タルムードと神道(23):夙起夜寐(シュクキヤビ)

ユダヤでは朝起きた時に、神に仕える神の民として1日を過ごすことをお祈りを通じてセットします。
起きたての朝は特別な時間で、この時間の過ごし方で、その日のクオリティが決まるといっても過言ではありません。

吉田松陰、山鹿素行にみられる武士の過ごし方とは、どのようなものかを確認してみます。

凡そ士たるの法は、先づ夙に起きて、盥ひ、漱ぎ、櫛り、衣服を正し、用具を佩び、〈盥は手を洗ふなり、漱は口を漱ぐなり、櫛は梳るなり、用具とは腰刀・扇・火打袋の類なり、〉能く平旦の気を養つて、君父の恩情を体認し、今日の家業を思い量り、「身体髪膚之れを父母に受けて、敢へて毀ひ傷ざるは孝の始なり。身を立て道を行ひて名を後世に揚げ、以て父母を顕はすは孝の終りなる」ことを観ふべし。(山鹿素行)

夙起夜寐を以て一篇の標題とす。知るべし、此の篇武士一日中の教戒洩らす所なく、且つ下諸篇の綱領たることを。而して其の着実切要復た弁を費さず。只だ句々是れを身に行ひて己が徳を成すべし。「平旦の気を養ふ」は委しく孟子告子上篇に見えたる通りにて、即ち所謂浩然の気を養ふの〈公孫丑上篇〉工夫なり。凡そ人は浩然の気なければ、才も智も用に立つ者に非ず。この気は血気客気に非ず、人の本心より靄然として湧出し、何如なる大敵猛勢にも惧れず、小敵弱勢をも侮らず、何如なる至難大難をも恐怖せず、宴安逸楽にも解体せず、確乎として守る所あり、奮然として励む所あるの気是れなり。浩然の気を養ふは平旦の気を養ふより始まる。「夙に起き盥ひ嗽ぎ、櫛り、衣服を正し、用具を佩ぶ」。皆平旦の気を養ふの方法なり。「君父の恩情を体認し、今日の家業を思量し、孝の終始を観る」に至りては最も養気の根本たり。(吉田松陰)

吉田松陰

山鹿素行

夙起夜寐(シュクキヤビ)

「夙(しゅく)」は、会意文字で、早朝の月を拝む形を文字化したものです。
「起(き)」は起きることで、「夜(や)」は夜のことです。
「寐(び)」は、宀+爿+未からできた形声文字です。

「宀」は家屋の象形です。
「爿」はベッドの象形です。
「未」は(ビ)という音を表し、意味は「ね・る」です。

補足
会意文字とは、二字以上の漢字の字形・意味を合わせて作られた漢字。
形声文字とは、意味を表す文字(漢字)と音(読み)を表す文字(漢字)を組み合わせてできた漢字。

つまり、早朝の月が見えるくらいの時間に起き、夜に眠る・・・という意味になります。

ユダヤでの祈りに相当する部分は、

「君父の恩情を体認し、」
「身を立て道を行ひて名を後世に揚げ、以て父母を顕はすは孝の終りなる」ことを観ふべし。

だと思います。

吉田松陰は「浩然の気(こうぜんのき)」を養うことが非常にに重要である。・・・と述べています。

浩然の気があれば、どんな難局や不利な状況であっても打開することができると述べ、逆に浩然の気がなければ才も智も役に立たない・・・と言っています。

補足
浩然の気とは、天地に充満する、生命や活力の源となる気。また、俗事にとらわれない広く大きな気分のこと。

功山寺挙兵

功山寺挙兵
功山寺挙兵(こうざんじきょへい)とは、1865年1月12日に高杉晋作ら正義派の長州藩諸隊が、俗論派打倒のために功山寺(下関市長府)で起こしたクーデターのこと。

高杉晋作

禁門の変・馬関戦争の後、朝廷と江戸幕府は長州藩へ、懲罰として十五万もの征長軍派遣を決定しました。

補足

● 禁門の変(きんもんのへん)とは、1864年8月20日に京都で起きた武力衝突事件。蛤御門の変(はまぐりごもんのへん)または、元治の変(げんじのへん)とも呼ばれる。

● 馬関戦争とは、1864年、イギリス・アメリカ・フランス・オランダの四国連合艦隊が下関海峡から長州藩(萩藩)を攻撃し、一部は上陸して藩兵と戦い、海峡沿岸の砲台を全滅させた事件。

