タルムードと神道(52):ハッラーの法

大量のパンを練る時にはいつでも、少量を食べずに分けておかなければなりません。

ハッラーとして知られるこの少量のパンは、神殿の時代には清浄な食べ物として祭司に与えられました。

今日においては完全な清浄さを求めることができないため、ハッラーは普通焼かれます。

祭司への贈り物として取り分ける必要があることはよく分かります。

特に神殿の時代においては、祭司は神殿の儀式のため、トーラーを教えるために身を尽くしていたので、他のユダヤ人たちが協力して彼らの生活に必要なものを提供するのは極めて真っ当なことでした。

しかし、今日では祭司はハッラーを食べません。

ではこれを取り分けて捧げる目的は何なのでしょうか。

実際、トーラーにおいてハッラーに関するミツバが登場する箇所では、これを贈ることについては何も言っていません。

「あなた方は、代々その麦粉の初物で、主に捧げ物をしなければならない。」

ここから、毎日のパンの最初の部分を取り分けて主に捧げる必要があることが分かります。

トーラーの別の箇所では、主が他の供物とともにハッラーをアロンの家族に与えることを決められたと説明しています。

これらの記載は明確です。

祭司のためにハッラーを取り分けるのではなく、主のために取り分けるのであり、主がこれを祭司に渡すように指示されています(よく似た言い方が農作物の初物の供物であるテルマーについて説明するために使われています)。

こうしてみるとハッラーの主な目的は祭司のためでは全くなく、私たち自身のためであるようです。

私たちは、あらゆるものが聖なるものとの繋がりを持っていること、世俗的な必要を超えて神に捧げられるべき側面を持っていることを常に心に留める必要があります。

当然、これは最初のもの、そして最高のものでなければなりません。

だからこそ麦粉の「初物」を取ってこれを捧げるのです。

そのようにして捧げられたからには、ハッラーのために神聖な行き先を見つける必要がありますが、主は適切な受け取り手として祭司を示されました。

この行為はパン生地を食べてよいものとするために必要なものです。

物質的な欲求に囚われることのないように、私たちは物を食べるという世俗的な活動においてさえ、精神的な要素を意識しなくてはなりません。

食べ物が食べてよいものになるためには、間違いなくそれが主に属するものであることを認めるための祝祷が必要であるということに似ています。

あたかも食べ物が持つ聖性をハッラーとして取り分けた小さなかけらに「集中」させることで、そのかけらが聖別され、残りの部分は通常通り食べることができるものになるのです。

 

パンの塊を補完することと、世界を補完すること

ハッラーを取り分けるミツバは基本的に主婦がこれを受け持ちます。

ハッラーとして取り分ける量に特段の定めはないが、少なくとも一部は聖別されないままにするべきです。

ミドラッシュでは女性の特別な責任について興味深い説明をしています。

「彼女は世界のハッラーたる男性を冒涜したので、ハッラーのミツバを課されたのである。」

最初の女性が男性を冒涜する罪を犯したので、全ての女性はその罪を償うために特別な能力と責任を持っているというわけです。

なぜ男性が世界のハッラーと呼ばれているかは簡単に理解できます。

ハッラーが普通の生地から取り分けられなければならないように、男性は地上の塵から創られた重要な人間なのです。

しかし、この特別な儀式はハッラー自体に特別な聖性を与えると同時に、生地全てを食べられるものにします。

これは主がアダムに(つまり男性に)特別な神聖なる魂を吹き込んだことと相似します。

この、世界の残りの部分から取り分けられた男性が、皮肉にも全世界を補完しました。

世界の一部、つまり男性の身体は主の魂を宿すことができることを示し、世界の全ては男性の生存のために、衣食住や主へのお勤めに集中するための精神の平穏をもたらすための物質的な慰めを提供するなどの貢献を通して、主を養うことができることを示しました。

全ての存在が突然その意味と価値を獲得したのです。

しかし、アダムとイブの罪は人間の身体が持つ特別な聖性をいくらか貶めました。

これが、ミドラッシュがイブについて「世界のハッラーを冒涜した」と書いた理由です。

ハッラーのミツバは、この罪に対する償いであり、聖別され得る素養を備えています。

私たちの物質的な存続の基本となるパンが、この聖別を行うことで初めて食べられるようになることを証明しています。

 

なぜパンなのか

この「補完」が特にパンを通してなされることは、パンが私たちの人間にとって特別な意味を持つことに関係しています。

タルムードの中には、アダムとイブが取って食べた「善悪を知る木」は小麦であったという見方があります。

パンが私たちの人間性にどのように結びついているのでしょうか。

一つには、パンは複雑な工程(脱穀し、籾殻を吹き分け、挽き、捏ね、酵母で膨らませ、焼く)を必要とする食べ物なので、人間の特別な地位を強調するものであるということがあります。

