タルムードと神道(80):商売の上での公平な取引

商売を行う上では、高い水準の倫理を持たなくてはなりません。

同業者よりもあまりにも高い金額を要求すること、また他の仲間の同意なく、あまりにも安い価格で物品を購入することは禁じられています。

重さと量は常に正確に測られなければならず、売り手は顧客に対して寛容に測らなければならない。

これらのルールが重要であることは明確です。

先進国の国民は政府の幅広い消費者保護に満足を感じます。

そしてユダヤ人は、「買い手が気をつけよ」と特徴的に言っていた他の古代の法よりも、はるかに発達したアプローチをユダヤ法が採用していることを誇りに思っています。

しかしこのルールの間には、類似点と同じくらいの相違点があります。

実際、ここには商業の役割に対するアプローチの根本的な違いを見ることができます。

 

通商の目的と手段

社会における商業の役割とは何でしょうか。

最初に思いつくのは、社会における商業的な交換は、単に品物を得るためという物質的な手段であるということです。

お腹が空いたからといって、ただ木からリンゴをもぎ取って食べるわけにはいかないので、果物屋に行って商人と合意に達しなくてはいけません。

そして商人に渡すお金を稼ぐためには、今度は自分自身の雇い主か顧客と合意に達しなくてはいけません。

ですが、物質的な必要性と社会的な相互依存関係は、全く逆のものとして説明できます。

物質的な必要性を満たすための手段として商業があるのではなく、もしかしたら物質的な必要性自体が、それを満たすための社会的な交流を持つべく主によって植えつけられたものなのかもしれません。

もし私たちが、禁欲的な物に乏しい暮らしをしているのであれば、禁欲的な孤独を維持することができるでしょう。

しかし物質的な快適さを程よく楽しむためには、市場に出て行き他人と交渉する必要があります。

最終的に、他人と向き合って相互の利益となるような合意に達するのです。

これは人と人との間の壁を壊し、調和を生み出すための一つの方法です。

実際に、世俗の法において、とりわけユダヤの法において、有効な商取引を成立させるためには高度な相互理解が必要です。

なぜなら自分の所有物は(正しい方法で手に入れたものなら)、ある程度自分自身の一部になるからです。

どんなありふれた商取引にも合意が必要であり、本当の出会いと、人と人との間のギブアンドテイクが必要なのです。

このアプローチに従うと、不公平な取引が禁じられているのは、ネガティブなことを避けるため、つまり盗みに等しいような行為を防ぐためだけではなく、ポジティブなことを作り出すため、つまり双方の間に本当の繋がりと関わりを作り出すためでもあるということになります。

物質的な必要性のメリットの一つは、それによって売る、買うという行動が生まれることであるとミシュナーでも言われていることから、この考えは支持されています。

この人間同士の関わりは、これ自体が目的なのです。

この関わりに私たちを駆り立てる物質的な必要性は手段に過ぎないのです。

こう考えると、トーラーが「過剰な請求」について驚くべき言い方をしていることも説明がつきます。

後に学ぶことになりますが、「オナー」という言葉は普通「抑圧」や「苦痛」を意味します。

もし商人との公平な取引を望んでいる時に、相手が付け込むようなことをするとしたら、騙されたと感じるでしょう。

ですが、もし友人との有意義な関係を望んでいる時に、相手が付け込むようなことをしたら、苦痛を感じるでしょう。

 

良いことをして成功する

賢人たちは、誠実に重さと量を測ることは富に繋がり、騙すことは貧困に繋がると教えています。

これは、消費者保護のポピュラーな根拠である「良いことをして成功する」と呼応します。

個々の業者は公平であるという評判から利益を得て、経済全体は消費者が公平な取引が出来ているという自信を持つことで利益を得ます。

伝統的なユダヤの意見もこの考え方に言及しています。

しかし賢人たちはもう一つ別の、この考え方の流れとは異なる超越的な考えを加えています。

富を得るためには何をすべきだろうか。

それは、取引を盛んにし、公平に取引し、『銀はわたしのもの、金もわたしのものである』とあるように全ての富の持ち主たる主なる神に慈悲を乞うことである。

このモチーフは以前にも見たことがあります。

結局、物理的な富は私たちの勤勉さや賢さによって得られるものではなく、ただ主の恵みとして得られるものだということです。

公平な取引によって富が得られるのは、物理的な理由ではなく精神的な理由です。

つまり、主の意志に沿う行いをすることによって、私たちの生活に主の恵みがもたらされるということになります。

 

本日の課題

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これまでの「タルムードと神道」の学び

タルムードと神道(1):日ユ同祖論(1)

