タルムードと神道(24):ツィツィート

ユダヤでは、4つの角がある衣服を着るときは、その角にツィツィート…つまり、房(ふさ)を付けなければなりません。
全ての戒律と比べても、ツィツィートに関わるミツバは特別に重要性だとされています。

ツィツィートのある衣服

「あなたがたがその房を見て、主(神)の諸々の戒めを思い起す」とあるように、この房を見て全ての戒律を思い出すことができるということが理由の一つです。

これは何かやることを思い出すために、人が指に結びつける糸に例えられることもあります。

実際、ツィツィートを身につけていたお陰で、トーラーに定められた道を外れることを免れた人の話は数多くあります。

また、この房は周りの人に主の下僕(しもべ)であることを示すために身につける特別な記章とも比較されます。

衣服の端

房はトーラーでは「翼」と呼ぶ衣服の外側の角に付けなければなりません。かといって一番端には付けず、少し余白を残す必要があります。

衣服の端に付けられて、外側に向かって垂らされた房は、世界に向かって開かれていることと、世界に手を延べていることを示唆します。

これは世界から身体を覆い隠し、身を守るために内部が二重になっている鎧(よろい)とも対比することができます。

より具体的には、ツィツィートの戒律は、私たちの魂の在り方自体を拡張するという考えを表しています。

私たちの魂は、魂の世界には留まっておらず、私たちの身体をこの世界で生きるための力とするために宿っています。

その身体は衣服に覆われています。

衣服が身を守ってくれるお陰で、私たちはこの世界で活動する力を得ることができます。

また、品位と装飾のお陰で、主に相対する身の表し方ができます。

注目すべきことに、「ミツバの効果によってツィツィートが服の一部分となっている」と祝祷では述べています。

つまり、ミツバが世界に手を延べて聖なるもので満たす私たちの能力を拡張しているということになります。

もしそうであれば、ツィツィートは衣服の端に近すぎてはいけません。

服の布地にしっかりと固定されていない限り、私たちの精神の渡し手として十分に機能することはできないはずですから。

衣服の寸法

ツィツィートに係るミツバに従うためには、衣服は胴を覆うだけの最小限の寸法にしなくてはなりません。
この法も同じアプローチで理解できます。

もし、タリート(布製の肩掛け)が最低限の範囲を覆えていなかったら、着ている人間の精神を十分に包むことはできない…そうなれば、ツィツィートが持つ精神の届く範囲を拡張するという象徴的な意味は失われてしまいます。

タリート

衣服ではないものにツィツィートを結びつける

この房が戒律を満たしていると言えるのは、あらかじめこれが必要である衣服に結びつけられたときのみです。

もし房を先に結びつけ、後で衣服を作るようなとき、例えばまだ衣服ではない2つのものを後で縫い合わせるようなときは戒律の要件を満たしません。

これは「ta’aseh velo min he’asui」として知られる一般的な原則の一例です。

つまり、トーラーが私たちに教えるのは行動の結果だけではなく、行動の中身そのものだということです。

この原則のもう一つ有名な例は、仮庵(かりいお)です。

補足
仮庵とは、農作物などの見張りや収穫・保管などのための仮の小屋。

ユダヤでは、仮庵祭というのがあり、これは一般に太陽暦10月頃に行われる祭り。
ユダヤ教の三大祭りの一つで、ユダヤの祖先がエジプトから脱出後、荒野を彷徨った生活を記念して、野外に仮小屋を設けて起居し、秋のぶどうや他の果実の収穫を神に感謝する祭り。

屋根を藁葺(わらぶき)にするときには、藁葺から先に作るのではなく、先ず建物を作れという教えです。

衣服に房を結び付けるのも、屋根を藁葺にするのも、容態を変化させる試みです。

普通の衣服が主の支配の証に変容し、普通の建物が主の導きと守護の象徴に変容するのです。

そのような象徴が、「結果ではなく行動の中身」の原則を教えています。

私たちは、ごく普通のものがこのように変容することを示す必要があります。

義務が課される時間帯及び女性の義務

ツィツィートのミツバは、基本的に日中に適用されます。夜間における夜着はこれを免れます。また、夜間に日中の衣服を着用する場合はこの限りではありません。

これは、女性が免除されている時間に制限のある戒律であることを踏まえています。

ここまで、ツィツィートの象徴的意味は、拡張と手を延べることだと説明してきました。

夜は行動を控えて内にこもる時間なので、ツィツィートについての基本的な戒律が日中にのみ課されるのは自然なことです。

また、トーラーは男性の役割に対して女性の役割は一般に内向きであると書いてあるので、外に向けられたツィツィートのミツバが基本的に男性を対象としていることも自然です。

許可を得ずにタリートを借りること

基本的にユダヤの法は、許可なく物を借りることについて非常に厳しいですが、そこには例外があります。

「持てるものによりミツバを満たすことができる人は幸いである」・・・すなわち、持ち主が同意することが明らかで、持ち主に何の損が無いのであれば、許可を得ずともタリートを借りることができるのです。

これは法的な観点だけでなく、心理的な面からも推定できます。

人間は主の戒律を守ることに誰かが参画できるならば満足します。

人としての尊厳

自分のタリートが儀式に適していなかったとしても、彼は人の尊厳のためにその不十分なタリートを着るでしょう。

一般的に人の品位は次のようなときに現れます。

ラビによる戒律を犯したり、トーラーのミツバを守ることができずに悔しい思いをしたりするときです。

主の姿に似せて創られた人間が、本来持っている尊厳を守ることは、ユダヤ法において特別な価値を持ちます。

トーラーのミツバは、私たちが人として持っている価値を出来る限り完全な形で表現することを意図しています。

この価値を守るために、私たちは柔軟に対応します。

 

本日の課題

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これまでの「タルムードと神道」の学び

タルムードと神道(1):日ユ同祖論(1)

タルムードと神道(2):日ユ同祖論(2)

タルムードと神道(3):日ユ同祖論(3)

タルムードと神道(4):日ユ同祖論(4)

タルムードと神道(5):日ユ同祖論(5)

タルムードと神道(6):日ユ同祖論(6)

タルムードと神道(7):祈りについて

タルムードと神道(8):朝の目覚め

タルムードと神道(9):朝の目覚め(日本編)

タルムードと神道(10):手を洗い清める

タルムードと神道(11):手を洗い清める(禊)日本人編

タルムードと神道(12):礼儀正しい装い

タルムードと神道(13):礼儀正しさ(日本編)

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2 件のコメント

  • kyorintomo@yahoo.co.jp より:

    見た目が同じでも中身が違うものはよくあります。ツィツィートは結果ではなく行動の中身が重要だという戒めですね。

  • 伊藤 より:

    ユダヤの戒律は、神様に導かれていく働きがあるが、厳格なだけでなく、神様への想いが伴っていれば柔軟な対応も許される、
    ということでしょうか。
    ただ、今までの学びからは、ユダヤ=一神教(厳格性)、日本(神道)=多神教(寛容性)というイメージがありますね。

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