)にて日暮れに祈ったことに始まっていると教えています。

この両方の類似点が、夜の祈りが持つ特別な性質についての洞察をもたらしています。

日中の生贄の残りを焼くことは、神への献身の表れとして、やり残した仕事を終わらせることを示しているのです。

そしてヤコブの関心も明らかに過去についてのものであり、兄エサウとの不安な関係について思案し、これを修復することを考えていたのです。

同じように、夜の祈りは過去に遡るものであり、次の日を展望するのと同様に、過ぎた一日の精神の動きを振り返るものなのです。

 

贖いと祈りを並べ置くこと

夜も朝と同様に、シェマーと共に唱える贖罪をアミダーの祈りの冒頭に付け加えるようにしなければならない。

しかし夜の場合はこの付加部分は声に出さない。追加の祈りとカディシュが間に入り、ミニヤンでの祈りが優先される。

「テフィラー」にて、朝の祈りにおいては、主を「イスラエルを贖う者」と讃えて結ばれるシェマーと、その祝祷の直後に声に出さずにアミダーを唱えることが極めて重要であると説明しました。

自由があればこそ完全に主への務めを果たすことができるのですから、罪を贖うことは祈りの必要条件です。

そして、主こそが私たちを請け出した者であると認めることで初めて、私たちの務めを主に届けることができるのです。

ここで学んだマアリーブにおける贖罪と祈りの関係は変わらず重要ですが、少しばかりその重要性が落ちます。

たとえば、ミニヤン(定足数)で祈ることの方が重要であるとされます。

また、「イスラエルを贖う者」の祈りとアミダーの冒頭の間には、追加の祈りとカディシュ(結びの祈り)を唱えます。

他にも多くの共同体において様々な詩と称賛が追加されます。

夜に行う場合に贖罪の重要性が減少するのは、タルムードにおいて贖罪と祈りを結びつける必要はないとされていることからも明らかです。

この理由についてラシは、エジプトからの奪還は夜に始まったものの、完結はしなかったからだと説明しています。

朝になって、ペサハの犠牲と長子の災厄が起こされた後に、本格的にエクソダスが進行したのです。

夜の贖いが不完全であったために、夜の祈りに贖いを加えることもそれほど強調されていないのです。

朝と夜の贖いは、その程度だけでなく性質にも違いがあることに留意しましょう。

この行事をより注意深く見てみると、夜の方は精神的な贖いをもたらすことが分かります。(すなわち、エクソダスのうちで精神的に贖われる部分だということです。ユダヤ人が精神的にすっかり贖われるのは、トーラーを受け取るまで待たなければなりません。)

夜にユダヤ人たちは、羊を屠殺することを忌み嫌うエジプト人の異教の習慣を無視し、ペサハの子羊を供えるという主に課せられた戒律を守りました。

しかし、身体的に贖われたのは朝になってからです。

この二面性は、現在の世界で続いているユダヤ人の歴史的な経験にも反映されています。

トーラーが与えられてからずっと、ユダヤ人は戒律を守る精神的な自由を謳歌し、異教の信仰から自由でいることができています。

しかしメシアが現れる日まで、身体的な贖いは不完全なままなのです。

ユダヤ人は今もなお、追放の夜を過ごしているのです。

今日では、祈りにおいて神と向き合うと、主が人々を贖われたことをはっきりと感じることができます。

しかし、贖いし者としての主の偉大さを感じることは、悲しいかな放浪の境遇によって制限されており、これがまた信仰にも影響を及ぼしているのです。

歴史の夜においてはゲウラ(贖い)が完成しないので、ゲウラをテフィラーに付加することができません。

主を贖いし者として完全に認識できなければ、人々の信仰は理想的な形にはなりません。

しかし、贖罪の夜明けを迎えることができれば、本当の意味で精神的にも身体的にもイスラエルを贖う者としての主を認識することができるようになるでしょう。

この認識こそが、全く新しいレベルの信仰と神への意識を手に入れるための必要条件であり、その時こそ人々の信仰は完全に主に届くものとなるでしょう。

 

本日の課題

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これまでの「タルムードと神道」の学び

タルムードと神道(1):日ユ同祖論(1)

タルムードと神道(2):日ユ同祖論(2)

タルムードと神道(3):日ユ同祖論(3)

タルムードと神道(4):日ユ同祖論(4)

タルムードと神道(5):日ユ同祖論(5)

タルムードと神道(6):日ユ同祖論(6)

