タルムードと神道(43):トーラーを学ぶことについての法

トーラーを学ぶことはユダヤの信仰において最も核となる部分です。

トーラーを自身のために研究し、トーラーを作り給うた主なる神との生き生きとした繋がりを得ることの重要性は、一連の法の中からは得られません。

そうであってもなお、トーラーを学ぶことについての法は、ユダヤ教の中心的な柱に正しく近づくための深遠な気づきを与えてくれます。

トーラーを学ぶための時間を決めること

毎日トーラーを学ぶ時間を決め、決めた時間はいかなる時も守らなければなりません。

最も差し迫った必要があるときにしか切り詰めてはなりません。

一日にどれくらいトーラーを学ぶべきなのか、ユダヤ法は具体的な時間を指示していません。

また何を学ぶべきかというガイドラインも義務付けられていません。

強調されているのは、決めたことを守ることと継続することの重要性です。

キツール・シュルハーン・アルーフでは、朝のトーラーを学ぶ時間が5分とも5時間とも示していませんが、その時間は省略してはならず、最も差し迫った必要がある場合のみにしか、短縮してはならないと強固に言っています。

トーラーを学ぼうとする者が最初に行うべきことは、「トーラーを学ぶための時間を決める」ことであると、タルムードの賢人たちは言っています。

決まった時間を設けることは、私たちがトーラーのしもべであることを強調します。

楽しみや利益が得られる他の活動に打ち込むのと同じように、1日中トーラーを学ぶ人もいるかもしれません。

しかし、どれだけ長い時間学んだかという量の上での事実だけでは、義務を果たし、約束を守っていることにはなりません。

逆に、たとえ5分だけでも毎朝毎晩トーラーの学習のために時間を確保することは、日々のスケジュールの中でトーラーの学習を最優先にしているということを明らかに示します。

私たちはこれをエルサレム神殿に対比できます。

エルサレム神殿は数エーカーの広さしかなく、ほとんどの人は限られた時(男性は祭日、女性は子どもを産んだ時か、他に供物を捧げることがある時)にしか訪れません。

※エーカーは、面積の単位で、1エーカーは、およそ4047平方メートル

そうであってもなお、エルサレム神殿のオーラと神聖さは潔白についての厳格なルールによって強化され、イスラエル中の、また世界中のユダヤの人々にとって不可欠な心の拠り所としての神殿の存在に寄与しています。

