タルムードと神道(36):先唱者によるアミダーの復唱

各人が無言の祈りを終えた後、先唱者は全ての祈りを声に出して繰り返します。

会衆の参加者は先唱者のそれぞれの祝祷にアーメンを返します。

本来、先唱者の復唱は、自分で祈ることができない人のために意図されたものでした。

そうした人たちは、先唱者の声に注意深く耳を傾けることで、義務を果たすのです。

後にこの復唱は、祈りの儀式における標準的なパートになりました。

この慣習が出来上がるまでの道のりは、その一歩一歩が私たちに大事なことを教えてくれます。

一般的には、各個人は自分のために祝祷を捧げることになっています。

しかし、「全てのイスラエルの民はお互いに責任を持つ」という一般的な原則があるので、多くの場合ユダヤ人は他の人のために祝祷を捧げます。

特に、祝祷を捧げるべき誰かが正しい言葉を知らない場合などにはそのようにします。

私たちの旅路の次の段階は、このルールは祈りの祝祷には適用されないということを知ることです。

その理由は、祈りはとても個人的なものであるからです。

祈りにおいては、各々が自分のために慈悲を請わなければならない

そうではありますが、集団で祈るとき、ミニヤンがあるときには、先唱者が自身のために祈らなかった人の義務を果たすことができます。

定められた祈りには、個人的な要素と集団のための要素の両方があることを考えれば、このことは説明できます。

個人のレベルでは、それぞれ自身のために慈悲を請わなければならないとしても、集団のレベルでは私たちの祈りは一つになります。

しかし、祈りが集団の祈りとしての特性を持つためには、10人の定足数と先唱者というやり方で唱えられなければなりません。

アミダーを復唱することが自身のために祈れない人たちを考えてのことだったとしても、祈りに必要な性質とは共同体の祈りであり、個人の祈りである沈黙のアミダーとは対照的です。

より弱い共同体のメンバーへの気配りが、一人が会衆全体を代表するという、まったく新しい祈りの側面の基礎を作ることに繋がったのです。

この重要な仕組みは、全ての会衆が自らの祈りを唱えられるときでも保持されます。

このことが示すもう一つの本質的なメッセージは、人間の尊厳の重要さです。

もし集団でのアミダーの祈りが、これを知らない人がいるときにだけ唱えられるとしたら、その人は誰かに祈り方を知らないと尋ねなければならず、気まずく恥ずかしい立場に置かれてしまうでしょう。

 

ケドゥーシャ

先唱者が繰り返す3番目の祝祷がケドゥーシャであり、会衆は各々これに応える。繰り返しの中心となるのはイザヤの預言書にある天使たちの声、「聖なるかな、聖なるかな、聖なるは主なる神」である。

ケドゥーシャの祈りそれ自体が、個人のアミダーとして唱えられるとき、主は地上世界におられるが、族長たちの子孫を導き守るという約束を通して(第一の祝祷)、またこの世界全てのために方便を与えられることを通して(第二の祝祷)、主は依然として聖であり、地上世界とは別に、称揚され、天使たちの上に聖別され、全てのものの上に聖別されるものであることを思い出させるのです。

会衆の祈りとしてはもう一つテーマがあります。

私たち自身を天使に擬えるのです。

一本の真っ直ぐな足を持つ天使のように、足をぴったり付けて真っ直ぐにした上で、「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな」のフレーズを天使のように唱え、つま先で立って体を天に向かって引き上げます。

さらに、祝祷の最初の行は、私たちの主の聖別を天使の聖別に擬えます。

これは、10人の定足数が必要とされることで明らかなように、会衆だからこそできる、自分たちを天使に擬えるということなのです。

私たちの過ちや欠点は個人的なものですが、共同体はその影響を受けません。

さらに、各個人が共同体の一部となることで、個人としての物質的な限界を超越できるという力を示すことになります。

それゆえに、ケドゥーシャは会衆においてのみ唱えられ、各個人は皆これを聞き、応えなければならないのです。

 

本日の課題

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これまでの「タルムードと神道」の学び

タルムードと神道(1):日ユ同祖論(1)

タルムードと神道(2):日ユ同祖論(2)

タルムードと神道(3):日ユ同祖論(3)

タルムードと神道(4):日ユ同祖論(4)

タルムードと神道(5):日ユ同祖論(5)

タルムードと神道(6):日ユ同祖論(6)

タルムードと神道(7):祈りについて

タルムードと神道(8):朝の目覚め

タルムードと神道(9):朝の目覚め(日本編)

タルムードと神道(10):手を洗い清める

タルムードと神道(11):手を洗い清める(禊)日本人編

タルムードと神道(12):礼儀正しい装い

タルムードと神道(13):礼儀正しさ(日本編)

タルムードと神道(14):排泄行為

タルムードと神道(15):排泄行為(日本編)

タルムードと神道(16):祈りの清浄な場所

タルムードと神道(17):祈りの清浄な場所〈日本編)

タルムードと神道(18):祝祷の掟

タルムードと神道(19):祝祷の掟(日本編)

タルムードと神道(20):朝の祝祷

タルムードと神道(21):朝の祝祷(日本編)

タルムードと神道(22):朝の祈り前の制限事項

タルムードと神道(23):夙起夜寐(シュクキヤビ)

タルムードと神道(24):ツィツィート

タルムードと神道(25):テフィリン(前半)

タルムードと神道(26):テフィリン(後半)

タルムードと神道(27):メズザ

タルムードと神道(28):祈りの準備

タルムードと神道(29):ベイト・クネセトの聖性

タルムードと神道(30):ペスーケイ・デズィムラ(祈りの儀式を始める詩編)

タルムードと神道(31):ミニヤンと先唱者

タルムードと神道(32):シェマーとその祈りを中断すること

タルムードと神道(33):シェマーの詠唱(えいしょう)

タルムードと神道(34):テフィラー

タルムードと神道(35):アミダーの祈りへの追加

3 件のコメント

  • zipang044kwsk@au.com より:

    集団的祈りには、10人必要なのですね。
    失われた10支族とも関係があるのかと思いました。
     
    また、「祈り」は非常にパワフルで、
    自身を見つめ直す最大の行為なのだと
    思うようになりました。
     
    ここでも繰り返しが大切なことを
    さりげなく説いていて、
    何回も繰り返すことが本当に大切だと
    刻まれました。
    (イザヤの予言書でも3回繰り返しているので
    3という数字は非常に意味のある深い数字なのだと
    改めて思います)
     
    ありがとうございます。

  • kyorintomo@yahoo.co.jp より:

    「一人はみんなの為に、みんなは一人の為に」というような歌をどこかで聴いたことがあります。この歌の通りになれば美しい社会ですね。そのためには個人が自分の責任に於いた成長が必要であると思います。

  • 伊藤 より:

    「全てのイスラエルの民は、お互いに責任を持つ」という原則は、すなわち、
    「全ての日本人は、お互いに責任を持つ」と置き換えられるでしょう。
    私自身、今まではそのような想いには中々成れませんでしたが、
    これからは、先ず身の回りの人たちに対して、どんな時でも感謝と愛情の祈りを持って接して参ります。

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