タルムードと神道(49):正しく体をケアすること

病んでいる時には創造主について知ることも理解することもできないので、健康な身体を持つことは信仰の一つです。

それゆえ、「あなた方は自らから深く慎まなければならない」とあるように、身体を害するものを遠ざけ、健康と治癒とを促進するような習慣を身につけなくてはなりません。

この章にある助言のほとんどは、ラビのラムバム(マイモニデス)によるものです。

ラムバムは彼の時代において最も優れた医者の一人であり、その助言の内容は中世初期における最高の医学的知識を反映しています。

助言の多くは今でも受け入れられている医学的な意見を反映しています。

十分に食べ、かつ食べ過ぎないこと、適度な運動をし、過度の運動を慎むこと、決まった時間に食べるようにし、食事の間には食べ過ぎないようにすること、よく噛むこと、十分な睡眠時間を取り、眠り過ぎないようにすること、などです。

また、バランスの良い食事で身体の性質を調整する、食べ物と一緒に水を飲まない、のような意見は正統な医学的意見ではありませんが、伝統的な、あるいは患者の生活習慣も含めて面倒を見るような医療者に受け入れられました。

果物を食べないようにするといった、今日では全く支持されないものもあります。

ラビ・ガンツフリードは、この食事についての意見の変化を認識しており、専門家の最新の助言に従ってそれぞれの性質・場所・時代に合う食べ物を選ぶ方が良いと助言しています。

健康的な生活を送ることについて、具体的な法を設けることの重要性は、これらの法が医学の進歩に従って変わるものではあるにしても、それによって自分の健康に気を使うことに規律と規則が必要であることを意識できるからです。

身体と健康の重要性

今まで言及したような内容は一番重要なものではありません。

最も重要なのは、身体を適切にケアすることが、トーラーにおいて非常に重要な価値を持つということです。

同時にユダヤ教において、身体はそれ自体が献身の目的となるものではなく、あくまで創造主に仕えるための手段だからこそ大事にしなくてはならないものです。

ミドラーシュでは、礼拝を伴わない身体への労りを美しく描き出しています。

学生たちがラビ・ヒレルに「どこに行くのか」と尋ねたところ、ヒレルは「ミツバを実行しに行く」と答えました。

学生たちが「どのミツバを実行するのか」と尋ねると、ヒレルは「浴場に行く」と答えました。

ヒレルは、地上の王が自分の姿を清潔で威厳あるように、几帳面に気を配るのであれば、私たちは主なる神の似姿として創られているのであるから、一層自分の体に気を配らなければならないのだと説明しました。

ヒレルは、主なる神に似せられているのは固有の精神と知識の素養に限った話ではなく、身体的な形にまで及んでいることを理解していました。

同時にヒレルは、身体はただの似姿であり、真に尊ばれるべきは王たる主ご自身であることを認識していました。

ミドラッシュにおいてヒレルは、身なりに気を配り清潔にしている人は尊敬すべき人であるとしながらも、王たる主は、そのような人が主自身への敬意を欠いていれば許されないだろうと語っています。

同じように、自分の身体に対する敬意よりも、その身体の創造主に対する敬意を優先することを意識する必要があります。

ミドラッシュでは、そのミツバは家に招いた客の世話をするためのものだとヒレルは語ったとしています。

今日はこの身体に宿っているが、明日は魂の世界に帰っていく永遠の魂こそ、この世界への哀れな客人に他ならず、安らぎを与えられるべきなのだとヒレルは説明しました。

この話から、いわゆる「身体」の喜びが魂にも安らぎを与えるということを学べます。

これは実に、賢人たちが言っていることに共通しているテーマです。

例えば賢人たちは、他の楽しみが体と魂の両方を楽しませるのと違い、香りは身体ではなく魂に楽しみを与えるものである、のようなことを言っています。

熟練した職人は、自分の道具を最高の状態に保つことにも熟練しており、どのように手入れをすれば良いのか知っています。

熟練した職人はまた、自分はあくまで成し遂げた仕事によって評価されるのであり、最終的な目標を達成するためであれば、全体としては軽率に見えるとしても、自分の道具について手抜きをすることも時には必要であることを知っています。

私たちの身体は主の意志を実現するための道具であり、良い状態に保つよう努めなければなりません。

しかしまた、身体の手入れをすることは、あくまで最終的にトーラーとミツバを遂行するための手段でしかないことを覚えておかなければならず、目的と手段を入れ替えてはなりません。

