タルムードと神道(98):シャバットに禁じられている労働

禁じられた労働についての導入

39の禁じられた労働

十戒において、シャバットにメラハーを行うことは禁じられていました。

主が第七日に創造を止められたことを記念するために、シャバットには創造的な仕事を止めなくてはなりません。

しかしトーラーは、何がメラハーに当たるのか明らかにしませんでした。

賢人たちは禁じられたメラハーとはつまり、会見の幕屋(タバナクル)を造営するために必要な労働であるとしました。

このことから、人間について言えば、神殿を造営する仕事は世界を創造する仕事に対比できるということになります。

この対比について検証します。

信仰心の篤い人は時として、なぜ手の込んだ祈りの場所が必要なのかと問いかけたくなります。

結局、神はいたるところに見ることができるからです。

なぜ神を信仰するために趣向を凝らした建物を建てる必要があるのでしょうか。

実際、まさにこの理由から多くの信仰のグループが集団での祈りの場所としてシンプルな、気取らない場を好み、あるいは集団での祈り自体を免除している場合もあります。

無限なる神がなぜレンガとモルタルでできた住まいを必要とするのかと問いかけるからには、より基本的な質問を考えなくてはなりません。

それは、なぜ無限なる神が物理的な世界を必要とするのか、ということです。

彼が自然に持っている美しさにはもっとも精巧に作られた信仰の場など到底及ばないのに、なぜ神はわざわざ世界を創られたのでしょうか。

ミドラッシュでは、主が世界を創られた時、主は物質世界においてさえも安らげるように、「地下の住まい」を求められたと説明しています。

世界の全ては主が住まわれるための、聖なる神の聖域として創られたものなのです。

しかしアダムが罪を犯し、神はこの世界を去られて、続く世代の継続的な不行跡によってシェキナー(神の存在)はどんどん遠くなってしまいました。

しかし族長たちがこの流れを変え、タバナクルの造営を頂点とする主に近づくための工程を整理し、それが主の存在を再び地下の世界に取り戻すことになりました。

タバナクルの建設は、世界の創造そのものと同じ目的を達成しようと意図されたものであることが分かります。

つまり、物質世界において主の存在が住まわれる場所を提供するという目的です。

実際、タバナクルが建設されて以来、主の存在が世界から遠く離れたことは無いのですから、最初の創造が失敗したことにタバナクルは成功したと言えます。

そしてまさにこの理由から、聖域を造営するための仕事はシャバットには止めなければなりません。

トーラーでは、「あなたがたはわたしの安息日を守り、わたしの聖所を敬わなければならない。わたしは主である。」と言っており、賢人たちはこの記載から、シャバットに聖所を建設することが禁じられていると推測しています。

こう考えると、私たちはタバナクル(または神殿)を造営することが、主が世界を創られた時に始められた、人間の中に神が住まわれる場所を作るという仕事の続きであることを示しています。

だからこそ、主が彼の創造をシャバットに止められたように、私たちも創造を止めるのです。

もちろん、シャバットには聖所を建設することだけを控えるわけではありません。

私たちの毎日の仕事も休みます。

しかし、これらの世俗の仕事を聖所建設のための仕事に関連付けることで、私たちの平日における仕事全てが、最終的には世界を神にとってふさわしい場所にするためのものであることを示しています。

精神的な修繕は物理的な修繕と密接に結びついています。

トーラーの法と正しい意図に従って平日の関心事に対応することで、私たちの世界に神の住まいを作るのです。

39の禁じられた労働を会見の幕屋(タバナクル)の造営に関連付けることで、賢人たちはこれらの仕事が、あまりに汚れたものであるからシャバットに禁じられているわけではないということを教えています。

それどころか、これはあまりに神聖なものであるから禁じられているのです。

私たちの普段の仕事は、神の聖所を作るための私たちなりの方法なのです。

そうであっても、聖所を作る仕事をシャバットに休むように、また主が世界を創造するのを最初のシャバットに休まれたように、シャバットには私たちの仕事は休まなければなりません。

世界を修繕する努力とともに、これらの努力には将来の「すべてがシャバットである日」という最終目標があることを念頭に置く必要があり、またその日に向けてきちんと準備をするためにもサンプルとしてのシャバットをしっかり体験する必要があるのです。

 

