タルムードと神道(96):シャバットにおけるトーラーの朗読

シャバットの朝にパラシャーを読むこと。

すべての会衆はシャバットの朝ごとに一つの割り当て分を読み終え、一年間でトーラー全てを読み終える。

「キドゥーシュ」で、トーラーがシャバットに与えられたという伝承の重要性を説明しました。

仕事日の関心事に気を取られていては、私たちはトーラーの精神的なメッセージを吸収するための心の準備ができません。

同じ理由から、皆で集まってトーラーを読む最初の日がシャバットであるのはごく自然なことです。

加えて、シャバットの朝が特にマタン・トーラー(トーラーが与えられた)の時間に対応することを指摘しました。

このことは、トーラーを読む時間がほとんど朝であることに意義を与えています。

最後に、トーラーの朗読に関わる多くの慣習は、23章で学んだように、マタン・トーラーをある意味で再現しようと試みるものです。

 

シャバットにおけるアリヨの数と順番

トーラーを読むために呼ばれる人数は、その日の重要さと聖性によって決まっています。

普通の平日には、3名がトーラーを読むために呼ばれます。

ロシュ・ホデシュとホール・ハモエドには4名です。

ヨム・トヴには5名で、ヨム・キプールが6名となります。

シャバットには、7名のアリヨがいます。

これは一週間の日数に対応しており、シャバットの重要性が一週間全体に匹敵することを示しています。

さらに、他の日ならば人数を加えることを控えますが、シャバットにおいてはより多くの人を称えたければ人数に加えることができます。

もっとも単純なレベルでは、他の日に人数を加えることはより神聖な日の領分を侵すからだと言えます。

普通の日に4人を呼ぶとロシュ・ホデシュのようになり、ロシュ・ホデシュに5人を呼べばヨム・トヴのようになるということです。

シャバットにおいては混同のおそれはありません。

 

無限の「嗣業(しぎょう)」

このルールにはより深い意味があります。

預言者イザヤは、シャバットを楽しむ者は皆ヤコブの嗣業を楽しむのだと言います。

タルムードは、アブラハムとイサクに対してなされた約束に制限があった一方で、主はヤコブを「西、東、北、南にひろがる」であろうと祝福しました。

ヤコブの嗣業に対する約束は、シャバットに楽しみを見出す人は無限の嗣業(ナファラ・ベリ・メツァリム)を受け取ることを暗示しています。

平日や、あるいはヨム・トヴにおいてさえ、完全に仕事を控えることができていない場合は、私たちはある程度物質的な現実の制限を受けています。

これは、通常の空間が持つ方向の数を表す数字である6に象徴されます(3つの次元がそれぞれ2つの方向を持つため)。

しかしシャバットにおいては、私たちは世俗の現実への服従から解放され、より高い、精神的な地平へと向上します。

この向上はシャバットにもう一つの魂を受け取るという考え、またその時に広げられる「平和の覆い」という考え方に表れています。

一度この世界の制限を超えたならば、全ての制約と限界は意味を失くします。

私たちは空間と数字の限界を超えて、無限の嗣業を体験します。

シャバットの数字である「7」に到達すれば、それは思い通りの数字に到達する能力を得ることなのです。

 

アリヤーの栄誉を受ける上で優先されること

結婚式、バル・ミツバ、誕生、周忌など、特殊な出来事のおかげでアリヤーの栄誉を受ける人もいます。

これらの出来事がアリヤーに値することは、トーラーを与えしお方が幸福と祝福の水面であることを思い、私たちが全ての楽しみをトーラーに結びつけることを示しています。

加えて、タルムードは常にこの栄誉に値する共同体の特定の指導者を列挙しています。

共同体から指名されたトーラー学者、指導者の資質を備えたトーラー学者、そうした学者の息子、そして他の共同体の指導者です。

「指導者の資質を備えたトーラー学者」という考えは、世俗の指導者という立場でさえ、トーラーに関して偉大な人物に占められるのが理想であることを暗示しています。

トーラーの学識とは、単に特定の法的な知識そのものを修めることを言うのではありません。

トーラーの学識は精神的、道徳的な向上をもたらし、そのことによって指導者に不可欠な特別な洞察力と責任が得られるのです。

 