精神としての物質

ここまで書いたことは、精神のしもべであり精神の衣服である「物質」に関係することです。

より深いレベルにおいて、身体がもつ精神的な重要性はこれを上回ります。

物質と精神の間にある違いとは、程度の差によってのみ捉えることができるようなものです。

カバラーの賢人たちは、物質と精神を二つに分けるものは思った以上に明確ではないと説明します。

それどころか、最も浄化されていて聖別されているものと、最も粗く物質的であるものとの間には、精神の連続性があります。

賢人たちの難解な研究結果では、身体はそれ自体がある種の、精神が著しく凝縮されたものであると説明しています。

物質が創造されて間もない頃は、今日よりも物質自体がより希薄で、精神的なものでした。

アダムとイブが罪を犯す前に知っていた「物質」というものは、今日の私たちが知る「精神」にむしろ近いものでした。

将来、物質が全て手直しされれば、再び精神と一つになるでしょう。

私たちの体を適切に鍛えることは、将来精神が完成されることに向けた一つの準備なのです。

 

本日の課題

1:今回の学びで感じたことをシェアしてください。


これまでの「タルムードと神道」の学び

タルムードと神道(1):日ユ同祖論(1)

タルムードと神道(2):日ユ同祖論(2)

タルムードと神道(3):日ユ同祖論(3)

タルムードと神道(4):日ユ同祖論(4)

タルムードと神道(5):日ユ同祖論(5)

タルムードと神道(6):日ユ同祖論(6)

タルムードと神道(7):祈りについて

タルムードと神道(8):朝の目覚め

タルムードと神道(9):朝の目覚め(日本編)

タルムードと神道(10):手を洗い清める

タルムードと神道(11):手を洗い清める(禊)日本人編

タルムードと神道(12):礼儀正しい装い

タルムードと神道(13):礼儀正しさ(日本編)

タルムードと神道(14):排泄行為

タルムードと神道(15):排泄行為(日本編)

タルムードと神道(16):祈りの清浄な場所

タルムードと神道(17):祈りの清浄な場所〈日本編)

タルムードと神道(18):祝祷の掟

タルムードと神道(19):祝祷の掟(日本編)

タルムードと神道(20):朝の祝祷

タルムードと神道(21):朝の祝祷(日本編)

タルムードと神道(22):朝の祈り前の制限事項

タルムードと神道(23):夙起夜寐(シュクキヤビ)

タルムードと神道(24):ツィツィート

タルムードと神道(25):テフィリン(前半)

タルムードと神道(26):テフィリン(後半)

タルムードと神道(27):メズザ

タルムードと神道(28):祈りの準備

タルムードと神道(29):ベイト・クネセトの聖性

タルムードと神道(30):ペスーケイ・デズィムラ(祈りの儀式を始める詩編)

タルムードと神道(31):ミニヤンと先唱者

タルムードと神道(32):シェマーとその祈りを中断すること

タルムードと神道(33):シェマーの詠唱(えいしょう)

タルムードと神道(34):テフィラー

タルムードと神道(35):アミダーの祈りへの追加

タルムードと神道(36):先唱者によるアミダーの復唱

タルムードと神道(37):埋め合わせの祈り

タルムードと神道(38):タファナン(懺悔の祈り)

タルムードと神道(39):週日のトーラー朗読

タルムードと神道(40):完全なトーラーの巻物を書くこと

タルムードと神道(41):ケドゥーシャ・ディシドラとアレイヌ

タルムードと神道(42):会葬者のカディシュ

タルムードと神道(43):トーラーを学ぶことについての法

タルムードと神道(44):☆神道と儒教

タルムードと神道(45):トーラーの巻物を書くこと、トーラーの本を得ること

タルムードと神道(46):正しい行い

タルムードと神道(47):否定的な発言を避けること

タルムードと神道(48):天のために行動すること

 

3 件のコメント

  • zipang044kwsk@au.com より:

    ここで書かれている学習は
    自分にとって特に深く刻まれる
    内容でございました。
     
    身体の重要性と、精神へのつながり
    そして、身体を清廉さを目的としないこと。
     
    全てが非常に含蓄ある内容でした。
     
    身体と主の実現への手段にすぎないこと。
     
    これはお金は自分の使命を行うことの
    手段にすぎないことと似ていると
    感じました。
     
    本日の学びを与えてくださり
    ありがとうございます。

  • kyorintomo@yahoo.co.jp より:

    脳が強いストレスを感じると胃の血流量が大きく減少するようです。この時の胃は通常よりも白っぽい色になることが確認されています。血流量の低下による酸素不足を受容器が感知して、傷みとして信号が発信されます。精神が物質に影響を与えている証拠とも考えられます。心も体も爽やかでなければいけませんね。

  • 伊藤 より:

    とても興味深いです。特に最後の5行は、感覚に訴えるものがあります。
    精神の凝縮が物質であり、古代は物質が現代よりも半物質の状態であったこと・・
    ある意味、現代は物質開発を進めるために、古代よりも物質の密度が凝固した状態なのかもしれないとも感じました。
    しかし、これからは、物質の浄化がなされ、精神との境界・区別があやふやな状態となり、正に 現実=バーチャル(意識)
    の新たな世界が展開していくのでしょう。

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