タルムードと神道(68):食事の前の祝祷

正しい祝祷を捧げるまでは、いかなる食べ物も飲み物も楽しんではなりません。

タルムードでは、食事の前に祝祷を捧げる義務の根拠について様々な想定を示しています。

賢人の一人サムエルは、祝祷無しで食べ物を楽しむことは、聖域の聖別された財産から禁じられた利益を得ることと同じであるとしています。

彼が根拠としているのは、「世界と、そのなかに住む者とは主のものである」という賛美歌の一節です。

祝祷を唱える前までは、全ては主なる神のものなのです。

別の節では、「天は主の天である。しかし地は人の子らに与えられた」とされています。

祝祷を唱えた後、主は地を私たちに与えられるのです 。

ラビ・ユダは、食べ物を食べる前に祝祷が必要なのは、トーラーを学ぶ前に祝祷が必要であることと同じだとしています。

エルサレム・タルムードではこの比喩をさらに拡大し、食事の前の祝祷とミツバを実践する前の祝祷を対比しています。

これら全ての記載は、食べ物と他の楽しみが非常に神聖なものであることを示唆しているようです。

サムエルのアプローチは、これらを神殿における聖別された財産に擬えています。

ラビ・ユダはなんと聖なるトーラーに擬えています。

世界はあさましいものではなく、実際には聖なるもので満たされているので、ここから利益を得ることは禁じられているのです。

祝祷を唱えることで何故、聖なるものから利益を得ることが許されるのでしょうか。

これは、サムエルが持ち出した「聖別された財産」という例えから知ることができます。

聖別された財産を使うことが許容されるには二通りの方法があります。

一つは、これを受け出して聖性を取り去ることです。

もう一つは、その使い方自体が聖であるような使い方をすることです。

財産を神殿に寄進することは聖別される行為ですが、これが売られれば普通の財産になります。

生贄に仕立てられた動物はその聖性を失うことはありませんが、祭壇に供されれば、神聖さと清浄さの下で食べられることになります。

つまり、聖別された財産を自分たちのために使うには、その地位を低くするか、あるいは私たち自身を高めれば良いのです。

祝祷を唱えることにはもう一つの役割があります。

ユダヤ教では、神聖であることは普段の経験と別物であるとは考えていません。

それどころか、普段の経験の中に表れることで具体化するものであるとされています。

リンゴに隠された神聖さは、それを食べることから得る楽しみと栄養、そしてその中に神の導きを見出すことによって反映されるのです。

食べる度に神の導きを思い出すのであれば、リンゴは私たちを高め、神のことを思い出させてくれるための道具だということになります。

この思い出すという行為を実践するのが祝祷なのです。

祝祷を唱えることで食べる物全てがある種の供物になり、世俗的なものを神聖な儀式の一部にまで引き上げます。

主の導きを認識し感謝するための方法として、主は私たちに身体的な喜びを与えられました。

物質的な喜びは私たちの精神的な強い願望を呼び起こし、それによって主のことを思い出すことができます。

反対に、身体的に放縦が過ぎると、精神的な喜びが余分なもののように思われ、この地上世界だけが全てであるように考えてしまいます。

しかし私たちは、本来神の領地に属する食べ物を取ってきて、いわば「盗んで」いるのです。

何かを食べるたびに、それが主なる神から与えられたものであることを思い出すのであれば、食事は私たちを高めてくれるでしょう。

それを思わずに食べるのであれば、食事は私たちを貶めるだけです。

 

