タルムードと神道(10):手を洗い清める

ユダヤ教では、自分を清くし聖なるものにするために「手を洗う」という基礎的な活動があり、これは極めて重要な意味があります。

私たちの手は、外部の物質世界と自分とを繋ぐ最も主要な接触部位です。
したがって、手は私たちの環境に影響を与えるということを、まず第一に考えなければなりません。

また、「手を洗う」という行為は世界を尊重していることを表し、私たちは世界を穢すことなく、より改善することを願っているということを示します。

朝起きて手を洗う

ユダヤ人は朝目覚めると、直ぐに手を洗い、戒律に従って祝詞を唱えます。

手洗い後の祝詞
祝福は宇宙を統べる神、私たちを戒律によって聖なるものへとされた神にあります。そして主は手を洗うよう命じられました。

蛇口からシンクに流す水ではなく、器(ピッチャー)から器(洗面器)に3度に分けて水を手に流し、洗うのが最も望ましい作法となります。

ユダヤでは、睡眠によって肉体が休んでいる間、魂は天で涵養(かんよう)していると考えます。
そのため、肉体には肉体機能を維持するための最も基礎的な最低限の魂しか残されておらず、結果としてタマハと呼ばれるネガティブな霊的状態を許してしまうことになります。
なので、寝起き後、手を洗い、タマハの痕跡を禊いで取り除き、清い状態にする必要があると考えられています。

補足
涵養とは少しずつ養い育てること

もし、祝詞を唱えずに手を洗ったとしても、効果があります。
「ルーアフ・ラーア」…すなわち、穢れた霊は手を洗うことによって取り除くことができると考えられているのです。

タルムードでは、三度、水で手を流すことによってのみ、完全に流し切れるとされていて、ゾハール(トーラの注解書)では、さらに器から器に移しながら洗うべきであると付け加えられています。

ユダヤ教は戒律の宗教であり、世界を聖なるものへして行く宗教です。
人間の霊だけではなく、人間の身体も聖なるものである可能性を秘めています。

肉体の神聖性は、とくに行動によって宿るので、行動を制限される夜の間に、この聖の一部が流れ出し、取り除かれてしまうと考えられております。

ゾハールでは、人が目を覚ますと、また行動が霊から人に戻るとされていています。
つまり、怠けたり、だらしない振る舞いを引き起こす穢れた霊は、目を覚ますことで消えるとされていますが、ただし、「指先を除いては」とあり、つまり指先には残るとされるのです。

怠惰な眠気を振り払うために、また、自分の活動が清らかで聖なる影響を与えるために、外部の物質世界と自分を繋ぐ最も主要な手を繰り返し洗う必要があるのです。

ユダヤ人が容器を使って手を洗うということは、手を洗う行為は怠惰へ導く霊を取り除くという考えに基づきます。
汚れた霊を壊すことはできないので、その穢れた霊によって、怠惰に導かれないように、活動している間にも常に警戒することが要求されます。

ユダヤ人は、穢れた霊は存在し続けるという考えなので、日常生活で使用する水や道具との接触を防ぐために、洗浄水を容器へと流しているのです。

その他の手を洗うべきタイミング

手を洗うべきなのは朝起きた後だけでなく、トイレに行った後、爪や髪を切った後、墓地や葬儀で死体に近づいた後など、多くの活動の場面においても必要です。

これらのタイミングで手を洗うことが必要なのは、朝起きて手を洗うことと同様です。

ユダヤ人は人の死に遭遇した時は、必ず手を洗わなければなりません。
なぜなら、死は身体の聖なる霊の停止だからです。(とはいえ、魂が永遠に聖であることに変わりはありません)
実際、朝起きたときに手を洗う必要があるのは、眠りと死が近しいからです。

また、排泄するとき、爪や髪を切るときは、それまでは肉体の一部だったものが切り離され、ただの廃棄物に成り下がります。
これもまた、自身の部分的な死となるので、手を洗って禊ぐ必要があるのです。

 

※タルムードには、「排泄物は決して聖にならない」ということが記されていますが、日本においては排泄物も肥料となり、また巡るという観点が不足し、日本的ではないので省きます。


本日の課題

1:寝る前に器に入った水と空の洗面器を用意して、寝床の横に置いてください。

2:朝起きたら、右手を手首まで洗い、次に左手を洗います。 これを3度繰り返します。 その後、できるだけ早く使った水を捨ててください。

3:今回のミツバを読んで感じられたことや感想をコメント欄にシェアしてください。


これまでの「タルムードと神道」の学び

タルムードと神道(1):日ユ同祖論(1)

タルムードと神道(2):日ユ同祖論(2)

タルムードと神道(3):日ユ同祖論(3)

タルムードと神道(4):日ユ同祖論(4)

タルムードと神道(5):日ユ同祖論(5)

タルムードと神道(6):日ユ同祖論(6)

タルムードと神道(7):祈りについて

タルムードと神道(8):朝の目覚め

タルムードと神道(9):朝の目覚め(日本編)

4 件のコメント

  • kyorintomo@yahoo.co.jp より:

    神は不浄を嫌うので清潔にするのは大切なことです。
    器を寝床の横に用意して手を洗う習慣はないのでチャレンジしてみます。

  • ji120152-2723@tbp.t-com.ne.jp より:

    日常的にやっていることの意味を感じると、その日常を怠ることなく過ごしていきたいと感じました。

  • まぐくる より:

    手洗いの行為には、手を清潔に保つ以外に、怠惰な眠気を振り払うため、自分自身を清く聖なるものにするため、禊ぎのためにあると学ぶことが出来ました。これからはそれを意識して手洗いをしていきます。

  • 伊藤 より:

    排せつや爪切り、散髪は、肉体だったものが排出されて死を迎える、
     という観点は、言われて初めて気がつきました。
     まずは、日々、ミソギを意識して手洗いを行って参ります。

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