タルムードと神道(7):祈りについて

タルムードと神道(8):朝の目覚め

タルムードと神道(9):朝の目覚め(日本編)

タルムードと神道(10):手を洗い清める

タルムードと神道(11):手を洗い清める(禊)日本人編

タルムードと神道(12):礼儀正しい装い

タルムードと神道(13):礼儀正しさ(日本編)

タルムードと神道(14):排泄行為

タルムードと神道(15):排泄行為(日本編)

タルムードと神道(16):祈りの清浄な場所

タルムードと神道(17):祈りの清浄な場所〈日本編)

タルムードと神道(18):祝祷の掟

タルムードと神道(19):祝祷の掟(日本編)

タルムードと神道(20):朝の祝祷

タルムードと神道(21):朝の祝祷(日本編)

タルムードと神道(22):朝の祈り前の制限事項

タルムードと神道(23):夙起夜寐(シュクキヤビ)

タルムードと神道(24):ツィツィート

タルムードと神道(25):テフィリン(前半)

タルムードと神道(26):テフィリン(後半)

タルムードと神道(27):メズザ

タルムードと神道(28):祈りの準備

タルムードと神道(29):ベイト・クネセトの聖性

タルムードと神道(30):ペスーケイ・デズィムラ(祈りの儀式を始める詩編)

タルムードと神道(31):ミニヤンと先唱者

タルムードと神道(32):シェマーとその祈りを中断すること

タルムードと神道(33):シェマーの詠唱(えいしょう)

タルムードと神道(34):テフィラー

タルムードと神道(35):アミダーの祈りへの追加

タルムードと神道(36):先唱者によるアミダーの復唱

タルムードと神道(37):埋め合わせの祈り

タルムードと神道(38):タファナン(懺悔の祈り)

タルムードと神道(39):週日のトーラー朗読

タルムードと神道(40):完全なトーラーの巻物を書くこと

タルムードと神道(41):ケドゥーシャ・ディシドラとアレイヌ

タルムードと神道(42):会葬者のカディシュ

タルムードと神道(43):トーラーを学ぶことについての法

タルムードと神道(44):☆神道と儒教

タルムードと神道(45):トーラーの巻物を書くこと、トーラーの本を得ること

タルムードと神道(46):正しい行い

タルムードと神道(47):否定的な発言を避けること

タルムードと神道(48):天のために行動すること

タルムードと神道(49):正しく体をケアすること

タルムードと神道(50):危険な行い

タルムードと神道(51):喜捨(きしゃ)の法

タルムードと神道(52):ハッラーの法

タルムードと神道(53):肉に塩を振ること

タルムードと神道(54):食事の道具を水に浸すこと

タルムードと神道(55):非ユダヤ人が整えた食べ物

タルムードと神道(56):食事の前に食べること

タルムードと神道(57):☆儒教と神道を合体させた理由

タルムードと神道(58):パンを食べるために手を洗うこと

タルムードと神道(59):パンをちぎること

タルムードと神道(60):食事の間の振る舞い

タルムードと神道(61):食事中に祝祷を必要とする食べ物

タルムードと神道(62):食後の祈り

タルムードと神道(63):ツィムーン

タルムードと神道(64):禁止された食べ物

タルムードと神道(65):非ユダヤ人のワイン

タルムードと神道(66):焼かれた食べ物についての祝祷

タルムードと神道(67):ワインについての祝祷

タルムードと神道(68):食事の前の祝祷

タルムードと神道(69):結びの祝祷

タルムードと神道(70):食べ物についての祝祷

タルムードと神道(71):果物のジュースと野菜のゆで汁

タルムードと神道(72):中心となる食べ物と従属する食べ物

タルムードと神道(73):食べる前の祝祷の順番

タルムードと神道(74):正しく唱えられなかった祝祷

タルムードと神道(75):追加の料理についての祝祷

タルムードと神道(76):香りについての祝祷

タルムードと神道(77):喜びと悲しみについての祝祷

タルムードと神道(78):自然の驚異についての祝祷

タルムードと神道(79):特別な助けに対する感謝とその助けを求めること

タルムードと神道(80):商売の上での公平な取引

タルムードと神道(81):圧迫的な言葉と他人を欺くこと

タルムードと神道(82):禁じられた食べ物を事業で扱うこと

タルムードと神道(83):禁じられた金利についての法

タルムードと神道(84):融資におけるパートナーシップ上の許容

タルムードと神道(85):誓約と誓い

タルムードと神道(86):旅行者の祈り

タルムードと神道(87):午後の祈り

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