食べ物と祝祷とを結びつけること

食べ物は祝祷の後直ちに食べなければならず、その合間は可能な限り短くしなければならない。

この考えについては「パンをちぎること」で説明しました。

まず、捧げる対象を持たない空虚な祝祷が厳しく禁じられていることをお話ししました。

例えば、果物を食べるわけではないのに「果物の木を創られた主」と唱えるような場合です。

そのような祈りは主への賛美をこの世界から切り離してしまいます。

それが許容されるのであれば、私たちは俗世での経験と無関係に主を賞賛できることになってしまうのです。

しかしトーラーの目的は、この世界と聖なるものを結びつけることであり、私たちの経験の中にある神聖さを明らかにすることです。

神の導きと出会う機会において、神への感謝を捧げることで結びつきが生まれ、そのことによってトーラーの目的が達成されます。

例えば、世俗的な楽しみについて祝祷を捧げるようにです。

地上における経験の根底に主への称賛を置く必要があることが分かれば、数限りなくある地上の経験と祝祷をできるだけ近しく結びつける必要があることも分かります。

楽しみから離れたところで祝祷を捧げるのは、全く楽しみの無いところで祝祷を捧げるよりは幾らかはましです。

この結びつきの重要性は、法の多くのルールを説明しています。

なぜ祝祷の文言を食べている物と出来る限り合わせなくてはならないのか、なぜ祝祷の後出来る限り速やかに食べなくてはならないのか、また、一つの場所と時間で食べなくてはならないというルールもこれによって説明できます。

あまりにもいろんな場所を動き回ってしまったら、食べ物と祝祷の結びつきが弱まってしまうのです。

本日の課題

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これまでの「タルムードと神道」の学び

タルムードと神道(1):日ユ同祖論(1)

タルムードと神道(2):日ユ同祖論(2)

タルムードと神道(3):日ユ同祖論(3)

タルムードと神道(4):日ユ同祖論(4)

タルムードと神道(5):日ユ同祖論(5)

タルムードと神道(6):日ユ同祖論(6)

タルムードと神道(7):祈りについて

タルムードと神道(8):朝の目覚め

タルムードと神道(9):朝の目覚め(日本編)

タルムードと神道(10):手を洗い清める

タルムードと神道(11):手を洗い清める(禊)日本人編

タルムードと神道(12):礼儀正しい装い

タルムードと神道(13):礼儀正しさ(日本編)

タルムードと神道(14):排泄行為

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タルムードと神道(16):祈りの清浄な場所

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タルムードと神道(19):祝祷の掟(日本編)

タルムードと神道(20):朝の祝祷

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タルムードと神道(33):シェマーの詠唱(えいしょう)

タルムードと神道(34):テフィラー

タルムードと神道(35):アミダーの祈りへの追加

タルムードと神道(36):先唱者によるアミダーの復唱

タルムードと神道(37):埋め合わせの祈り

タルムードと神道(38):タファナン(懺悔の祈り)

タルムードと神道(39):週日のトーラー朗読

タルムードと神道(40):完全なトーラーの巻物を書くこと

タルムードと神道(41):ケドゥーシャ・ディシドラとアレイヌ

タルムードと神道(42):会葬者のカディシュ

タルムードと神道(43):トーラーを学ぶことについての法

タルムードと神道(44):☆神道と儒教

タルムードと神道(45):トーラーの巻物を書くこと、トーラーの本を得ること

タルムードと神道(46):正しい行い

タルムードと神道(47):否定的な発言を避けること

タルムードと神道(48):天のために行動すること

タルムードと神道(49):正しく体をケアすること

タルムードと神道(50):危険な行い

タルムードと神道(51):喜捨(きしゃ)の法

タルムードと神道(52):ハッラーの法

タルムードと神道(53):肉に塩を振ること

タルムードと神道(54):食事の道具を水に浸すこと

タルムードと神道(55):非ユダヤ人が整えた食べ物

タルムードと神道(56):食事の前に食べること

タルムードと神道(57):☆儒教と神道を合体させた理由

タルムードと神道(58):パンを食べるために手を洗うこと

タルムードと神道(59):パンをちぎること

タルムードと神道(60):食事の間の振る舞い

タルムードと神道(61):食事中に祝祷を必要とする食べ物

タルムードと神道(62):食後の祈り

タルムードと神道(63):ツィムーン

タルムードと神道(64):禁止された食べ物

タルムードと神道(65):非ユダヤ人のワイン

タルムードと神道(66):焼かれた食べ物についての祝祷

タルムードと神道(67):ワインについての祝祷

1 個のコメント

  • kyorintomo@yahoo.co.jp より:

    食事の時に以前より神に感謝を意識するようになりました。私個人で生み出せるものは何ひとつありませんので全て感謝ですね。

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