タルムードと神道(81):圧迫的な言葉と他人を欺くこと

経済的な圧迫と感情的な圧迫

他人を軽んじたり、他人の気持ちを考えずに話したりすることは禁じられています。

ここではオナー・デヴァリム…すなわち他人をからかうこと、苦しめることの禁止についてお話しします。

これらの指針は「正しい行い」「否定的な発言を避けること」で扱った思慮深い振る舞いの精神に基づくものですが、過剰な請求の法と密接な関係があるため、改めてここで取り上げています。

トーラーでは過剰な請求を表す言葉として、「圧迫、抑圧」を意味する「オナー」を使っていることを前に解説しました。

この用語は、騙された人の経済的な苦しみよりも感情的な苦しみを強調しています。

そのため、この禁止事項の性質は単なる経済的なもの、あるいは一般的な倫理さえ超えて、人間らしさに繋がるものです。

感情的な苦しみへのフォーカスに関してラビ・ガンツフリードは、感情的に敏感な人に対しては軽んじることのないように特に慎重になる必要があると言っています。

たとえば、夫は妻の気持ちを必ず考えなくてはなりません。

これに反した場合の罰は、その行為が引き起こした苦しみと同等であり、被害を受けた人が涙に暮れるようなことがあれば、主は速やかに罰を下されます。

この禁止事項が商業的な文脈を持つことは、商業自体もまた人間らしさを持つものであるということを示しています。

ユダヤ法は市場を単なる物理的な必要性を満たすための場所ではなく、人間同士の繋がりを作るための機会であると見ています。

 

見当違いの評価-「信用を盗むこと」

他人を誤解させることの禁止には、特別な扱いや利益を受けたという不要な間違った印象を与えることも含まれます。

小さく、重要ではないように見えることが、友好的な振る舞いの中で非常に重要な側面を持つことがあります。

少しだけ使われた道具は新品と変わりませんが、私たちはこれを贈り物には使いません。

輸入物のチョコレートは国産のものよりも良いとは限りませんが、違う印象を持ちます。

ここでの戒律は、これらの細かい振る舞いが決して偽られないことを教えています。

タルムードでは、ユダヤの肉屋が非ユダヤ人にコーシャーではない肉を売ることを例として挙げています。

非ユダヤ人にとってはコーシャーの肉であるかどうかは気にしませんが、コーシャーの肉を非ユダヤ人に与えるという行為には特別な意味が含まれます。

肉を与えるユダヤ人にとっては、自分でも食べることができる肉を渡すことになるので大きな犠牲を捧げることになり、親愛の情を強く表すことになります。

この行為は正直に行わなければなりません。

コーシャーではない肉をそうであるかのように偽って売ったり、まして無料であげたりしてはいけません。

誰かに対して、特別な便宜を図ったかのように誤解させるようなこの違反は、ヘブライ語でゲネヴァ・ダートと言い、「信用を盗むこと」と訳せるかもしれません。

多くの権威によれば、この禁止事項はトーラーにおける、財産を盗むことに対する禁止事項の一部であるということです 。

この二つの関連性は、社会的な不誠実が実際の盗みと同じくらい深刻なものであることを示していますが、ここには「特別な助けに対する感謝とその助けを求めること」のテーマにも繋がる深いメッセージがあります。

つまり、盗むことの罪自体が経済的な罪に止まらず、社会的な罪でもあるということです。

しばしば、被害者は財産を奪われることよりも、安全と信頼関係を奪われることで心を乱されます。

同じメッセージは十戒にも示されています。

八番目の戒律が「あなたは盗んではならない」です。

この禁止事項は、お金を盗むことだけに言及しているわけではないということがトーラーのいたるところに書かれています。

トーラーでは誘拐を、「魂を盗むこと」として盗みに当たるとしています。

十戒は盗むことを禁じていますが、より深いレベルとして盗むことが本当に悪であるのは、財産を盗む時には同時にその人の一部を少し盗むことになるからであるということをほのめかしています。

そのためタルムードには、「たとえ少量であろうと同輩から盗みを働く者は、彼の魂を盗む者である」と書いてあるのです。

お金の世界、商いの世界は人間の価値を無くすようなものではなく、事業における不誠実さは経済的に無礼であるばかりでなく、人として無礼なことなのです。

 

本日の課題

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これまでの「タルムードと神道」の学び

タルムードと神道(1):日ユ同祖論(1)

タルムードと神道(2):日ユ同祖論(2)

タルムードと神道(3):日ユ同祖論(3)

タルムードと神道(4):日ユ同祖論(4)

タルムードと神道(5):日ユ同祖論(5)

タルムードと神道(6):日ユ同祖論(6)

