通常、果物や野菜を液体に変えると特別な個性と重要性が失われます。
このため、ジュースのための祝祷はシェアコールとなります。
しかし、ジュースやピューレにすることが、その食べ物の通常の食べ方であるのであれば、その液体が元々の食べ物と同じ重要性を持ちます。
たとえば、オリーブオイルについての祝祷はボレ・プリ・ハエッツです。

ごくわずかな食べ物は、加工することで重要性が高まり、祝祷が格上げされます。
ブドウを食べる時には、果物一般についての祝祷であるボレ・プリ・ハエッツを唱えますが、これがワインやブドウジュースになると特別な祝祷であるボレ・プリ・ハゲフェンを唱えます。
普通の小麦を食べる時にはボレ・プリ・ハアダマですが、焼かれた食べ物についてはボレ・ミネ・メゾノットとなり、パンの場合はハモツィ・レヘム・ミン・ハアレツとなります。
昔の人たちは、世の中にあるものを四段階に分けました。
自然界は、動物、野菜、無機物、そしてそれらの上に位置する人間に分けられました。
この分け方が、今回のテーマを理解するためにどのように役に立つのか見てみましょう。
世の中にあるものの不思議は、果物や野菜の自然のままの姿に明らかに表れています。
驚嘆するほど複雑なリンゴの構造は、命あるものの信じられないような複雑さと調和を反映しています。
このレベルには、プリ・ハアダマとプリ・ハエッツの祝祷が関係しています。
果物の特筆すべき構造を壊していくと、これはあたかも野菜を無機物に変えるようなものとなります。
自然な命の力はもはや自明ではなくなり、祝祷はシェアコールに格下げされます。
これは例えば水に対する祝祷と同じです。
しかし、時には果物を加工することが逆の効果を生みます。
「食べ物についての祝祷」で、パンとワインが人間の特徴的な食べ物であることを説明しました。
本日の課題
1:今回の学びで感じたことをシェアしてください。
これまでの「タルムードと神道」の学び
タルムードと神道(30):ペスーケイ・デズィムラ(祈りの儀式を始める詩編)
タルムードと神道(41):ケドゥーシャ・ディシドラとアレイヌ
生命維持で一重要な「食べ物」に対しての祝祷が複雑なのは当然ですね。真っ直ぐに感謝する為に良く考えなければいけませんね。