このことから、トーラーを学ぶために設けた特別な時間は、聖別が持つ特別な意味のために使われるということが伺えます。

一日のうち数時間をトーラーの学びに使える人でも、そのうちの短い時間を最高のレベルの純粋さ、楽しみ、献身で以って学ぶことに費やさなくてはなりません 。

女性がトーラーを学ぶこと

女性はトーラーを学ぶために決まった時間を確保する必要はありませんが、トーラーの教えを守るために役立つ内容を学ぶ必要があります。

トーラーを学ぶことの重要性は、学ばなくてはならないという戒律にのみ限定されるものではありません。

主のしもべとして、生活を全うするための手段としても重要なのです。

書かれたトーラー(聖書)を学ぶことは、民族としてユダヤ人は誰なのか、どこから来たのかという考えを与えてくれます。

そしてもちろん、預言書を読むことで、預言からヒントを得ることができます。

ユダヤ法を学ぶことで、ユダヤ人としての特別な義務を果たすことができます。

ミドラッシュとその他の道徳的な作品を学ぶことで、由緒正しくトーラーに沿った人格を形作ることができます。

そして法に関する著作を深く学ぶことで、命令事項と禁止事項についての背景と意味を知ることができます。

エツロンの学院のラビ・アーロン・リヒテンシュタインは、男性と女性のトーラーの学びの違いについて次のように説明しました。

トーラーには「まことの律法」と「いつくしみの教え」があると言います。

トーラーの学びにおいて、伝統的かつ冷徹な探求方法は、「まことの律法」であり、特定の法の性質を正しく定義するために最大限の努力が払われます。

それとは別に、人格を形成し善行を助けるような学びは「いつくしみの教え」です。

いずれの面も人間の性質の一部であり、どちらの学び方も男性にとっても女性にとっても適当です。

ですが、男性の生来の性格と社会的な役割はより、「まこと」の方に傾いており、女性は「いつくしみ」の方に傾いています。

このことから、理想的なトーラーのカリキュラムはこのバランスを反映すべきだとしています。

グループで学ぶこと、声に出して学ぶこと

トーラーはグループで学ばなければなりません。また、声に出して学ばなければなりません。

グループで学ぶことと言葉を声に出すことで、トーラーとの出会いが生き生きしたものになります。

トーラーを学ぶことは、ただ順守すること以上のものであり、誓約について学ぶことです。

これは大学の図書館における静けさと好対照をなします。

図書館では、学生たちはただ受動的に本から知識を吸収しているだけだからです。

自分の理解を深めるためにトーラーに没頭し、疑問を投げかけることを求められるのですから、トーラーを学ぶ学生が聖なるテキストに対して抱く尊敬の念はとても大きなものです。

こうして、トーラーを学ぶ学生はトーラーを自分の物とし、間違いなく尊重します。

対照的に、無批判に物の見方を受け入れると、テキストや教師の言うままに理解することになり、結局テキスト自体から疎外されることになりがちです。

タルムードでは、トーラーの学識の最高峰である「トーラー・ディレイヒ」を獲得すれば、トーラーが自分の物となるとしています。

なぜなら、深い研究はトーラーと自己のアイデンティティを統合し、もはや単なるトーラーの専門家ではなく、自分自身がトーラーの源となるからです。

一生懸命研究して深遠な理解を得て、難しい点を調和させなければこのレベルの統合は果たされません。

本を開いたままにすること

学習の終わりや休憩の間、本を開いたままにしてはなりません。

このルールは、聖書を軽視することになるという理由によるものです。

一つには、さらしたままになっていると汚れやすく壊れやすいという物理的、実際的な問題があります。

しかし個人的な要素もあり、ほとんどエチケットの問題です。

開かれた本は私たちにその豊富な内容を提供してくれます。

本を開いたままにするのは、この懇願を馬鹿にするようなものなのです。

これでは聖なる本が持つトーラーの宝を意図的に冷遇するようなものです。

本を閉じれば、その豊富な内容は閉じ込められ、威厳ある姿に覆われます。

こうなればもはや「物乞い」のような姿ではありません。

これはまた、この章の冒頭で話した、決まった時間にも関係しています。

決まった時間を設定することは、トーラーに従属することを意味します。

本を開けたままにすることは、トーラーが自分に仕えているかのように見えます。

後の賢人たちは、忘れやすさの問題について言及しました。

これはつまり、人は重視していないものについては簡単に忘れるということに関係しています。

苦労して手に入れたものなら、やはり苦労して保とうとします。

反対に、必要に迫られても拒むようなものは、熱心に守ることはないでしょう。

しおりを挟んで本を閉じることは、本に対する敬意があるやり方ですし、学習にきちんと区切りをつけ、次に本を開くときに素早く再開できることにもなります。

他のことを終えて帰ってきたときに、すぐさま飛びつけるように本を開けたままにしておくことは、手順を端折ることになります。

 

本日の課題

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これまでの「タルムードと神道」の学び

タルムードと神道(1):日ユ同祖論(1)

タルムードと神道(2):日ユ同祖論(2)

タルムードと神道(3):日ユ同祖論(3)

タルムードと神道(4):日ユ同祖論(4)

タルムードと神道(5):日ユ同祖論(5)

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タルムードと神道(26):テフィリン(後半)

タルムードと神道(27):メズザ

タルムードと神道(28):祈りの準備

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タルムードと神道(33):シェマーの詠唱(えいしょう)

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タルムードと神道(36):先唱者によるアミダーの復唱

タルムードと神道(37):埋め合わせの祈り

タルムードと神道(38):タファナン(懺悔の祈り)

タルムードと神道(39):週日のトーラー朗読

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タルムードと神道(42):会葬者のカディシュ

1 個のコメント

  • kyorintomo@yahoo.co.jp より:

    トーラーを学ぶ時間を決めることが第一歩ですね。我が身に置き換えて考えたときに、この第一歩が一番難しいと思いました。踏み出すか踏み出さないかが分かれ道なのかも知れません。この課題に対してはベイビーステップをやってはいけないような気がします。神はやさしいが厳しいです。

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