タルムードと神道(59):パンをちぎること

キツール・シュルハーン・アルーフでは、一つの章が丸ごとパンをちぎることの法に当てられています。

どの塊から始めるか、どのようにパンを持つか、パンのどの部分を最初に取るか、どのくらいの大きさにちぎるか、どのように列席者に配るか、などを学ぶことができます。

これだけ詳細な記載は、イザヤ書の「すべて支えとなる」ものとしてのパンの重要性を示します。

「ハッラーの法」で、パンは人間特有の食べ物であることを説明しました。

文化的にもパンは最もシンプルな食べ物であり、「すべて支えとなる」ものです。

最低限の生存に必要な食べ物は「パンと水」と言われるように、パンは最低限度の食べ物と見なされています。

しかし技術的には、パンは最も複雑な食べ物です。

他の作物と同様、耕し、種を蒔き、刈り取ることが必要な上に、脱穀し、もみ殻を吹き分け、挽かなければなりません。

それから生地を作るために、こねて、膨らませて、焼くことで、やっとパンが出来上がるのです。

この工程のいずれも欠かすことはできません。

パンが基本的な食べ物であるということ自体が、人間の文化的、技術的レベルの高さを如実に表しているのです。

人間である以上、最もシンプルであることでも、実はシンプルではないのです。

トーラーは人間の文化的な地位を認識しており、人間の尊厳はユダヤ法の価値を凌駕します。

しかし、トーラーはそれだけに止まりません。

それどころかミツバは一貫して、ただの尊厳を聖なるものに高めるよう要求しています。

パンに注目すると、この要求をはっきり理解するこができます。

パンは食べ物一般の象徴です。

ヘブライ語と同様に、英語でも「bread」という言葉は拡張されて全ての食べ物を意味します。

なので、物質的な求めを聖別する必要性が強調される場所としては自然です。

加えて、そのような高度な食べ物によって基本的な必要を満たしている限り、パンはまた人間が技術的、文化的に洗練されていることを象徴します。

このことから、私たちの経済的な活動を聖別する必要性が強調されるのは自然な流れです。

このテーマは、この法とパンを食べる方法に特別な注意が払われていることを説明しており、この章で言及する特定の法と慣習を理解する助けとなります。

 

ハモツィ・レヘム・ミン・ハアレツ

パンについての特別な祝祷は、ハモツィ・レへム・ミン・ハアレツ、すなわち「祝福されるのはあなた、地上からパンをもたらしてくださる方」である。

タルムードでは、単にモツィ・レヘム・ミン・ハアレツ(「地上からパンをもたらしてくださる方」)と唱えるよりも、こちらの正式版を好ましいとしています。モツィ・レヘム・ミン・ハアレツは過去についてのみ感謝している(「もたらしてくれた方」と言っているようなもの)のに対し、ハモツィ・レへム・ミン・ハアレツは現在についても感謝を表しています。

ある特定のパンをもたらしてくれたことを感謝するだけでなく、自然の豊かさを末永く司る主なる神が、これからも宇宙に恵みを与えてくださることについても感謝しなくてはなりません。

 

中断しないようにすること

祝祷の前に小さな切れ目を入れておくのが良い。
そうすれば、祝祷の後に可能な限り早く食べ始められる。

祝祷と食事の間のわずかな時間を惜しむために、なぜこのような努力がいるのでしょうか。前述の通り、ユダヤ法の教育は抽象的ではなく具体的です。

神の導きが及んでいることを意識する感覚は、啓発的なテキストを読むことによってではなく、食事の度に祝祷を唱えることで植え付けられるのです。

そうすることで、私たちの精神は環境から切り離されることなく、それどころか、環境に結びつけられることになります。

世俗的で汚染されているように見える世界に隠されている聖なるものに、私たちは繋げられているのです。

それゆえに無目的な祈りを唱えることは厳しく禁止されています。

つまり、実際に何かを飲んだり食べたりしないときに、祈りを口にしてはならないのです。

そうした祈りは、神との出会いと私たちが世界で経験することの間に断絶をもたらしてしまいます。

トーラーの使命はそれらを一つにすることであるにもかかわらずです。

私たちは、目の前にあってこれから楽しもうとしている特定の食べ物について祈りを唱えます。

こうすることで、主への称賛が個人的な経験と結びつきます。

この結びつきを出来るだけ強く直接的にするために、食事と祈りの間を出来るだけ空けないように苦心するのです。

 