● 俗論派とは、長州正義派のことで、幕末の長州藩における派閥の1つ。江戸時代後期、長州藩内は「改革派」と「保守派」とに分かれており、同じ藩主毛利敬親の下で2つの派閥が主導権を争っていた。のちに改革派→正義派と称するようになり、幕府に従おうとする保守派→俗論派と呼んで区別した。

正義派は、藩政改革を進めた村田清風を継いで改革派を率いた周布政之助の下、

    • 吉田寅次郎(吉田松陰)
    • 桂小五郎(木戸孝允)
    • 来原良蔵
    • 井上聞多(井上馨)
    • 久坂玄瑞
    • 高杉晋作
    • 寺島忠三郎
    • 村田蔵六(大村益次郎)
    • 山田市之允(山田顕義)
    • 伊藤俊輔(伊藤博文)
    • 佐世八十郎(前原一誠)
    • 時山直八

などで構成されていた。

これに対する俗論派は、

  • 長井雅楽
  • 椋梨藤太
  • 中川宇右衛門

などが代表格であった。

なお、正義派と俗論派との間の中間派という人たちも、波多野金吾(広沢真臣)など少数ながら存在していた。

長州では藩存亡の危機を前に、攘夷(じょうい)を志向し、これまで藩制を指導してきた長州正義派と、正義派の藩制指導に反発する椋梨藤太(むくなしとうた)に率いられた俗論派らの争いが激化し、ついに武力衝突にまで発展します。

長州藩は、俗論派により、奇兵隊の解散や攘夷派の高官たちを次々に捕え、切腹を申し付ける動きを見せました。

長州藩が幕府への恭順を示す藩になる動きをしだした時に、異を唱えたのが松下村塾門下である高杉晋作です。

補足
松下村塾(しょうかそんじゅく)とは、幕末に長州萩城下の松本村(現在の山口県萩市)に存在した私塾。吉田松陰が指導した短い時期の塾生の中から、幕末より明治期の日本を主導した人材を多く輩出したことで知られる。

松下村塾 外観

松下村塾 内観

「このまま幕府の圧力に負け、長州藩が俗論党になってしまえば、長州は死ぬ。長州が死ねば、松陰や久坂や入江らが捧げた命は意味を失ってしまうではないか。いや、それどころか幕府を倒し、日の本が生まれ変わる機会も永遠に失われる」

恐らく、そんなことを奇兵隊の幹部たちに説いたと思われます。

しかし、現実的に幕府軍、俗論派の勢力は強大であり、兵力の差において到底叶うわけではない。

そんな気持ちから奇兵隊の面々は挙兵することを時期尚早とみて賛同しませんでした。

沈黙を守る隊に、高杉晋作は、

「わかった。もはや諸君には頼まない。ただ、馬を一頭貸してくれ。僕は萩へ行く。そして大殿様と殿様をお諫め申し上げて腹を切ろう。萩に向かって一里行けば一里の忠を尽くし、二里行けば二里の義をあらわす。今はその時ぞ」

と言います。

しかしそれでも共に起とうという者はなく、面々は席を立ってしまい、残ったのは伊藤俊輔(博文)だけでした。

結局、晋作に同調したのは伊藤率いる力士隊30人と、石川小五郎(河瀬真孝)率いる遊撃隊50人弱に、佐世八十郎(前原一誠)を加えた、およそ80人です。

そこから、高杉晋作様は長州藩の新地会所を襲って占拠し、軍資金や武器弾薬を奪って、萩の俗論党政府に宣戦布告をします。

さらに海路、三田尻に赴き、藩の軍艦3隻を奪って下関に戻りました。

兵糧や軍艦を手に入れたわけですが、この際に実際、守っていた役人の方々との戦闘はありませんでした。

高杉晋作様の心意気に動かされ、自ら進んで提供したと言われています。

これによって、最初は躊躇していた奇兵隊の面々も集まり出し、賛同する人々が集まりだし、最終的に正義派が勝ち、長州藩は倒幕の方向性に固まり、歴史が回天していきます。

これこそが、「浩然の氣」と言えるのです。

浩然の気を養ふ

浩然の気を養うためには、平旦の気を養ふことが大切であり、

「君父の恩情を体認し、今日の家業を思量し、孝の終始を観る」に 至りては最も養気の根本たり。・・・と吉田松陰は言ってます。

ここでいう孝の終始とは、「身体髪膚之れを父母に受けて、敢へて毀ひ傷ざるは孝の始なり。身を立て道を行ひて名を後世に揚げ、以て父母を顕はすは孝の終りなる」を指します。

