タルムードと神道(30):ペスーケイ・デズィムラ(祈りの儀式を始める詩編)

朝の祈りの儀式は一連の詩編(=しへん:旧約聖書にある150篇の神への賛美の詩)とその他の朗読、そして「我らの王よ、あなたの御名は永遠に称えられよ」から始まる祝祷によって始められます。

18の祝祷の順番は使用人と主人の例えで説明できるのですが、これは18章で扱います。

具体的には、まず使用人が主人を称賛し(最初の3つの祝祷)、次に主人に頼みごと(中盤の祝祷)をし、最後に頼みが聞き入れられたことを主人に感謝する(最後の3つの祝祷)という形式です。

称賛と感謝の違いは、称賛は主人の一般的な美点に言及するのに対し、感謝は使用人に対してのみ示された美点について言及します。

この「称賛、頼み、感謝」という構造は、祈りの儀式全体の特徴にもなっています。

タルムードにおいて、ペスーケイ・デズィムラはハレル(賛美)であるとされます。

ペスーケイ・デズィムラの中で、私たちが口にする詩篇の節は、全人類、そしてあらゆる創造物の主人である主を褒め称えるものです。

詩編の中で最も重要なのは、導入部分からアシュレイと呼ばれる145章です。

アシュレイの中心となるのは、「あなたは手を開き、生きとし生けるものの望みを叶えてくださる」という一節です。

これは賛美するに値する、ある意味一般的な認識です。

祈り儀式の終わりに来る2つのセクションと比べてみます。

まず、ケドゥーシャ・デシドラです。

これは、トーラーはユダヤ人特有のものであることを確認するところから始まります。

「あなたとあなたの子孫、そのまた子孫と末代に至るまで」

それからアレイーヌです。

ここでは、他の民族として創られなかったことを主に感謝します。

これは感謝するに値する、具体的な認識の例です。

 

バルーフ・シェーマ

ペスーケイ・デズィムラは、「主がお話しになることで世界は在るようになった」というバルーフ・シェーマの祈りに始まります。

バルーフ・シェーマは起源としての主(主がお話しになることで世界は在るようになった)を称賛し、世界の創造主(主が初めに形作られた)として称賛し、世界の主人(主は言葉と行動で…命じられ、実行された)として称賛し、そして善意ある監督者(主は地と生き物とに慈悲をくださる)として称賛します。

これは、主が単なる抽象的な「最初の起源」(万物の起源)ではなく、ただ時計のネジを巻くように世界を作り放置されたのでもなく(初めの創造主)、主は私たちの主人(命令と実行)であり、主の恵みによって私たちの求めに耳を傾けてくださる(地と生き物とへの慈悲)という信仰を確かなものとしています。

これらは時系列に沿った段階(まず全てが生み出され、次いで形ができ、複雑な宇宙ができ、最後に生き物が生まれた)でありながら、主の恵みの同時発生的な段階でもあります。

最も基礎的な段階としては、主は時間軸に関わらずいつでも宇宙の基本原則でありますが、いつでも主の意志は私たちの世界の枠組みを支えておられ、究極的にはいつでも私たちの不安に寄り添っておられます。

 

