タルムードと神道(54):食事の道具を水に浸すこと

かつて非ユダヤ人が所有していた金属製とガラス製の食事の道具は、使えるようにするための儀式として水に浸さなければなりません。

こうした道具は、ある種のトゥマー(汚れ)または宗教的な不浄さを持つとされ、水に浸すことによってこれが取り除かれます。

道具にまつわる考えは、ユダヤ法とユダヤ人の思考の至る所に見られます。

人間が生み出した物や考え全てにこれは及びます。

食べ物や他の物は、人工的な道具が作られることによって利用可能になりました。

この概念は、「道具」が以前は曖昧で定義されていなかった抽象的なものを含み、定義づけるものと考えられます。

自然が真空状態を拒絶するように、ユダヤ法でも定義すべき文脈を持たない物や考えを拒絶します。

食べ物について言えば、道具を使うことによって利便性が向上し、定義が明確になったことが極めて重要であり、その結果、ある意味で本当の食べ物の一部となることができました。

当然、神聖ではない環境により汚染された道具は、食べ物のために使うことがふさわしくないということになります。

器を水に浸さなければならないというルールの起源は、ミデアンを打倒した戦士たちへの祭司エレアザルによる訓戒に求められます。

戦いの戦利品について、エレアザルは次のように指示します。

すべて火に耐える物は火の中を通さなければならない。

そうすれば清くなるであろう。

なおその上、汚れを清める水で、清めなければならない。

しかし、すべて火に耐えないものは水の中を通さなければならない。

ここでは、料理の洗浄(禁じられた食べ物の味を消すために、火によって浄化するか、水ですすぐ)が精神的な浄化(宗教的な意味で器を清めるために水に浸ける)と一緒に議論されています。

 

金属またはガラス

このルールは金属製またはガラス製の道具に限定されています。

全てのトゥマーの範囲において、金属とガラスは最も宗教的な汚れに染まりやすい物です。

石でできた道具やその他の天然の道具は、宗教的な意味で「汚れる」ことは全く無い一方で、木製の道具は入念にデザインされ、完全に汚染を防ぐようにしなければなりません。

道具が宗教的な意味で汚染されるのは、その道具が作られたまさにその時なのです。

トゥマーとは未だ達成されていない聖なるものへの、ポジティブな運動への可能性を暗示します。

この考え方は人間の世界においてのみ通じるものではなく、自然界にも通用します。

自然は本質的にも、道徳的にも、宗教的にも中立であるものです。

強い願望を持たず、その願望ゆえのストレスにさらされることもありません。

トゥマーの概念は岩や木やその他の静物には関係がありません。

ミシュナーでは、「愛されるものほどトゥマーになりやすい」と言っています。

金属とガラスは純粋であり、私たちが望むままに溶かしたり動かしたりすることができ、人間の創造的なアイデアを示すことができるものです。

これらから作られた道具を使えば、人間の工夫の素晴らしさを存分に見せることができます。

そう考えると、これらの道具が汚染されやすいということがよく分かりますし、非ユダヤ人の道具についても、これらの道具に問題があるというだけになります。

非ユダヤ人によって作られた道具がある種の汚染を受けてしまうのは、彼らが神のイメージを欠いているからではありません。

むしろ逆です。

これまで説明してきたように、トゥマーは聖なるものとなれる可能性に立脚しているのであり、「愛されるものほどトゥマーになりやすい」のです。

非ユダヤ人もまた神の似姿に創られているのであり、全人類はただ一つの父とただ一つの母を持っています。

しかしながら、非ユダヤ人の宗教についてある種の失望を抱くのもまた事実です。

たとえ一つの神を信じることを伝道し、シナイ山の啓示を受け入れる宗教であっても、このあまりに重大な啓示の本当の衝撃と重大さを受け止めているようには思えません。

彼らはイスラエルの民への主なる神の啓示を、後代のより個人的でずっと曖昧なビジョンよりも劣後するものとしています。

賢人たちは、アガダーにおいて、この失望の別の面を説明しました。

トゥマーの決定的な要素である、未実現の聖となり得る可能性は、このような世界観においてこそ認識できるものであり、だからこそユダヤ人はより完全になろうとし、ユダヤの食べ物に神聖な背景を求めるのです。