聖所建設のための仕事

聖所建設における重要性から選ばれた39の典型的なメラホート(労働)は、普通の産業においても実際に同じ重要性を持っています。

これは何も驚くべきことではありません。

幕屋の設計と信仰は普通の住居における構造と活動を思い出させます。

神殿の儀式の中心は生贄が捧げられる祭壇ですが、祭壇を構成するのはパンと油(食事の供え)、ワイン(献酒)、コーシャーの肉(動物の生贄)であり、これらは普通に主食として食べる物です。

実際、供物の基本的な条件として、通常食べられている食べ物を供えなければなりません。

主が私たちに、日々の活動を思い出すことで主に仕えるように命じられた時、彼は私たちの全ての普段の活動が引き上げられ、主への務めとしてなされる可能性があることを示唆しました。

究極的には、シャバットにあらゆる世俗的な労働を控えることで、こういった仕事が神の存在にふさわしい場所として聖域を整えるためになされたことを思い出し、また、平日に私たちがする同じ種類の仕事は同様に、シェキナーを受け入れるにふさわしい場所として世界を整えるためのものであることを思い出すのです。

 

どのような仕事が含まれるのか

ミシュナーでは、トーラーの法によってシャバットに禁じられている39の典型的な労働を列挙しています。

この労働のほとんどは、古い時代にもっとも重要とされた3つの産業に対応する3つのカテゴリーに分類されます。

食べ物のカテゴリーには基本的な農作業が含まれます。

1.耕すこと

2.種をまくこと

3.収穫すること、

4.積み上げること

5.脱穀すること

6.もみ殻を吹き分けること

7.選別すること

それから料理に関する基本的な労働が含まれます。

8.挽くこと

9.ふるいにかけること

10.捏ねること

11.焼くこと、または調理すること。

織物のカテゴリーに含まれるのは、

12.毛を刈ること

13.漂白すること

14.ほぐすこと

15.染めること

16.紡ぐこと

17-20.織機で織ることに関わる4つの労働

21.結ぶこと

22.ほどくこと

23.縫製すること

24.縫い目をほどくこと。

皮を扱う仕事のカテゴリーに含まれるのは、

25.獲物を捕らえること

26.屠殺すること

27.皮を剥ぐこと

28.なめすこと

29.刻印すること

30.延ばすこと

31.切ること。

加えて、以下の対になっているメラホートがあります。

32.書くこと

33.消すこと

34.建設すること

35.壊すこと

36.火をつけること

37.日を消すこと(先に挙げた21から24も対になっています。)

最後に、

38.手仕事の仕上げ一般

39.何かを一つの場所から別の場所に移すこと

があります。

もちろん、他の本当に多くの労働も禁止されています。

それらは、このカテゴリーのいずれかに回収される派生物に過ぎません。

たとえば、紙や布をくっつけることは、縫製のように二つのものを永久に繋げることなので、やはりメラハーとなります。

 

直観に反する労働

上に挙げたメラハーのカテゴリーのほとんどは極めて直観的なものです。

しかし、いくつかはここに挙げられていることが驚くべきことで、精緻化が必要なものがあります。

 

選別すること

三つのメラホートは物に実際に何かをするわけではありません。

ただ、悪いものから良いものを選り分けるだけです。

これに当たるのは、もみ殻を吹き分けること、選別すること、ふるいにかけることです。

タルムードでは、これらのベラホートは同じ考え方のバリエーションであると説明しています。

普通の労働は世界を聖別するための精神的な努力を伴うことを思えば、選別することがメラハーに入っていることは深い洞察を伺わせます。

私たちの伝統は、世界を修繕する主要な仕事は選別することであると示唆しています。

世界が創造された時、主は良いものと悪いものに対する明確な見方を創られました。

人間が知っていたのは良いもののみでしたが、「善悪を知る木」の実を食べたことで、悪いものについても知るようになりました。

それ以来、良いものと悪いものは分かりにくく混ざり合って人間の前に現れています。

もし正しいやり方が何であるかをはっきり知っていたならば、正しく振舞うことは何より容易いことだったでしょう。

アダムの堕落と呪い以来、人間は当惑するような道徳上の選択肢に直面してきました。

あらゆる人間の努力の様々な側面において、良いものだけを選び出し、悪いものを後に残すことは非常に困難な仕事です。

しばしば、その努力自体よりもよほど難しいことです。

これが、選別に関係する三つの禁じられたメラホートに込められた特別な倫理上のメッセージです。

 

