タルムードと神道(101):住まいを囲うこと

トーラーの法によれば、囲い地は全て「個人の領域」となる。

囲い地に運び入れることは許されているが、囲い地をまたいで運搬すること、囲い地と公共の道路をまたいで運搬することは禁じられている。

しかし賢人たちはこのルールは小さな囲い地にのみ適用することを命じている。

大きな囲い地は開かれた場所に似ることから、既にある住居を囲っている場合のみ、運搬に関しては個人の領域と見なされる。

小さな囲い地とは5,000平方アモート、すなわち約1エーカー以下のものを言います。

タルムードでは、これが荒れ野における聖所であるタバナクルの中庭と同じ広さであることを指摘しています。

エルサレム・タルムードでは更に一歩進んで、この広さ自体がタバナクルの中庭に基づいて決められたと言っています。

アルバア・トゥーリームは、この理由をシャバットの労働がタバナクルを造営する仕事に由来しているからだと説明しています。

個人の領域の原型であるタバナクル自体が、住居が先にあって囲われたわけではないので、タバナクルの広さの囲い地は住居を必要としません。

もっとも単純に考えれば、ただそこには誰も住んでいなかったという意味になりますが、より深いレベルでは重大な真実を示唆しています。

タバナクルに住まわれた主なる神でさえ、囲いが完成するまでは住まわれなかったのです。

主はモーセに、「彼らにわたしのために聖所を造らせなさい。(然るのちに)わたしが彼らのうちに住むためである」と告げられました。

「シャバットに禁じられている労働」において、シャバットにおける日常の労働の禁止を聖所造営の労働の禁止に関連付けることで、世界の物質的な修繕と精神的な修繕の間には密接な繋がりがあることを説明しました。

私たちは平日の仕事に取り組むことで、世界を神が住まわれるのに相応しい場所に作り変える、言い換えれば、聖所を作ることになります。

しかし、場所を整えることと実際に神が私たちのうちに住まわれることは同一ではありません。

シャバットの法は、タバナクルが「住まいを囲んだもの」ではなく、むしろ神が住まわれる前に建設を完了しなければならなかったものです。

同じように、神の存在は初めから世俗の活動の中に在るものではありません。

むしろ、私たちの仕事が完了した暁には神が明らかに私たちのうちに住まわれるように、そこに至るまでの準備として日々の活動があるのです。

しかしながら、囲いよりも先に住まいがあったなら、大きさに関わらず個人の領域と見なされます。

私たちの生活のどんな面であれ、神の存在が確実に現れたならば、聖なるものを広げるための限りない能力を得ることになります。

どんな大きさの領域も「ただ一つの神の領域」と考えられますが、囲いはやはり必要です。

私たちが進んで線を引き、聖なるものの限界を明確に描き、また歴史の現時点においては聖なる王国に属さない現実もあることを認識することによって、初めて神の住まいを作り出すことができるのです。

小さな囲い地は人が住むことができる個人の領域を作ります。

ひとたび人が入れば、領域は無制限に広がり、人が住む場所であり続けます。

これは、「シャバットの聖性」で議論したシャバットと平日の相互的な関係を思い出させます。

平日の労働によって、シャバットの聖性に浴する準備ができます。

シャバットに神が私たちのうちに住まわれれば、今度はシャバットが週のうちの他の6日に祝福を与えるのです。

 

本日の課題

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これまでの「タルムードと神道」の学び

タルムードと神道(1):日ユ同祖論(1)

タルムードと神道(2):日ユ同祖論(2)

タルムードと神道(3):日ユ同祖論(3)

タルムードと神道(4):日ユ同祖論(4)

タルムードと神道(5):日ユ同祖論(5)

タルムードと神道(6):日ユ同祖論(6)

タルムードと神道(7):祈りについて

タルムードと神道(8):朝の目覚め

タルムードと神道(9):朝の目覚め(日本編)

タルムードと神道(10):手を洗い清める

タルムードと神道(11):手を洗い清める(禊)日本人編

タルムードと神道(12):礼儀正しい装い

タルムードと神道(13):礼儀正しさ(日本編)

タルムードと神道(14):排泄行為

タルムードと神道(15):排泄行為(日本編)

タルムードと神道(16):祈りの清浄な場所

タルムードと神道(17):祈りの清浄な場所〈日本編)

