タルムードと神道(60):食事の間の振る舞い

ここではテーブルでの正しい振る舞いについて、賢人たちによる指針の概略を示します。

ほとんどのルールはいわゆるテーブルマナーに当たります。

いつの時代もトーラーの指導者たちは、より高い何かに到達するためのステップとして、洗練された振る舞いの重要性を強調しています。

訓練され洗練されることによって、人間は動物よりも上の存在に引き上げられます。

戒律を守ることによって契約を持つ人間は、その他の人間よりも上の存在に引き上げられるのです。

これらの法の多くに、特別で重要な教えがあります。

 

動物の世話をすること

私たち自身の食事の前に、動物に餌を与えなければならない。

ラビ・ヤコブ・エムデンは、私たちが動物に対して特別な義務を負っている理由を説明しています。

野生の動物は皆、全ての必要なものを神から与えられます。

牛や羊にとっては草、鳥にとっては植物の種といったようにです。

私たちが動物を飼うと、自然に与えられている食べ物の源を動物から奪うことになります。

創造主から直接食べ物を受け取るという動物たちの能力を奪い、私たちから受け取るようにさせるのですから、これは具合が悪いです。

非常に品位を落とす行為と考えられます。

食べ物について私たちに依存させるのであれば、せめて信頼の置けるようなやり方で、食べ物を与えなければなりません。

 

食卓でトーラーについて話すこと

食卓でトーラーについて話すことはミツバである。

ただし、食事の中盤においてはその限りではない。

 

ミシュナーにはこう書いてあります。

ラビ・シモンは次のように言う。

一つのテーブルで三人一緒に食事をするのにトーラーについて話さないとしたら、それは異教の捧げ物を食べるようなものである。

一つのテーブルで三人一緒に食事をしながらトーラーについて話すのであれば、それは神の食卓から食事を食べているようなものである。

ラビ・シモンは、食事は決して精神的に中立な行為ではないと言います。

私たちの物質世界への働きかけは、精神的な属性を帯びていますので、異教の信仰のように貶められるか、創造主と出会うように引き上げられるか、どちらかにならざるを得ません。

ラビはまた、日常的な体験を引き上げるのに一番良い方法は、それらをトーラーを学ぶ機会にすることだと教えています。

 

食事の継続性

食事(または軽食)に重大な中断が生じた場合には、その食事は終わりである。

そうなれば食後の祝祷が唱えられなければならず、新たに食前の祝祷を唱えない限り食べてはならない。

この法はエチケットに似ています。

ユダヤ法に置ける食事の強固な原則は、その固定性です。

ユダヤ法の観点から理想的な食事とは、パンを基本とするものです。

定められたメンバーで、定められた時間に、定められた場所で食事をします。

公式の晩餐においては、顔見知りの来客が食事中に出たり入ったりすること、また立って食事をすることを望みません。

これは、決まったやり方で食事をすることがどれだけ品位をもたらすかということを表しています。

パンは食事に重要性をもたらし、適切な基礎を与えます。

他の食べ物とは違って、食べる前に手を洗う必要があり、食後に特別な祈りを必要とします。

場所が変わるとなると疑問が出てきます。

二つの場所で食べた一つの食事と考えるべきでしょうか。

それとも二つの別の食事になるのでしょうか。

間に長い時間が空いたり、食べない時間ができたりした場合は食事が中断されるので、これもまた同様の疑問を生みます。

しかしユダヤ法は、人々が忙しくて全ての食事を理想的に摂ることができないことを分かっています。

そのため、どのような中断が食事の終わりと見なされ、あるいは前の食事の続きと見なされるのかについて、詳細なルールを設けています。

 

本日の課題

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これまでの「タルムードと神道」の学び

タルムードと神道(1):日ユ同祖論(1)

タルムードと神道(2):日ユ同祖論(2)

タルムードと神道(3):日ユ同祖論(3)

タルムードと神道(4):日ユ同祖論(4)

タルムードと神道(5):日ユ同祖論(5)

タルムードと神道(6):日ユ同祖論(6)

タルムードと神道(7):祈りについて

タルムードと神道(8):朝の目覚め

タルムードと神道(9):朝の目覚め(日本編)

タルムードと神道(10):手を洗い清める

タルムードと神道(11):手を洗い清める(禊)日本人編

タルムードと神道(12):礼儀正しい装い

タルムードと神道(13):礼儀正しさ(日本編)

タルムードと神道(14):排泄行為

タルムードと神道(15):排泄行為(日本編)

タルムードと神道(16):祈りの清浄な場所

タルムードと神道(17):祈りの清浄な場所〈日本編)

タルムードと神道(18):祝祷の掟

タルムードと神道(19):祝祷の掟(日本編)

タルムードと神道(20):朝の祝祷

タルムードと神道(21):朝の祝祷(日本編)

タルムードと神道(22):朝の祈り前の制限事項

タルムードと神道(23):夙起夜寐(シュクキヤビ)

タルムードと神道(24):ツィツィート

タルムードと神道(25):テフィリン(前半)

タルムードと神道(26):テフィリン(後半)

タルムードと神道(27):メズザ

タルムードと神道(28):祈りの準備

タルムードと神道(29):ベイト・クネセトの聖性

タルムードと神道(30):ペスーケイ・デズィムラ(祈りの儀式を始める詩編)

タルムードと神道(31):ミニヤンと先唱者

タルムードと神道(32):シェマーとその祈りを中断すること

タルムードと神道(33):シェマーの詠唱(えいしょう)

タルムードと神道(34):テフィラー

タルムードと神道(35):アミダーの祈りへの追加

タルムードと神道(36):先唱者によるアミダーの復唱

タルムードと神道(37):埋め合わせの祈り

タルムードと神道(38):タファナン(懺悔の祈り)

タルムードと神道(39):週日のトーラー朗読

タルムードと神道(40):完全なトーラーの巻物を書くこと

タルムードと神道(41):ケドゥーシャ・ディシドラとアレイヌ

タルムードと神道(42):会葬者のカディシュ

タルムードと神道(43):トーラーを学ぶことについての法

タルムードと神道(44):☆神道と儒教

タルムードと神道(45):トーラーの巻物を書くこと、トーラーの本を得ること

タルムードと神道(46):正しい行い

タルムードと神道(47):否定的な発言を避けること

タルムードと神道(48):天のために行動すること

タルムードと神道(49):正しく体をケアすること

タルムードと神道(50):危険な行い

タルムードと神道(51):喜捨(きしゃ)の法

タルムードと神道(52):ハッラーの法

タルムードと神道(53):肉に塩を振ること

タルムードと神道(54):食事の道具を水に浸すこと

タルムードと神道(55):非ユダヤ人が整えた食べ物

タルムードと神道(56):食事の前に食べること

タルムードと神道(57):☆儒教と神道を合体させた理由

タルムードと神道(58):パンを食べるために手を洗うこと

タルムードと神道(59):パンをちぎること

1 個のコメント

  • kyorintomo@yahoo.co.jp より:

    子供のころに両親や祖父母から毎日のように注意された食事の作法と似てますね。箸の持ち方、器の持ち方、座り方、など当時はうるさいとしか思ってませんでしたが、よく考えると大切な事です。行儀の悪さと聖性は反比例ですね。

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