仕上げ

リストの最後から二番目にあるのは仕上げです。

「仕上げ」自体をメラハーとすることは矛盾しているように思えます。

何かの手仕事を完成させる行為について、その仕事自体がメラハーでないとしたら、その行為が「最後の」手順であるというだけでどうして禁止されなくてはならないのでしょうか。

シャバットにおけるメラハーの考え方を注意深く見れば、この疑問は考え方が逆であることが分かります。

メラホート自体は、それが重大な結果を生むことによってのみ禁止されています。

「仕上げをする」という労働はメラハーの通常の考え方の例外では全くなく、もっとも直接的な表れであると言えます。

このメラハーの一例は、ヘブライ語でメヘー・ベファティーシュ(槌で叩くこと)、またはゲマル・メラハー(手作業を完成させること)として知られているものであり、織物から緩んだ端を取り除く行為です。

緩んだ糸を衣類から取り除く行為自体は労働ではなく、使うために新しく編まれた布や衣類を準備する作業です。

 

運ぶこと

全てのメラホートの中で、運ぶことが最も分かりにくいものです。

なぜ一つの場所から他の場所に物を運ぶだけのことが仕事と見なされるのでしょうか。

このメラハーについては、後に議論します。

 

料理するというメラハーと、ハラハーにおいて料理が持つ象徴的意味

39の禁じられたメラホートがありますが、平均的なユダヤ人の家庭がもっとも気にするのは料理です。

他の労働はシャバットにおいては完全に避けることができますが、オネグ・シャバットのミツヴァを満たすためにはシャバットに温かい食べ物を用意するようにしなくてはなりません。

それゆえ、私たちは料理する以外の方法で食べ物を何とか温めなければならないのです。

料理は私たちの日常生活にとって非常に重要なものなので、料理がハラハーの多くの箇所において重要なものとされていることは驚くべきことではありません。

トーラーでは肉と乳が一緒に料理された時には特にこれを禁じていますし、非ユダヤ人が用意した食べ物はこれが料理されたものならば禁止ですし、シャバットには料理自体が禁止されている、などです。

ハシディズムの権威たちは料理が持つ内的な象徴的意味について議論しました。

彼らの洞察をシャバットの料理についての法に取り入れて検証してみます。

 

料理すること = 完成させること

料理は、未完成であるものや無秩序であるものを完成されて一つになった状態に変化させるものです。

私たちはよく考えられていない考えを「生焼け」であると言ったり、経験が足りない人を「生である」と言ったりします。

シャバットは完成させる行為や修繕する行為を控える日なので、料理が禁じられるのは自然なことです。

ブラツラフのラビ・ナタンはこのメタファーを拡張しています。

料理することとは食べ物の望ましくない面を取り除き、消し去り、あるいは美味しいものに変えて、これを食べられるように、より美味しく変えることです。

神の光、聖なる信仰心の炎に晒すことで、これが精製所や蒸留所のような役割を果たし、私たちのネガティブな性質が燃やされ、取り除かれ、あるいは是正されて、私たちはより洗練された精神的な存在に変わります。

ラビ・ナタンはまた、食べ物を料理することは食べることの準備に過ぎないことを指摘しています。

そして、注意深く料理された食事は、栄養のために用意された通り一遍のものではなく、社会的な集まりの注目を集めるものです。

どんな文化においても、人間の仲間意識は食事を一緒に楽しむことでとりわけ強固になります。

同じように、私たちの精神的な洗練もそれ自体が目的ではなく、多くの人が考えるような「トリップ」のようなものではありません。

これは、主への親近感を醸成するための準備なのです。

 

料理とは、火によって行われるもののみを言う

シャバットにおける「料理」のメラハーのもっとも重要な点は、これは熱、または火がある場合のみ適用されるということです。

熱を使わずに食べ物を用意することはトーラーの禁止事項に含まれていません。

逆に、食べ物ではない金属や粘土の物を熱によって仕上げることは、「料理」のカテゴリーに入ります。

アルター・レベ(最初のルバヴィーチのレベ)はこの見方を人間の性格に当てはめています。

ラビ・ナタンと似たアプローチで、性格を修繕したり変えたりしたいと望む人は、内なる情熱の炎によってのみこれを達成することができると彼は書いています。

もし私たちが本当に自分自身を変え、一新したいと望むならば、心を燃え立たせる必要があります。

熱が道具を作るために必要であるのと同じように、私たちの性格を作るためにも熱が必要なのです。

 