タルムードと神道(18):祝祷の掟

タルムードと神道(19):祝祷の掟(日本編)

タルムードと神道(20):朝の祝祷

タルムードと神道(21):朝の祝祷(日本編)

タルムードと神道(22):朝の祈り前の制限事項

タルムードと神道(23):夙起夜寐(シュクキヤビ)

タルムードと神道(24):ツィツィート

タルムードと神道(25):テフィリン(前半)

タルムードと神道(26):テフィリン(後半)

タルムードと神道(27):メズザ

タルムードと神道(28):祈りの準備

タルムードと神道(29):ベイト・クネセトの聖性

タルムードと神道(30):ペスーケイ・デズィムラ(祈りの儀式を始める詩編)

タルムードと神道(31):ミニヤンと先唱者

タルムードと神道(32):シェマーとその祈りを中断すること

タルムードと神道(33):シェマーの詠唱(えいしょう)

タルムードと神道(34):テフィラー

タルムードと神道(35):アミダーの祈りへの追加

タルムードと神道(36):先唱者によるアミダーの復唱

タルムードと神道(37):埋め合わせの祈り

タルムードと神道(38):タファナン(懺悔の祈り)

タルムードと神道(39):週日のトーラー朗読

タルムードと神道(40):完全なトーラーの巻物を書くこと

タルムードと神道(41):ケドゥーシャ・ディシドラとアレイヌ

タルムードと神道(42):会葬者のカディシュ

タルムードと神道(43):トーラーを学ぶことについての法

タルムードと神道(44):☆神道と儒教

タルムードと神道(45):トーラーの巻物を書くこと、トーラーの本を得ること

タルムードと神道(46):正しい行い

タルムードと神道(47):否定的な発言を避けること

タルムードと神道(48):天のために行動すること

タルムードと神道(49):正しく体をケアすること

タルムードと神道(50):危険な行い

タルムードと神道(51):喜捨(きしゃ)の法

タルムードと神道(52):ハッラーの法

タルムードと神道(53):肉に塩を振ること

タルムードと神道(54):食事の道具を水に浸すこと

タルムードと神道(55):非ユダヤ人が整えた食べ物

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タルムードと神道(57):☆儒教と神道を合体させた理由

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タルムードと神道(62):食後の祈り

タルムードと神道(63):ツィムーン

タルムードと神道(64):禁止された食べ物

タルムードと神道(65):非ユダヤ人のワイン

タルムードと神道(66):焼かれた食べ物についての祝祷

タルムードと神道(67):ワインについての祝祷

タルムードと神道(68):食事の前の祝祷

タルムードと神道(69):結びの祝祷

タルムードと神道(70):食べ物についての祝祷

タルムードと神道(71):果物のジュースと野菜のゆで汁

タルムードと神道(72):中心となる食べ物と従属する食べ物

タルムードと神道(73):食べる前の祝祷の順番

タルムードと神道(74):正しく唱えられなかった祝祷

タルムードと神道(75):追加の料理についての祝祷

タルムードと神道(76):香りについての祝祷

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タルムードと神道(79):特別な助けに対する感謝とその助けを求めること

タルムードと神道(80):商売の上での公平な取引

タルムードと神道(81):圧迫的な言葉と他人を欺くこと

タルムードと神道(82):禁じられた食べ物を事業で扱うこと

タルムードと神道(83):禁じられた金利についての法

タルムードと神道(84):融資におけるパートナーシップ上の許容

タルムードと神道(85):誓約と誓い

タルムードと神道(86):旅行者の祈り

タルムードと神道(87):午後の祈り

タルムードと神道(88):夜の祈り

タルムードと神道(89):夜の行い

タルムードと神道(90):シャバットの聖性

タルムードと神道(91):シャバットに非ユダヤ人によって為された仕事

タルムードと神道(92):シャバットの前に船に乗ること

タルムードと神道(93):シャバットの明かり

タルムードと神道(94):シャバットの祈り

タルムードと神道(95):キドゥーシュ

タルムードと神道(96):シャバットにおけるトーラーの朗読

タルムードと神道(97):預言書の一部を読むこと(ハフタラー)

タルムードと神道(98):シャバットに禁じられている労働

タルムードと神道(99・100):運ぶというメラハーと四つのシャバットの領域

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