前に紹介した「モデ・アニ・リファレハ」を、神道的な解釈にしたら、どのようになるかを考察していきたいと思います。
「氣」とは
「景気」はお金の循環のことですが「景金」とは言いません。
「病気」も肉体が関係しているのに「病肉」と言いません。
どちらも『氣』という単語を使います。
氣はエネルギーであり、経済も健康も全てはエネルギーから成るという思想が、東洋と日本では古来から存在しました。
元氣、景氣、大氣を研究することを『天地の學』と呼び、中国ではこれを『帝王學』と称し、この教えは聖徳太子の時代から大和魂、武士道、道徳として継承されてきました。
日産、日立、日本水産、ビクター、日本テレビに至るまで160以上の大企業を創業し、たった1代で1万社以上…厳密には10161社を作った鮎川義介は、この『天地の學』を実践したと言われています。

鮎川義介
彼の名言の一部を紹介します。
俺は絶対に金持ちになるまい。だが大きな仕事はしてやろう。願わくは人のよく行いえないで、しかも社会公益に役立つ方向を切り開いていこう。
努力だけで過去の事業が成功してきたかというとそうではない。やはり、これに運がプラスされている。しかし、努力のないところには絶対に幸運は来ない。
真理の王道
天体の運行が、万古不易の自然法則の下に為されるが如く、人間の経済減少も自然の摂理に従って推移するものである。
されば事業経営の要諦は心理の王道という軌道の上に公転自転の整然たる統制するにあると信じる。
いやしくも矛盾、不合理、我利、背徳、圧政などが横行する覇道をもってしては、事業に最後の成功を期待するのは絶対に不可能である。
これも、鮎川義介の言葉です。
至誠通天
吉田松陰の残した四字熟語の中に『至誠通天』という言葉があります。
これは、究極の誠は天に届くという考え方です。

吉田松陰
吉田松陰は、黒船来航からの列強への幕府の対応に対して、危機感を持ち倒幕を考えます。
松蔭は「安政の大獄」で獄死した梅田雲浜と、萩で会ったことを話したため江戸に護送されることになりました。

梅田雲浜
江戸の評定所が彼に問いただしたのは、梅田雲浜と話した内容と京の御所に文書を置いたのではないか?という2点でしたが、松蔭は幕府に自分の意見を言う絶好の機会だと捉え、幕府重役の「間部詮勝 要撃計画」をも告白してしまいます。

間部詮勝
これにより、仰天した幕府は松陰を斬首の刑に処すことになります。
松蔭は、「至誠にして動かざる者は未だ之れ有らざるなり」と発言しています。
これは、「こちらがこの上もない誠の心を尽くしても、感動しなかったという人にはいまだあったためしがない。誠を尽くせば、人は必ず心動かされる」という解釈です。
また、これは孟子の
誠の心とは、天の道に従うこと。誠でありたいと思うことは、人の道。
至誠にして動かざる者は、いまだかつていない。また、誠の心持たずして、人を動かせた者もいない。
から取っています。
一見すると、至誠を尽くしても、斬首になってしまっているではないか、と思われるかもしれません。

孟子
吉田松陰(よしだしょういん)とは、幕末の武士(長州藩士)・教育者。一般的に明治維新の精神的指導者・倒幕論者として知られる。
梅田雲浜(うめだうんぴん)とは、幕末の儒学者。黒船が来航すると条約反対と外国人を排斥しようした攘夷運動を訴えて、尊皇攘夷を求め幕府を批判したため、「安政の大獄」で摘発された。
間部詮勝(まなべあきかつ)とは、江戸後期の大名で、幕末には老中首座を務めた。
孟子(もうし)とは、中国戦国時代の儒学者。
しかし、そこから高杉晋作、桂小五郎、伊東博文、井上馨などの松蔭の弟子が激昂し、志を引き継ぎ明治維新を成し遂げ、吉田松蔭が目指した未来を実現させます。