良いものを完成させること、悪いものを完成させること

料理による「修繕」は時としてハラハーの観点からは料理を台無しにすることがあります。

「非ユダヤ人が整えた食べ物」において、非ユダヤ人が料理した食べ物は禁じられていることを学びました。

ラビ・ナタンは、私たちを洗練する主の浄化の炎と、表面的には似たものである、熱を生むが光を生むものではない異教の信仰を区別しています。

異教の儀式とその現代的な同等物は私たちを高揚させ、霊感を与えるかもしれませんが、より良い生き方、より向上した生き方に導く光とはなりません。

後に鍋が禁じられた食べ物の味を吸収すると、この禁じられた風味が他の食べ物に移ることを学びます。

これは熱を用いるときにのみ起こることです。

性格を変えようと決意する時には、よくよく用心して環境を選ばなくてはなりません。

さもなければ、この変化は彼を全体としてはより洗練された人間に変えるかもしれませんが(料理の工程)、危険な性質や意見に汚染されることを飲まなければならないでしょう(禁じられた風味の吸収)。

 

最初の器、第二の器

料理が特に禁止されるのは、食べ物を入れた鍋が直接火で熱せられる時である。

しかし料理は、火で熱せられて、それから火から外した鍋でも可能である。

これはケリ・リションと呼ばれ、すなわち火によって直接熱せられた「最初の器」である。

しかし、この鍋が今度は空になって第二の鍋(ケリ・シェニー)になったら、一般的には料理は不可能である。

ごくわずかな、簡単に調理できる食べ物だけがそうした器で料理することができる。

この点も、性格の成長と似ています。

もっとも強力な精神的な影響は「最初の器」、すなわち内側にある神への信仰心の炎によって刺激を得た自分自身からもたらされます。

霊的なメッセージが何か(第二の器)を通して伝えられるとぬるくなってしまい、変容のための力を失ってしまいます。

このようなメッセージが効果的に広がるのは、学ぼうとする人自身が刺激を受け、熱によって点火される時のみであり、そうなれば彼らもまた「第一の器」になるのです。

 

塩を振ること、酢漬けにすること

トーラーの法によれば、料理とは熱を用いるもののみを言う。

塩を振ること、酢漬けにすることも生の食べ物を食べられるようにする行為だが、これが禁じられるのはラビの指示によってのみである。

食べ物にもたらす効果は似ていますが、塩は火の圧倒的な力には遠く及びません。

私たちは先に、ネガティブな精神である異教の信仰は熱を生むが光を生まないと指摘しました。

個人を変える世俗的な力にも人間を向上させ得るものはありますが、全体に及ぶような精神的な力を持ってはいません。

このような影響はトーラーに基づくライフスタイルの中にも見られますが、最終的には私たちを熱するどころか冷めさせるだけです。

酢漬けにすることがトーラーによって禁じられている本当の料理に当たらないように、世俗の「性格改善」のための文学は、預言者エレミヤが火に擬えたような神の言葉に影響を受けた本当の個人の変容ではありません。

本当の性格の変容とはトーラーを通してのみ為されるものであり、様々な世俗のイデオロギーによる「熱を使わない料理」によって為されるものではありません。

そうであっても、塩を振ることと酢漬けにすることはラビによる禁止事項においては料理と見なされます。

賢人たちは、その力全体はトーラーの力には比べるべくもないとしても、性格を成長させるための他のエネルギー源の持続的な影響を認識しています。

 

本日の課題

1:今回の学びで感じたことをシェアしてください。


これまでの「タルムードと神道」の学び

タルムードと神道(1):日ユ同祖論(1)

タルムードと神道(2):日ユ同祖論(2)

タルムードと神道(3):日ユ同祖論(3)

タルムードと神道(4):日ユ同祖論(4)

タルムードと神道(5):日ユ同祖論(5)

タルムードと神道(6):日ユ同祖論(6)

タルムードと神道(7):祈りについて

タルムードと神道(8):朝の目覚め

タルムードと神道(9):朝の目覚め(日本編)

タルムードと神道(10):手を洗い清める

タルムードと神道(11):手を洗い清める(禊)日本人編

タルムードと神道(12):礼儀正しい装い

タルムードと神道(13):礼儀正しさ(日本編)

タルムードと神道(14):排泄行為

タルムードと神道(15):排泄行為(日本編)

タルムードと神道(16):祈りの清浄な場所

タルムードと神道(17):祈りの清浄な場所〈日本編)

タルムードと神道(18):祝祷の掟

タルムードと神道(19):祝祷の掟(日本編)