ツィツィートを掴むこと

バルーフ・シェーマと唱えるときには前のツィツィートを掴み、その後口づけするのが習わしである。

この習慣は9章で論じた内容の延長線上にあるのかもしれません。

死後も続く魂とは違い、身体はある意味魂を包む「衣服」のようですが、そうであったとしても身体も自分自身の一部です。

同様に、タリート(布製の肩掛け)自体は自分とは別のものですが、これも自分自身と同化するものであり、特に見た目上は自分自身となります。

ツィツィート(角にかぶせるふさ)は、衣服とは別のものですが、主が命じたツィツィートのミツバの効力によって1つに合わさり、戒律に従った衣服となります。

このようにしてツィツィートは主の御意志を象徴し、私たちの内なる精神を外なる世界に向かって拡張することができるようになるのです。

対照的に、祈ることは外なる世界から内側へ入り込み、そして精神的には上方へ引き上がる動きとなります。

ペスーケイ・デズィムラの冒頭においては、祈りによって内側へ入り込み、そして上方へ引っ張ることの象徴としてツィツィートを掴むのです。

ミズモ・レトーダ

多くの共同体では、ミズモ・レトーダ(感謝の歌)を歌うとき、会衆は立ち上がる。

この賛美歌は、シャバット(安息日)、ヨムトブ(祝日)、そしてペサハ(過越祭)の前日には省略される。

これらの日においては神殿において感謝を表すための捧げ物が供されないためである。

ミドラッシュでは、いずれ感謝祭の捧げ物以外の捧げ物は無くなり、感謝の祈り以外の祈りは無くなるだろうと説明しています。

救世主の時代が完全に訪れれば、私たちは主に何も求められなくなりますから、何の請願も必要無くなるからです。

それでも、人々はそれぞれ主の恵みに対する感謝を表すでしょう。

この賛美歌はそもそも「称賛する」(私たち全てに対する主の計らいに感謝の念を示す)ためのものであって、「感謝する」(自分だけに向けられた計らいに感謝する)ためではないのです。

そのため、これをペスーケイ・デズィムラで歌うときには、私たち同士の繋がりが将来十分に強くなり、私たち全てに対する主の計らいを一人一人が体験することができるようになることを願うのです。

トーダー(感謝)の供物は個人的な感謝の表れですが、シャバットやヨムトブは民族全体の感謝を表す機会です。

なので、こうした日にはトーダーの供物は捧げられません。

本日の課題

1:今回の学びで感じたことをシェアしてください。


これまでの「タルムードと神道」の学び

タルムードと神道(1):日ユ同祖論(1)

タルムードと神道(2):日ユ同祖論(2)

タルムードと神道(3):日ユ同祖論(3)

タルムードと神道(4):日ユ同祖論(4)

タルムードと神道(5):日ユ同祖論(5)

タルムードと神道(6):日ユ同祖論(6)

タルムードと神道(7):祈りについて

タルムードと神道(8):朝の目覚め

タルムードと神道(9):朝の目覚め(日本編)

タルムードと神道(10):手を洗い清める

タルムードと神道(11):手を洗い清める(禊)日本人編

タルムードと神道(12):礼儀正しい装い

タルムードと神道(13):礼儀正しさ(日本編)

タルムードと神道(14):排泄行為

タルムードと神道(15):排泄行為(日本編)

タルムードと神道(16):祈りの清浄な場所

タルムードと神道(17):祈りの清浄な場所〈日本編)

タルムードと神道(18):祝祷の掟

タルムードと神道(19):祝祷の掟(日本編)

タルムードと神道(20):朝の祝祷

タルムードと神道(21):朝の祝祷(日本編)

タルムードと神道(22):朝の祈り前の制限事項

タルムードと神道(23):夙起夜寐(シュクキヤビ)

タルムードと神道(24):ツィツィート

タルムードと神道(25):テフィリン(前半)

タルムードと神道(26):テフィリン(後半)

タルムードと神道(27):メズザ

タルムードと神道(28):祈りの準備

タルムードと神道(29):ベイト・クネセトの聖性

2 件のコメント

  • kyorintomo@yahoo.co.jp より:

    インドは階級の社会で乞食、奴隷、貴族などそれぞれがその役割をするのが人生だという不思議なとらえ方をするようです。シャバットやヨムトブでの民族全体の感謝という概念が似ている気がしました。それぞれの立ち位置から正しいことをすれば良いのだと思います。

  • 伊藤 より:

    神道の祈りの言葉にも儀式の際には、「称賛、頼み、感謝」の要素がその順番通りに含まれておりますね。
    また、「ツイツイートが、人の内なる精神を外なる世界に向かって拡散する」というのも私なりの解釈ですが、
    日常生活の仮の我(常識やとらわれ)に浸かっている自分が、
    自分自身の中に内包している真我を外に開いて開放していくための仕組み、と理解しました。
    日常生活の中では、不安や恐怖心に反応的(アウトサイドイン)になってしまいますが、
    いかにそれを内側から外へ(インサイドアウト)へ転換させるか、が課題ですね。
    ちょうど「The secret」を観返しておりましたので、その内容とリンクしている感じがしました。
    ちょっと独りよがりの内容になってしまいまして、申し訳ございません。

  • コメントを残す