テフィリンは英語で「phylacteries」となりますが、トーラー・スクロールにも使われる「羊皮紙(ようひし)」を収める革製の小箱です。

テフィリン
因みに、羊皮紙とは、動物の皮を加工して文字や絵を記録するための材料としたものです。
名称には「紙」と付きますが、実際は「皮」です。
「ZIPANG」サイトでもよく使っていましたが、分かりやすく言えば、宝地図を描いたりするのに使われた材料です。

さて、この羊皮紙には、トーラーの4つの節が書かれていますが、これらには、テフィリンにまつわる戒律、主の権能、出エジプト記の節が含まれています。
テフィリンの一つは皮の紐で左腕に巻きつけますが、左手に巻きるける理由は心臓に近い位置だからです。
そして、もう一つは脳に近い額に巻きつけますが、その理由は額は知性の在り処だからです。
テフィリンはトーラーの中では「ot」・・・すなわち「印」と呼ばれます。
ツィツィートと同じように、この印は2つの意味を持ちます。
まずは私たち自身にとっての印です。
心臓に近い場所と頭に近い場所にテフィリンを身につけることで、私たちの行動、感情、思考が主(神)の恵みによるものであることを常に意識することになります。
テフィリンが持つこの側面は、キツール・シュルハーン・アルーフの最初の節で「主が与え給うたトーラーが必ずあなたの口にあるために」と謳われています。
そして、テフィリンはユダヤ人特有の道具としてよく知られているので、誓約を持つユダヤ人であることを周りの人に示す印でもあります。
この側面は、また別の一節で謳われており、このミツバは伝統と結びついています。
そうすれば地のすべての民は、皆あなたが主の名をもって唱えられるのを見て、あなたを恐れるであろう
ツィツィートに関するミツバとの相違点をみると、テフィリンに関するミツバの特徴をより理解することができます。
まず、ツィツィートが付いた衣服は私たちが着るものであり、身体にくっついていますが、あくまでも身体の外部にあるものです。
一方でテフィリンは、文字通り身体に巻きつけるものです。
次に、ツィツィートはそれ自体が聖であるわけではなく、衣服の角に結びつけられた紐でしかありません。
しかしテフィリンは、聖なる物であり、トーラーを書き写すのとほぼ同等の流儀と聖性を持った書士によって書かれたものなのです。
ツィツィートは、聖別によって世界に働きかける私たちの能力を証明しますが、テフィリンは、私たち自身をトーラー…つまり、主の言葉に結びつける能力を証明します。
テフィリンは、私たちが持つ驚くべき聖への可能性を示すものであり、また同じだけの責任を示すものでもあるのです。
テフィリンの法を貫く一つのテーマがあることが分かります。
それは、精神的に成長するためには、正しい順番が不可欠だということです。
詳しくは後に説明しますが、果たすべき義務の順序には興味深いメッセージがあります。
まず、仲間を見分けられる時間を選ぶこと。
これは、第一に必要なことは、人間味のある振る舞いであることを示しています。
次に、道徳的な誠実さを象徴するための清浄な身体が必要です。
そして心臓の近くの左手にテフィリンを巻き付けます。
これは、続く行動が聖なる行為であり、聖なる感情であることを示します。
ここまできてやっと、頭のテフィリンを付けます。
自身の考えや知識を聖別することで、私たちの精神は最高に高められますが、この境地に到達するには正しい準備が必要なのです。
因みに、頭につけるテフィリンは、日本の山伏が頭に付ける頭襟(ときん)とよく似ています。
これも、「日ユ同祖論」の一つとされています。

山伏
ショーファーを吹くユダヤ人とホラ貝を吹く山伏もよく似ています。

天狗も頭襟を付けていて、赤い肌、高い鼻という特徴から見ると、赤い肌を持つ天狗は「白人」がルーツではないかと考えられます。
但し、白人=赤人というわけではありません。白人が肌が赤く見えます。なぜなら皮膚が白くて薄いので毛細血管が浮き出て赤く見えるからです。
実際に、江戸時代に描かれたペリーの肖像画を見ても、肌が赤く描かれていたり天狗みたいに描かれています。

ペリーの写真と肖像画

この「テフィリン」の続きは次回をお楽しみに!
本日の課題
1:今回の学びで感じたことをシェアしてください。
頭襟は帽子としての機能性がない形なので不思議に思っていましたが、こういう意味があったのですね。
「心臓に近い場所と頭に近い場所にテフィリンを身につけることで、私たちの行動、感情、思考が主(神)の恵みによるものであることを常に意識することになります。」とありますが、山伏も天狗も神の意向に沿って生かされている事が分かりました。ここにも日ユ同祖論が証明されていますね。
テフィリンを胸と頭につけて、心と頭(思考)を神に合わせるのですね。
勝手な推測ですが、神に波長を合わせるためには、胸と頭がアンテナや発信機になるのでは・・
などと感じました。