 

本日の課題

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これまでの「タルムードと神道」の学び

タルムードと神道(1):日ユ同祖論(1)

タルムードと神道(2):日ユ同祖論(2)

タルムードと神道(3):日ユ同祖論(3)

タルムードと神道(4):日ユ同祖論(4)

タルムードと神道(5):日ユ同祖論(5)

タルムードと神道(6):日ユ同祖論(6)

タルムードと神道(7):祈りについて

タルムードと神道(8):朝の目覚め

タルムードと神道(9):朝の目覚め(日本編)

タルムードと神道(10):手を洗い清める

タルムードと神道(11):手を洗い清める(禊)日本人編

タルムードと神道(12):礼儀正しい装い

タルムードと神道(13):礼儀正しさ(日本編)

タルムードと神道(14):排泄行為

タルムードと神道(15):排泄行為(日本編)

タルムードと神道(16):祈りの清浄な場所

タルムードと神道(17):祈りの清浄な場所〈日本編)

タルムードと神道(18):祝祷の掟

タルムードと神道(19):祝祷の掟(日本編)

タルムードと神道(20):朝の祝祷

タルムードと神道(21):朝の祝祷(日本編)

タルムードと神道(22):朝の祈り前の制限事項

タルムードと神道(23):夙起夜寐(シュクキヤビ)

タルムードと神道(24):ツィツィート

タルムードと神道(25):テフィリン(前半)

タルムードと神道(26):テフィリン(後半)

タルムードと神道(27):メズザ

タルムードと神道(28):祈りの準備

タルムードと神道(29):ベイト・クネセトの聖性

タルムードと神道(30):ペスーケイ・デズィムラ(祈りの儀式を始める詩編)

タルムードと神道(31):ミニヤンと先唱者

タルムードと神道(32):シェマーとその祈りを中断すること

タルムードと神道(33):シェマーの詠唱(えいしょう)

タルムードと神道(34):テフィラー

タルムードと神道(35):アミダーの祈りへの追加

タルムードと神道(36):先唱者によるアミダーの復唱

タルムードと神道(37):埋め合わせの祈り

タルムードと神道(38):タファナン(懺悔の祈り)

タルムードと神道(39):週日のトーラー朗読

タルムードと神道(40):完全なトーラーの巻物を書くこと

タルムードと神道(41):ケドゥーシャ・ディシドラとアレイヌ

タルムードと神道(42):会葬者のカディシュ

タルムードと神道(43):トーラーを学ぶことについての法

タルムードと神道(44):☆神道と儒教

タルムードと神道(45):トーラーの巻物を書くこと、トーラーの本を得ること

タルムードと神道(46):正しい行い

タルムードと神道(47):否定的な発言を避けること

タルムードと神道(48):天のために行動すること

タルムードと神道(49):正しく体をケアすること

タルムードと神道(50):危険な行い

タルムードと神道(51):喜捨(きしゃ)の法

タルムードと神道(52):ハッラーの法

タルムードと神道(53):肉に塩を振ること

2 件のコメント

  • kyorintomo@yahoo.co.jp より:

    種類や時代により、道具に対する浄化の方法は変化するが、浄化には変わらない本質がありそうです。
    その側面の一つがウィルスと菌に対しての浄化なのかなと思いました。
    では我々が日々使っているパソコンや携帯はどのように浄化すればよいのか。
    電子機器は水に浸したり火にくべると壊れます。
    もっと進化した浄化方法が必要そうです。
    外部をアルコールなどで清潔を保ち、アクセス情報にも気を遣う必要がありそうですね。

  • 伊藤 より:

    感覚的なコメントで恐縮ですが、人工物は大自然の循環サイクルに反するため、穢れとなるのではと
    感じます。鉄やガラスだけでなく、衣食住で使われている人工物(家電製品、道路や鉄道などのインフラ、
    家やオフィスビル・・)は、地球にとっては存在悪ですね。
    未来社会は、自然に還すことができる素材による道具・インフラ・生活様式が大前提になるのではと
    想像しています。ある意味、それが「愛されるもの」につながり、それが実現すればミソギも不要になる
    のでは・・と思います。

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