この工程を経て作られた食べ物は、王侯のためにこしらえられた嗜好品ではなく、人間の食事のシンプルな基礎となるものであり、貧しい人にとっても基礎となるものなのです。

酵母でパンを膨らますという独特な工程についてより深く考えてみましょう。

キツール・シュルハーン・アルーフでは章の冒頭で、ハッラーの義務を満たす「パン」を作ることができるのは、たった五種類の小麦のような穀物であると説明しています。

すなわち、二種類の小麦、スペルト小麦、オーツ麦、ライ麦です。

ミシュナーでは、これらの五種類が酵母で脹らませることのできる穀物だとしています。

この理由から、これらの穀物が種無しのパン(マッツァ)に使われます。

最も単純なレベルで考えると、パンを膨らます行為が人間の性質を強調していると言えるのは、人間の特別な才能である「自制」が必要だからです。

生地を作るために疲れ果てる仕事をした後で、ただ膨らむのを待つという自制が必要な最も困難な仕事をこなさなければならないのです。

過越祭におけるハーメーツ(酵母入りの食べ物)の特別な役割について考えれば、より深い理解が得られます。

また、酵母で膨らませるという行為自体が、人間の物質的性質の象徴であり、酵母によってパンが理想的な状態になるという現象は、「邪な衝動」を克服できるとことの象徴であることを説明します。

私たちはまず、物質の束縛から自由にならなければなりませんが、最終的にはそれを活用したいのです。

この世界をより良いものにするために、アダムとイブに自由な意志が与えられましたが、彼らはより低俗な衝動の言いなりになり、世界を害するためにその意志を使ってしまいました。

パンは私たちがその衝動を乗りこなす能力を象徴するのですから、この罪の償いがパンによってなされることはふさわしいことです。

 

なぜ女性なのか

アダムがイブを仲立ちとして罪を犯したという事実は、男女それぞれの特有の役割に関係しています。

男は当初一人きりに創られましたが、これは理想的な状態ではなかったとトーラーが明らかにしています。

他の人間が創られてこそ、誰かを助け、親愛の情を持つという人間特有の才能が実現するのですから、主はアダムを助けるにふさわしい人間としてイブを創ることで孤独を終わらせました。

助けるという考えは、イブを通して世界にもたらされたので、女性は特に助けること、それと親愛を表します。

アダムは自分を助け支えるものとして、イブに特別な信頼を置き、特に食べることに関して彼女に頼りきりでした。

アダムが禁断の実を食べることに同意したのは、イブがそれを勧めたからに他なりません。

この家庭内の責任のパターンは、千年紀を通して続いており、現代では食べ物を用意する責任は女性にあるのが普通になっています。

そのため、食べ物について精神的な準備をする一義的な責任もまた、主婦の手にあるべきだというのはとても自然なことです。

イブが世界のハッラーを毀損したので、つまり彼女に対する特別な助け手としての信頼ゆえにアダムを罪に誘ったので、ハッラーのミツバは特別な助け手としての立場にある女性に課されたのであり、今や女性たちがハッラーのミツバを通して家庭を特別な聖別のステージに導くのです。

 

ハッラーとイスラエルの地

もし誤って安息日の前にハッラーが取り分けられなかった場合、安息日のパン自体を一部残すことが可能であり、それを安息日が終わった後にハッラーとします。

しかし、ハッラーのミツバがより厳格なイスラエルの地においてはこれをしてはいけません。

このハッラーを分ける区別の元になっているのは、イスラエルの地にのみ存在するトーラーの義務です。

イスラエルの外では、ラビのみの義務です。

農産物に関する戒律の大部分はイスラエルの地においてのみ適用されます。

聖別された土地で作物が育つのですから、これは理解できます。

しかしパンの生地は、こねられることによって、その義務を果たすのであり、これは特段土地に近接した行為ではありません。

このことは、汚れを聖別する能力は聖地においてのみ、完全に発揮されるという事実を強調しています。

イスラエルの地は聖なる土地というだけでなく、何より、聖別のための土地なのです。

この点は、マナの出来事と考え合せることでハッラーのミツバとつながります。

奇跡の食べ物マナは、40年に及ぶシナイ砂漠での滞留の間、ユダヤ人に栄養を与えてくれました。

マナは完全に消化されて身体の一部となり、何の排泄物も残さないという驚くべき性質を備えていたことを賢人たちは学んでいます。

戒律の中心的なテーマは、私たちが地上世界と関わることを通して聖別する能力ですが、全ての物が聖別される適性を同じに持っているわけではありません。

聖ならざるものの象徴が身体からの排泄物であり、私たちの身体が食べ物の中のいくらかの物質を同化できず、聖なる勤めに使うことができないことを示します。

当然の結果として、消化のプロセスのおかげで、私たちは食べ物が持つ聖なるものへの隠れた可能性に気づくことができるのです。

イスラエルの外では、このように世界を刷新する能力は制限されています。

もしユダヤの人々が、砂漠で普通の食べ物によって生活していたとしたら、彼らは隠れた聖性を持つものだけでなく、物質的に良くない性質のものも取り込んでしまう危険性があったでしょう。