タルムードと神道(20):朝の祝祷

タルムードと神道(21):朝の祝祷(日本編)

タルムードと神道(22):朝の祈り前の制限事項

タルムードと神道(23):夙起夜寐(シュクキヤビ)

タルムードと神道(24):ツィツィート

タルムードと神道(25):テフィリン(前半)

タルムードと神道(26):テフィリン(後半)

タルムードと神道(27):メズザ

タルムードと神道(28):祈りの準備

タルムードと神道(29):ベイト・クネセトの聖性

タルムードと神道(30):ペスーケイ・デズィムラ(祈りの儀式を始める詩編)

タルムードと神道(31):ミニヤンと先唱者

タルムードと神道(32):シェマーとその祈りを中断すること

タルムードと神道(33):シェマーの詠唱(えいしょう)

タルムードと神道(34):テフィラー

タルムードと神道(35):アミダーの祈りへの追加

タルムードと神道(36):先唱者によるアミダーの復唱

タルムードと神道(37):埋め合わせの祈り

タルムードと神道(38):タファナン(懺悔の祈り)

タルムードと神道(39):週日のトーラー朗読

タルムードと神道(40):完全なトーラーの巻物を書くこと

タルムードと神道(41):ケドゥーシャ・ディシドラとアレイヌ

タルムードと神道(42):会葬者のカディシュ

タルムードと神道(43):トーラーを学ぶことについての法

タルムードと神道(44):☆神道と儒教

タルムードと神道(45):トーラーの巻物を書くこと、トーラーの本を得ること

タルムードと神道(46):正しい行い

タルムードと神道(47):否定的な発言を避けること

タルムードと神道(48):天のために行動すること

タルムードと神道(49):正しく体をケアすること

タルムードと神道(50):危険な行い

タルムードと神道(51):喜捨(きしゃ)の法

タルムードと神道(52):ハッラーの法

タルムードと神道(53):肉に塩を振ること

タルムードと神道(54):食事の道具を水に浸すこと

タルムードと神道(55):非ユダヤ人が整えた食べ物

タルムードと神道(56):食事の前に食べること

タルムードと神道(57):☆儒教と神道を合体させた理由

タルムードと神道(58):パンを食べるために手を洗うこと

タルムードと神道(59):パンをちぎること

タルムードと神道(60):食事の間の振る舞い

タルムードと神道(61):食事中に祝祷を必要とする食べ物

タルムードと神道(62):食後の祈り

タルムードと神道(63):ツィムーン

タルムードと神道(64):禁止された食べ物

タルムードと神道(65):非ユダヤ人のワイン

タルムードと神道(66):焼かれた食べ物についての祝祷

タルムードと神道(67):ワインについての祝祷

タルムードと神道(68):食事の前の祝祷

タルムードと神道(69):結びの祝祷

タルムードと神道(70):食べ物についての祝祷

タルムードと神道(71):果物のジュースと野菜のゆで汁

タルムードと神道(72):中心となる食べ物と従属する食べ物

タルムードと神道(73):食べる前の祝祷の順番

タルムードと神道(74):正しく唱えられなかった祝祷

タルムードと神道(75):追加の料理についての祝祷

タルムードと神道(76):香りについての祝祷

タルムードと神道(77):喜びと悲しみについての祝祷

タルムードと神道(78):自然の驚異についての祝祷

タルムードと神道(79):特別な助けに対する感謝とその助けを求めること

タルムードと神道(80):商売の上での公平な取引

タルムードと神道(81):圧迫的な言葉と他人を欺くこと

タルムードと神道(82):禁じられた食べ物を事業で扱うこと

タルムードと神道(83):禁じられた金利についての法

タルムードと神道(84):融資におけるパートナーシップ上の許容

タルムードと神道(85):誓約と誓い

タルムードと神道(86):旅行者の祈り

タルムードと神道(87):午後の祈り

タルムードと神道(88):夜の祈り

タルムードと神道(89):夜の行い

タルムードと神道(90):シャバットの聖性

タルムードと神道(91):シャバットに非ユダヤ人によって為された仕事

タルムードと神道(92):シャバットの前に船に乗ること

タルムードと神道(93):シャバットの明かり

タルムードと神道(94):シャバットの祈り

タルムードと神道(95):キドゥーシュ

タルムードと神道(96):シャバットにおけるトーラーの朗読

タルムードと神道(97):預言書の一部を読むこと(ハフタラー)

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