タルムードと神道(14):排泄行為

キツール・シュルハーン・アルーフの章全体によって語られている大変に注目すべきことがあります。

補足
キツール・シュルハーン・アルーフ(Kitzur Shulchan Arukh)とは、ユダヤ法の解釈や実践における最も人気のある書籍シリーズ

Kitzur Shulchan Arukh

それは、私たちの生活の中において、「排泄物」がとても重要な要素であることを十分に認識するということです。

これは、前にお伝えした「手を清める」の項目の続きとも言えますが、ユダヤでは排泄行為の後も必ず手を洗うことを教えられます。(日本でも当たり前のことですが)

ユダヤでは、排泄物は聖なるものにすることができないものである…というネガティブなシンボルとして扱われています。

一般的なものはユダヤの儀式に従うことで、世俗的なものも神聖なるものに高めることができます。

例えば、羊も神殿の生贄になることや、トーラーの巻物に使われる羊皮紙として神聖なものに高められます。

世俗的な世界を聖なるものへと高める重要な方法の1つとして、食べ物から得たエネルギーを聖なる目的のための行為に利用することです。

一般的な動物や野菜、果物は、私たちが創造神の御心に沿う活動を行うことで、聖なるものへと昇華します。

ところが、決して体内に栄養が吸収されることのない排泄物は、ある意味、物質世界において、聖なるものの一部になることを拒んでいるとも言えます。

私たちが住んでいる世界は3種類に分類することができます。

1つ目:聖なるもの

2つ目:聖なるものに変化する資質のある世俗的なもの

3つ目:聖なるものに抵抗し、対抗する側面のあるもの

 

この世界の分類の仕方は、排泄物の存在によって象徴されます。

そのために、私たちは排泄行為をした後、外側においても内側においても、体が綺麗になるまでの間は祝詞を唱えることが許されません。

そのため、排泄物をした後は、手を洗い、禊をして聖なるものにすることが要求されます。

タルムードでは、排泄に関して大胆な類推を提示しました。

それは、

「排泄するということは、この世に在りながらにして、あの世を経験するようなものである」

 

というものです。

ラビ・クックはこの類推を次のように説明しています。

この世界で私たちの欠点を完璧に克服することは不可能である。なぜなら、魂の完璧化は死後の楽園に入る前の浄化まで待たなければならないからです。しかしながら、排泄行為は、身体の穢れや老廃物からの浄化作用を担っています。この老廃物からの浄化プロセスは、あの世でしか体験することができない魂の完璧なる浄化の前兆です。

 

排泄後の祝詞

排泄後には、私たちを知恵あるものとして創造し、体の機能を適切に働かせてくださっていることについて神への感謝を唱えます。

 

この祝詞の結びでは、神を「身体全ての癒し手」と表現しています。

排泄のような日常的な行動が「癒し」と言われることは驚きです。

「トイレに駆け込む人は、みんな病気でなければならないのでしょうか?」

この表現は、神が積極的に世界に介入していることを強調しています。

ユダヤ人は「神」のことを、時計のネジを巻いて、あとはカチカチと秒針が進むのに任せ、放置するような存在とは認識していません。

神は定期的に世界を裁き、恵を与えます。
日常的な身体の習慣である老廃物の排泄すら自然と自動的に起こるものではないのです。

これは、大変に奇跡的な癒しであり、奇跡の癒しが行われるたびに、「Hagomel(ハゴメル)」と特別な祝詞を捧げなければなりません。

アルバートレベ氏は、悔い改めるというのは、ただ単に罪からの贖罪のプロセスではなく、むしろそれは、まさに引き起きている魂の浄化のプロセスであると強調します。

これと同じように、

癒しというのは定期的に行われるものであって、ひどい病気や難病のときにだけ引き起こるものではありません。
悔い改めるということは、自分を評価する定期的なプロセスであり、ひどい罪を犯した時にのみ行うものではありません。

と述べております。

 


本日の課題

1:このページを読んで、日本的な考え方と同じだと思う部分、または違うと感じる部分をお聞かせください。

2:このページ読んで、あなたが心に感じたことや気づきをシェアしてください。

 


これまでの「タルムードと神道」の学び

タルムードと神道(1):日ユ同祖論(1)

タルムードと神道(2):日ユ同祖論(2)

タルムードと神道(3):日ユ同祖論(3)

タルムードと神道(4):日ユ同祖論(4)

タルムードと神道(5):日ユ同祖論(5)

タルムードと神道(6):日ユ同祖論(6)

タルムードと神道(7):祈りについて

タルムードと神道(8):朝の目覚め

タルムードと神道(9):朝の目覚め(日本編)

タルムードと神道(10):手を洗い清める

タルムードと神道(11):手を洗い清める(禊)日本人編

タルムードと神道(12):礼儀正しい装い

タルムードと神道(13):礼儀正しさ(日本編)

2 件のコメント

  • kyorintomo@yahoo.co.jp より:

    排泄後に手をきれいに洗う習慣は日本とユダヤは同じですね。今では少なくなりましたが日本では排泄物を肥料にして野菜作りに利用しているのが少し違うところでしょうか。

    身体は我々が意識しなくても勝手に呼吸してくれて食べ物を消化吸収し、排泄してくれる。ある程度の病気や怪我なら勝手に治る。環境に合わせて体温と心拍の調整もオートマチックで調整してくれる。どんなに科学が発達しても、これと同機能の人工物は作れないと思います。すべて感謝ですね。

  • まぐくる より:

    「老廃物からの浄化プロセスは、あの世でしか体験することができない魂の完璧なる浄化の前兆です。」という考えはとても驚嘆させられました!
    医療関係に勤めていますので排泄行為による老廃物排出は、自然の流れであり、それが滞ると病になりますので当たり前ではない事だと感じていました。
    とても勉強になりました。

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