アリヨの順番

通常二人のアリヨが特別な栄誉として選び出される。

第三のアリヤー、トーラー学者。

アシュケナージの共同体においては、もっとも栄誉ある朗読は三番目です。

最初の朗読箇所は祭司のものであり、二番目はレビのものです。

次に呼ばれる人が、家系に関係なく彼自身の価値のみによって栄誉を受ける人になります。

こちらのほうが栄誉は大きいです。

ミシュナーはユダヤ人を世襲の地位によって並べています。

この順番は栄誉が与えられる順番だけでなく、たとえば、喜捨の資金に限りがある時の共同体の支援の優先順位を決める時にも重要です。

祭司はレビに勝り、レビは一般のイスラエルよりも優先されます。

また、生まれながらのユダヤ人は改宗者よりも優先される、という具合です。

しかしミシュナーは、この順番が適用されるのはトーラーの学識が同一である場合のみであると続けています。

ですが、どちらか一方がトーラー学者であれば、「トーラー学者であるマムゼールが無知な高位の司祭にも勝る」としています。

 

第六のアリヤー、ツァディーク(Tzaddik)

セファルディの共同体において、もっとも栄誉があるとされるアリヤーは六番目です。

これはゾハールの中の、六番目はツァディーク、すなわち聖なる人であるという節に由来します。

六番目が重要であることを理解するためのヒントの一つは、これが最後から二番目の読み手であるということです。

ゾハールの世界観は、神の高貴な意志と人間のための計画を伝える精神的な世界の一連の委譲が、やがて最後に私たちの世俗の世界において実現するというものです。

この独特で素晴らしい精神的な世界観に従えば、物質と精神は二分されるものではなく、精神性の範疇で別々の位置を占めるものであることになります。

物質と精神はその程度によって区別され、双方の間には繋がりがあり、その繋がりのおかげで神の意志が世界に届き、影響を与えることができるのです。

この物質と精神の繋がりを例示するのがツァディークです。

聖なる人はこの世界から十分に距離を置き、より高い精神性と聖性のうちに住まっています。

しかし、彼は主の意志を示す媒介として働くために、しっかりとこの世界と繋がっています。

彼は、より高次の世界に属しながらもこの世界に接している、最後から二番目の鎖の結び目なのです。

ツァディークがいなければ、私たちの世界は存在できません。

主が人間ために精巧に描かれた精神的な設計図は、精神の世界とは遠い無関係なものではなく、私たちに密接に関係があり、結びついているものだということを思い出させてくれる、こうした少数の全き人がいなければ、毎日の生活の中で役立てられないでしょう。

タルムードでは、賢人ハニナ・ベン・ドサの時代は、シャバットからシャバットまでの間に一定のイナゴマメだけを食べていたレベ・ハニナのおかげで、全世界が生存する価値があったと言っています。

これは、ツァディークが世界から一定の距離を置くことで、世界を養い、維持することができるという考えの一例です。

この習慣はまた、どんな試みにおいても最後から二番目が重要であることを思い出させます。

最後の1プレイで決勝点を勝ち得たプレーヤーは、その得点が決まるまで互角だった対戦相手がいてこそヒーローとなれるのです。

 

本日の課題

1:今回の学びで感じたことをシェアしてください。


これまでの「タルムードと神道」の学び

タルムードと神道(1):日ユ同祖論(1)

タルムードと神道(2):日ユ同祖論(2)

タルムードと神道(3):日ユ同祖論(3)

タルムードと神道(4):日ユ同祖論(4)

タルムードと神道(5):日ユ同祖論(5)

タルムードと神道(6):日ユ同祖論(6)

タルムードと神道(7):祈りについて

タルムードと神道(8):朝の目覚め

タルムードと神道(9):朝の目覚め(日本編)

タルムードと神道(10):手を洗い清める

タルムードと神道(11):手を洗い清める(禊)日本人編

タルムードと神道(12):礼儀正しい装い

タルムードと神道(13):礼儀正しさ(日本編)

タルムードと神道(14):排泄行為

タルムードと神道(15):排泄行為(日本編)

タルムードと神道(16):祈りの清浄な場所

タルムードと神道(17):祈りの清浄な場所〈日本編)

タルムードと神道(18):祝祷の掟

タルムードと神道(19):祝祷の掟(日本編)