タルムードと神道(7):祈りについて

タルムードと神道(8):朝の目覚め

タルムードと神道(9):朝の目覚め(日本編)

タルムードと神道(10):手を洗い清める

タルムードと神道(11):手を洗い清める(禊)日本人編

タルムードと神道(12):礼儀正しい装い

タルムードと神道(13):礼儀正しさ(日本編)

タルムードと神道(14):排泄行為

タルムードと神道(15):排泄行為(日本編)

タルムードと神道(16):祈りの清浄な場所

タルムードと神道(17):祈りの清浄な場所〈日本編)

タルムードと神道(18):祝祷の掟

タルムードと神道(19):祝祷の掟(日本編)

タルムードと神道(20):朝の祝祷

タルムードと神道(21):朝の祝祷(日本編)

タルムードと神道(22):朝の祈り前の制限事項

タルムードと神道(23):夙起夜寐(シュクキヤビ)

タルムードと神道(24):ツィツィート

タルムードと神道(25):テフィリン(前半)

タルムードと神道(26):テフィリン(後半)

タルムードと神道(27):メズザ

タルムードと神道(28):祈りの準備

タルムードと神道(29):ベイト・クネセトの聖性

タルムードと神道(30):ペスーケイ・デズィムラ(祈りの儀式を始める詩編)

タルムードと神道(31):ミニヤンと先唱者

タルムードと神道(32):シェマーとその祈りを中断すること

タルムードと神道(33):シェマーの詠唱(えいしょう)

タルムードと神道(34):テフィラー

タルムードと神道(35):アミダーの祈りへの追加

タルムードと神道(36):先唱者によるアミダーの復唱

タルムードと神道(37):埋め合わせの祈り

タルムードと神道(38):タファナン(懺悔の祈り)

タルムードと神道(39):週日のトーラー朗読

タルムードと神道(40):完全なトーラーの巻物を書くこと

タルムードと神道(41):ケドゥーシャ・ディシドラとアレイヌ

タルムードと神道(42):会葬者のカディシュ

タルムードと神道(43):トーラーを学ぶことについての法

タルムードと神道(44):☆神道と儒教

タルムードと神道(45):トーラーの巻物を書くこと、トーラーの本を得ること

タルムードと神道(46):正しい行い

タルムードと神道(47):否定的な発言を避けること

タルムードと神道(48):天のために行動すること

タルムードと神道(49):正しく体をケアすること

タルムードと神道(50):危険な行い

タルムードと神道(51):喜捨(きしゃ)の法

タルムードと神道(52):ハッラーの法

タルムードと神道(53):肉に塩を振ること

タルムードと神道(54):食事の道具を水に浸すこと

タルムードと神道(55):非ユダヤ人が整えた食べ物

タルムードと神道(56):食事の前に食べること

タルムードと神道(57):☆儒教と神道を合体させた理由

タルムードと神道(58):パンを食べるために手を洗うこと

タルムードと神道(59):パンをちぎること

タルムードと神道(60):食事の間の振る舞い

タルムードと神道(61):食事中に祝祷を必要とする食べ物

タルムードと神道(62):食後の祈り

タルムードと神道(63):ツィムーン

タルムードと神道(64):禁止された食べ物

タルムードと神道(65):非ユダヤ人のワイン

タルムードと神道(66):焼かれた食べ物についての祝祷

タルムードと神道(67):ワインについての祝祷

タルムードと神道(68):食事の前の祝祷

タルムードと神道(69):結びの祝祷

タルムードと神道(70):食べ物についての祝祷

タルムードと神道(71):果物のジュースと野菜のゆで汁

タルムードと神道(72):中心となる食べ物と従属する食べ物

タルムードと神道(73):食べる前の祝祷の順番

タルムードと神道(74):正しく唱えられなかった祝祷

タルムードと神道(75):追加の料理についての祝祷

タルムードと神道(76):香りについての祝祷

タルムードと神道(77):喜びと悲しみについての祝祷

タルムードと神道(78):自然の驚異についての祝祷

タルムードと神道(79):特別な助けに対する感謝とその助けを求めること

タルムードと神道(80):商売の上での公平な取引

1 個のコメント

  • kyorintomo@yahoo.co.jp より:

    盗みという行為されたときは経済的な被害よりも精神的なダメージの方遥かに大きいですね。でも「やられたらやり返す」を選択すると本当の着地点が見えなくなってしまいます。
    ストーリー的には面白くありませんが、復讐は負の連鎖しか生みません。
    さらに掘り下げて考えると、盗まれた側にもそれなりの理由があったのかも知れません。
    何事も不誠実に当たってはいけないということですね。いつもありがとうございます。

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