そのために、主は完全に聖なるものであるマナによって、奇跡的な方法でユダヤの人々に活力を与えたのです。

しかしながら、ヨシュア記によれば、ひとたびイスラエルの地の自然なパンを食べ始めたところ、奇跡のパンであったマナは降らなくなったと言います。

イスラエルにおいては、物質はより高い精神的レベルにあり、その聖性を抽出する能力と義務もより大きいのです。

このことは、元々はイスラエルの地における義務であったハッラーのミツバが、特別な精神の向上をもたらすことに表れています。

 

本日の課題

1:今回の学びで感じたことをシェアしてください。


これまでの「タルムードと神道」の学び

タルムードと神道(1):日ユ同祖論(1)

タルムードと神道(2):日ユ同祖論(2)

タルムードと神道(3):日ユ同祖論(3)

タルムードと神道(4):日ユ同祖論(4)

タルムードと神道(5):日ユ同祖論(5)

タルムードと神道(6):日ユ同祖論(6)

タルムードと神道(7):祈りについて

タルムードと神道(8):朝の目覚め

タルムードと神道(9):朝の目覚め(日本編)

タルムードと神道(10):手を洗い清める

タルムードと神道(11):手を洗い清める(禊)日本人編

タルムードと神道(12):礼儀正しい装い

タルムードと神道(13):礼儀正しさ(日本編)

タルムードと神道(14):排泄行為

タルムードと神道(15):排泄行為(日本編)

タルムードと神道(16):祈りの清浄な場所

タルムードと神道(17):祈りの清浄な場所〈日本編)

タルムードと神道(18):祝祷の掟

タルムードと神道(19):祝祷の掟(日本編)

タルムードと神道(20):朝の祝祷

タルムードと神道(21):朝の祝祷(日本編)

タルムードと神道(22):朝の祈り前の制限事項

タルムードと神道(23):夙起夜寐(シュクキヤビ)

タルムードと神道(24):ツィツィート

タルムードと神道(25):テフィリン(前半)

タルムードと神道(26):テフィリン(後半)

タルムードと神道(27):メズザ

タルムードと神道(28):祈りの準備

タルムードと神道(29):ベイト・クネセトの聖性

タルムードと神道(30):ペスーケイ・デズィムラ(祈りの儀式を始める詩編)

タルムードと神道(31):ミニヤンと先唱者

タルムードと神道(32):シェマーとその祈りを中断すること

タルムードと神道(33):シェマーの詠唱(えいしょう)

タルムードと神道(34):テフィラー

タルムードと神道(35):アミダーの祈りへの追加

タルムードと神道(36):先唱者によるアミダーの復唱

タルムードと神道(37):埋め合わせの祈り

タルムードと神道(38):タファナン(懺悔の祈り)

タルムードと神道(39):週日のトーラー朗読

タルムードと神道(40):完全なトーラーの巻物を書くこと

タルムードと神道(41):ケドゥーシャ・ディシドラとアレイヌ

タルムードと神道(42):会葬者のカディシュ

タルムードと神道(43):トーラーを学ぶことについての法

タルムードと神道(44):☆神道と儒教

タルムードと神道(45):トーラーの巻物を書くこと、トーラーの本を得ること

タルムードと神道(46):正しい行い

タルムードと神道(47):否定的な発言を避けること

タルムードと神道(48):天のために行動すること

タルムードと神道(49):正しく体をケアすること

タルムードと神道(50):危険な行い

タルムードと神道(51):喜捨(きしゃ)の法

2 件のコメント

  • kyorintomo@yahoo.co.jp より:

    日本でも初物を仏壇にお供えたり、毎日お供物をお供えしますね。恵みに感謝して食べれる姿に精製し、皆で分け合うのが動物との違いだと思います。

  • 伊藤 より:

    マナという奇跡の食べ物は、100%血肉となり、排せつ物無しというのは驚きです。
    未来の世界では、食べ物はマナのようになっていくのでしょうね。
    ある意味、宇宙飛行士の宇宙食は現代科学が生み出したマナなのではないでしょうか、とふと感じました。

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