タルムードと神道(20):朝の祝祷

タルムードと神道(21):朝の祝祷(日本編)

タルムードと神道(22):朝の祈り前の制限事項

タルムードと神道(23):夙起夜寐(シュクキヤビ)

タルムードと神道(24):ツィツィート

タルムードと神道(25):テフィリン(前半)

タルムードと神道(26):テフィリン(後半)

タルムードと神道(27):メズザ

タルムードと神道(28):祈りの準備

タルムードと神道(29):ベイト・クネセトの聖性

タルムードと神道(30):ペスーケイ・デズィムラ(祈りの儀式を始める詩編)

タルムードと神道(31):ミニヤンと先唱者

タルムードと神道(32):シェマーとその祈りを中断すること

タルムードと神道(33):シェマーの詠唱(えいしょう)

タルムードと神道(34):テフィラー

タルムードと神道(35):アミダーの祈りへの追加

タルムードと神道(36):先唱者によるアミダーの復唱

タルムードと神道(37):埋め合わせの祈り

タルムードと神道(38):タファナン(懺悔の祈り)

タルムードと神道(39):週日のトーラー朗読

タルムードと神道(40):完全なトーラーの巻物を書くこと

タルムードと神道(41):ケドゥーシャ・ディシドラとアレイヌ

タルムードと神道(42):会葬者のカディシュ

タルムードと神道(43):トーラーを学ぶことについての法

タルムードと神道(44):☆神道と儒教

タルムードと神道(45):トーラーの巻物を書くこと、トーラーの本を得ること

タルムードと神道(46):正しい行い

タルムードと神道(47):否定的な発言を避けること

タルムードと神道(48):天のために行動すること

タルムードと神道(49):正しく体をケアすること

タルムードと神道(50):危険な行い

タルムードと神道(51):喜捨(きしゃ)の法

タルムードと神道(52):ハッラーの法

タルムードと神道(53):肉に塩を振ること

タルムードと神道(54):食事の道具を水に浸すこと

タルムードと神道(55):非ユダヤ人が整えた食べ物

タルムードと神道(56):食事の前に食べること

タルムードと神道(57):☆儒教と神道を合体させた理由

タルムードと神道(58):パンを食べるために手を洗うこと

タルムードと神道(59):パンをちぎること

タルムードと神道(60):食事の間の振る舞い

タルムードと神道(61):食事中に祝祷を必要とする食べ物

タルムードと神道(62):食後の祈り

タルムードと神道(63):ツィムーン

タルムードと神道(64):禁止された食べ物

タルムードと神道(65):非ユダヤ人のワイン

タルムードと神道(66):焼かれた食べ物についての祝祷

タルムードと神道(67):ワインについての祝祷

タルムードと神道(68):食事の前の祝祷

タルムードと神道(69):結びの祝祷

タルムードと神道(70):食べ物についての祝祷

タルムードと神道(71):果物のジュースと野菜のゆで汁

タルムードと神道(72):中心となる食べ物と従属する食べ物

タルムードと神道(73):食べる前の祝祷の順番

タルムードと神道(74):正しく唱えられなかった祝祷

タルムードと神道(75):追加の料理についての祝祷

タルムードと神道(76):香りについての祝祷

タルムードと神道(77):喜びと悲しみについての祝祷

タルムードと神道(78):自然の驚異についての祝祷

タルムードと神道(79):特別な助けに対する感謝とその助けを求めること

タルムードと神道(80):商売の上での公平な取引

タルムードと神道(81):圧迫的な言葉と他人を欺くこと

タルムードと神道(82):禁じられた食べ物を事業で扱うこと

タルムードと神道(83):禁じられた金利についての法

タルムードと神道(84):融資におけるパートナーシップ上の許容

タルムードと神道(85):誓約と誓い

タルムードと神道(86):旅行者の祈り

タルムードと神道(87):午後の祈り

タルムードと神道(88):夜の祈り

タルムードと神道(89):夜の行い

タルムードと神道(90):シャバットの聖性

タルムードと神道(91):シャバットに非ユダヤ人によって為された仕事

タルムードと神道(92):シャバットの前に船に乗ること

タルムードと神道(93):シャバットの明かり

タルムードと神道(94):シャバットの祈り

タルムードと神道(95):キドゥーシュ

コメントを残す