タルムードと神道(2):日ユ同祖論(2)

タルムードと神道(3):日ユ同祖論(3)

タルムードと神道(4):日ユ同祖論(4)

タルムードと神道(5):日ユ同祖論(5)

タルムードと神道(6):日ユ同祖論(6)

タルムードと神道(7):祈りについて

タルムードと神道(8):朝の目覚め

タルムードと神道(9):朝の目覚め(日本編)

タルムードと神道(10):手を洗い清める

タルムードと神道(11):手を洗い清める(禊)日本人編

タルムードと神道(12):礼儀正しい装い

タルムードと神道(13):礼儀正しさ(日本編)

タルムードと神道(14):排泄行為

タルムードと神道(15):排泄行為(日本編)

タルムードと神道(16):祈りの清浄な場所

タルムードと神道(17):祈りの清浄な場所〈日本編)

タルムードと神道(18):祝祷の掟

タルムードと神道(19):祝祷の掟(日本編)

タルムードと神道(20):朝の祝祷

タルムードと神道(21):朝の祝祷(日本編)

タルムードと神道(22):朝の祈り前の制限事項

タルムードと神道(23):夙起夜寐(シュクキヤビ)

タルムードと神道(24):ツィツィート

タルムードと神道(25):テフィリン(前半)

タルムードと神道(26):テフィリン(後半)

タルムードと神道(27):メズザ

タルムードと神道(28):祈りの準備

タルムードと神道(29):ベイト・クネセトの聖性

タルムードと神道(30):ペスーケイ・デズィムラ(祈りの儀式を始める詩編)

タルムードと神道(31):ミニヤンと先唱者

タルムードと神道(32):シェマーとその祈りを中断すること

タルムードと神道(33):シェマーの詠唱(えいしょう)

タルムードと神道(34):テフィラー

タルムードと神道(35):アミダーの祈りへの追加

タルムードと神道(36):先唱者によるアミダーの復唱

タルムードと神道(37):埋め合わせの祈り

タルムードと神道(38):タファナン(懺悔の祈り)

タルムードと神道(39):週日のトーラー朗読

タルムードと神道(40):完全なトーラーの巻物を書くこと

タルムードと神道(41):ケドゥーシャ・ディシドラとアレイヌ

タルムードと神道(42):会葬者のカディシュ

タルムードと神道(43):トーラーを学ぶことについての法

タルムードと神道(44):☆神道と儒教

タルムードと神道(45):トーラーの巻物を書くこと、トーラーの本を得ること

タルムードと神道(46):正しい行い

タルムードと神道(47):否定的な発言を避けること

タルムードと神道(48):天のために行動すること

タルムードと神道(49):正しく体をケアすること

タルムードと神道(50):危険な行い

タルムードと神道(51):喜捨(きしゃ)の法

タルムードと神道(52):ハッラーの法

タルムードと神道(53):肉に塩を振ること

タルムードと神道(54):食事の道具を水に浸すこと

タルムードと神道(55):非ユダヤ人が整えた食べ物

タルムードと神道(56):食事の前に食べること

タルムードと神道(57):☆儒教と神道を合体させた理由

タルムードと神道(58):パンを食べるために手を洗うこと

タルムードと神道(59):パンをちぎること

タルムードと神道(60):食事の間の振る舞い

タルムードと神道(61):食事中に祝祷を必要とする食べ物

タルムードと神道(62):食後の祈り

タルムードと神道(63):ツィムーン

タルムードと神道(64):禁止された食べ物

タルムードと神道(65):非ユダヤ人のワイン

タルムードと神道(66):焼かれた食べ物についての祝祷

タルムードと神道(67):ワインについての祝祷

タルムードと神道(68):食事の前の祝祷

タルムードと神道(69):結びの祝祷

タルムードと神道(70):食べ物についての祝祷

タルムードと神道(71):果物のジュースと野菜のゆで汁

タルムードと神道(72):中心となる食べ物と従属する食べ物

タルムードと神道(73):食べる前の祝祷の順番

タルムードと神道(74):正しく唱えられなかった祝祷

タルムードと神道(75):追加の料理についての祝祷

タルムードと神道(76):香りについての祝祷

タルムードと神道(77):喜びと悲しみについての祝祷

タルムードと神道(78):自然の驚異についての祝祷

タルムードと神道(79):特別な助けに対する感謝とその助けを求めること

1 個のコメント

  • kyorintomo@yahoo.co.jp より:

    自分さえ良ければという考えはいけませんね。
    だからといって自分の商品を赤字で売るのも違うと思います。
    金を得る=神の慈悲
    ということですね。これまでの学びをあらためて思い出しました。

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