松蔭は、「氣」は世代を超えて繋がると考え、
死して不朽の見込みあらばいつでも死ぬべし
生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし
と語っていて、自分が死ぬことで大業が成せるという判断をしたようです。
そのため、本来は島流しの刑で済むはずの刑を、自ら死罪を求め斬首となりました。
身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留置まし大和魂
という辞世の句はあまりにも有名ですが、至誠は決して、我欲からは至る道ではなく、己の死を超越してまで達成したい何かからくる道なのだろうと思います。
なお、先ほど紹介した日産コンチェルンの鮎川義介は、松蔭門下生だった井上馨の親戚であり、これに強い影響を受けています。
先ほど紹介した彼の名言も至誠に通づるものがあると思います。
「私」とは何だろうか?
私は、○○という父をもつ息子
私は、○○会社で働いている人
「私」を示す言葉は色々とありますが、それらは全て関係性の説明であって、「私」の説明ではありません。
吉田松陰は、「志を立てて以って万事の源となす」という言葉を残しています。
もし私に志がなければ、私は私を定義できません。
私の万事の源を欲望にしたら果たして豊かになることは、本当にできるのでしょうか?
もし天という概念が本当にあるならできないでしょう。
もし私に志があれば、私は私を定義します。
つまり、志が万事の源であり、志が私の源だと考えることができるのです。
だから、13歳の元服式において武家は志を神仏に奉納したのです。
そして、ユダヤの成人式「バルミツバ」でも使命を決めさせられるのです。
日本では、「志」という単語を教科書で使うことを戦後禁じられました。が、今こそこれを取り戻す時です。
今あなたが行っている「シゴト」が「仕事」なら、志す事を意味する「志事」に切り替えて行きましょう。
一般的に使われるシゴトは「仕事」ですが、その意味は、人に仕えることで、与えられたことを行うことです。
また、「私事」という言葉もありますが、これは自分の好きなこと、やりたいことを行う自分のためだけに行うことです。
さらに、「死事」という言葉もありますが、これは生活のためだけに、自分という人格を殺し、嫌なことを仕方なくやるシゴトです。
この「死事」だと、ただ時間を失うだけで、これは一般的に「社蓄」と言われるものですが、現代人の殆どがこの「死事」を行っている傾向にあります。
これら「仕事」「私事」「死事」を脱却し、「志事」…つまり、志や信念を持って取り組み、自分のためだけではなく、公のためになることをしないと行けないのです。
道の精なると精ならざると、業の成ると成らざる
故に士(リーダー)たる者は其の志を立てざるべからず
志を立てないということがあってはなりません。
リーダーとは「志」を持つ人であり、リーダーでないから志を持たなくて良いというわけではありません。
もし今、リーダーという表現が、自分にとってマッチしないようであれば、その原因は志がないからだと思います。
天よ、私の魂を思いやりをもって本日もお戻しいただきましたこと感謝致します。私は天に順じて本日も生きます。
という祈りから始めることにより、私は誰なのかと自問が始まります。
私は天から頂いた分け御霊であります。私は志であります。
私は天を敬愛する信心深い人間であり、我欲を行動指針とする真理と感謝を忘れた人間ではございません。
私は自由な人間であり、奴隷ではございません。私は、男です。(または女です)
私は大和心を持ち、調和を大切にします。
私は天とともにあることを証明するために正しい姿勢を保ち、ご照覧あられる天に誠実であり、また、神であるその他の皆様に失礼のないように髪と衣服を整え清潔を保ちます。
何より私は天に従い、天命に人生を委ね志を成すために創造されました。
本日の課題
1:「天よ、私の魂を思いやりをもって本日もお戻しいただきましたこと感謝致します。私は天に順じて本日も生きます。」と、朝、空を見て、あるいは自然を見て、唱えください。
2:あなたの志を立てて下さい。
3:今回の気づきやご感想をコメント欄にシェアして下さい。
昔の人たちの志の言葉を聞いていると
奮い立つものがあります。
何故、昔の人たちはこういった志が
持てるのかを自分なりに考えてみましたが、
物事が今より豊かではなかったからだと思います。
物事が豊かでないから、
・単純に頭を使う時間が長い
・自分が発起人になるしかない
・自分との会話をする機会が多い
と自然になっているのだと思います。
僕は平成の年に生まれて、
すでに物事が豊かになった世界で
生まれています。
なので、中々ここまでの境地に
至ることは容易ではないでしょう。
でも、こうして学習できる環境が
今、スマホの画面を通して出来ている
のはとても素晴らしいことです。
これも何かの運命だと思います。
なので、引き続き学習させていただきます。
いつもありがとうございます。
これまで世界を善悪で捉えすぎていたようです。
視点を変えればどちらも正義だし、お互いにそうなっている理由があります。
争いと不幸を無くすために神に意識を向けた祈りと、自分は何者なのか?というハッキリとした志が大切ですね。
先人達の言葉、生き方、大変身に染みる想いです。
沖縄の民謡に『てぃんさぐぬ花』という歌が有りますが、歌詞の中に
誠するひとぅや
後やいちまでぃん
うむくとぅんかなてぃ
千代ぬさかい
正直な人は
後々いつまでも
願いごとが叶えられ
永遠に栄えるだろう
八田塾で学ぼうと思った初心を忘れず、新しい時代に向けて己の志しをしっかり見詰め生きたいと思います。
日常生活の中で、雑多な事や荒れ事に反応的になり、心がすさみやすいのですが、
先人のように公に資する志を立て、
その実現を想い、ほんの少しでも努力を積んでいくことで、
どんなマイナス現象に巻き込まれても、自分の軸を見失わず、立っていられる、
そのように感じました。
自らの志を立ててみたいと思います。
真にありがとうございます。