父母から頂いた身体を損なうことなく、死ぬ時にお返しすることが出来るように務めることが孝の始まりであって、しかし同時に、身を立てて、道義を行い、名を後世に残すことによって父母の名声を高めることこそが親孝行の極地である。

そしてそれこそが、最もこの平旦の気を養うことの根本であると説かれています。

武士の朝の祈り

武家の朝の祈りは、神に感謝をするのではなく、身体を頂き、育てて頂いた父母に感謝をし、そして君主のご恩に感謝をするところから始まります。

そしてその1日を、両親への孝のため、身を立てて、道義を行い、名を後世に残すことこそ究極の目的である。・・・という精神的決意、内面的対話(これは祈りに相当)をすることで1日を始めます。

凡そ士たるの法は、先づ夙に起きて、盥ひ、漱ぎ、櫛り、衣服を正し、用具を佩び、〈盥は手を洗ふなり、漱は口を漱ぐなり、櫛は梳るなり、用具とは腰刀・扇・火打袋の類なり、〉能く平旦の気を養つて、君父の恩情を体認し、今日の家業を思い量り、「身体髪膚之れを父母に受けて、敢へて毀ひ傷ざるは孝の始なり。身を立て道を行ひて名を後世に揚げ、以て父母を顕はすは孝の終りなる」ことを観ふべし。

「朝、忙しくて起きる」 対 「祈りをしてから過ごす」

朝、目覚ましで起きて、「今日も出社するの嫌だな〜、あ、電車遅れちゃう!」といってバタバタと急いで服を着て出発する朝の過ごし方と、朝早く起きて、手を洗い、口をゆすいで、髪を櫛で梳かし、衣服を正し、両親の恩を感じながら、「頂いた身体、命に感謝し、両親への孝のため、身を立てて、道義を行い、名を後世に残します」と祈りを捧げてから、家を出て1日を過ごすこと・・・この差はどれだけ大きくなるでしょうか?

ぜひ、後者を実践してみてください。

 

本日の課題

1:夙起夜寐を取り入れ、浩然の気を養うライフスタイルを送ってみてください。

2:司馬遼太郎の『世に棲む日日』あるいは武田鉄矢の『お〜い龍馬』を読んでみてください。吉田松陰や高杉晋作の活躍が描かれており、浩然の気を養うという意味が分かると思います。

 

3:今回の学びで感じたことをシェアしてください。


これまでの「タルムードと神道」の学び

タルムードと神道(1):日ユ同祖論(1)

タルムードと神道(2):日ユ同祖論(2)

タルムードと神道(3):日ユ同祖論(3)

タルムードと神道(4):日ユ同祖論(4)

タルムードと神道(5):日ユ同祖論(5)

タルムードと神道(6):日ユ同祖論(6)

タルムードと神道(7):祈りについて

タルムードと神道(8):朝の目覚め

タルムードと神道(9):朝の目覚め(日本編)

タルムードと神道(10):手を洗い清める

タルムードと神道(11):手を洗い清める(禊)日本人編

タルムードと神道(12):礼儀正しい装い

タルムードと神道(13):礼儀正しさ(日本編)

タルムードと神道(14):排泄行為

タルムードと神道(15):排泄行為(日本編)

タルムードと神道(16):祈りの清浄な場所

タルムードと神道(17):祈りの清浄な場所〈日本編)

タルムードと神道(18):祝祷の掟

タルムードと神道(19):祝祷の掟(日本編)

タルムードと神道(20):朝の祝祷

タルムードと神道(21):朝の祝祷(日本編)

タルムードと神道(22):朝の祈り前の制限事項

2 件のコメント

  • kyorintomo@yahoo.co.jp より:

    吉田松陰、高杉晋作どちらも夢半ばで亡くなってしまいましたが、その意志が多くの士の心に通じ倒幕とういう偉業を成し遂げる原動力であったように感じます。志事ではなく私事をしていたらいけませんね。国を思い命をかけ散って逝った多くの志士達に申し訳なさ過ぎます。

  • zipang044kwsk@au.com より:

    昔の日本の武士は、志のレベルが違うと
    心から思います。
     
    その志が人を動かしているのだと思います。
     
    僕もこういった志を持てるように
    尽力いたします。

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