10の指と10のミツバ

パンは10本の指全てを使って掴まなくてはならない。

10の指は、パン作りの工程において実践される10の戒律に対応している。

これらのミツバを調べてみると、パン作りにおける様々な工程に対応していることが分かります。

この10個の中には、畑を耕す間は動物を混ぜて共に働かないこと、種蒔きに際しては種を混ぜて使わないこと、収穫の時には見捨てられた束を残すこと、脱穀の間は動物に口輪を付けないこと、もみ殻を吹き飛ばしてサイロに集めた後のテルマー(十分の一税)、生地を捏ねた後のハッラーが含まれます。

祈る時にパンに10本の指を置くことは、深く力強いメッセージとなります。

最もシンプルなレベルとしては、これらの様々な工程と私たちを結びつけることになります。

現代的な生活の中では食物との距離が遠くなりがちで、これらの10の工程をよく知っていた昔の農夫とは違い、現代の平均的な消費者はこの一つでも知っていることはまれです。

この動作はこうした乖離に対する解毒剤として作用し、私たちとパン作りの工程を結びつけてくれます。

しかしより深い観点では、これらの工程への結びつき方自体が重要です。

これらの工程はただ単に技術的な工程として私たちに関わりを持つのではなく、むしろ、これらの工程に対応する、ごく普通の行為を聖別するような法を通して関わるのです。

10本の指が私たちの体と魂を全ての物質的な土台に結びつけ、一方でそれに活力を与えるような膨大な精神のポテンシャルに私たちを目覚めさせてくれます。

 

あらゆる生贄は塩とともに捧げられるものであるため、食卓を聖なる祭壇に見立てることを強調するためには、パンをちぎる時に食卓の上に塩を用意するのが良いとされます。

このよく知られた見立てには、一見矛盾しているように見えますが、実際には重要な洞察へのキーとなるものが含まれています。

私たちは、テーブルを祭壇に見立てるために塩をテーブルに置きます。

生贄によって、世俗的な食べ物が神へと供されるものになり、全能なる神の儀式に捧げられる物質になるのです。

祭壇に置かれる塩自体の理由を考えると、矛盾が生じてきます。

その理由はまさに、祭壇がテーブルに似ているからだと言うのです。

私たちは主に対して、選りすぐりのもの、望ましいものだけを供し、塩が振られていない肉を含めずに尊厳ある人間の食べ物だけを供するのです。

神殿の祭壇に捧げられる食べ物には、パン、適切に屠畜された肉、ワイン、油といった、人間の栄養のための主食となるものが含まれます。

これらの基本的な食べ物を主に捧げることで、私たち自身が食べるものもまた主への捧げ物であることを強調するのです。

私たちは自分の楽しみのためにパンを食べ、ワインを飲むわけではなく、そうすることでそれらを神のための儀式の一要素に引き上げているのです。

そうであってもやはり、捧げ物は、私たちが楽しんで食べられるような形にして捧げます。

塩を振って、調理して捧げるのです。

食べることについての私たちの尊厳と喜びは法に則っているというだけではなく、それらが神に捧げられる限り、神聖なものでもあるのです。

今日、私たちには祭壇がありませんが、テーブルに塩を置くことで、聖なる祭壇と、祭壇が持つメッセージを思い出すことができます。

私たちの物質的な求めは文化的に洗練されたやり方で果たされなければなりませんし(味がついていない食べ物は食べない)、そうすることがより向上した精神的な品行につながるのです。

 

本日の課題

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これまでの「タルムードと神道」の学び

タルムードと神道(1):日ユ同祖論(1)

タルムードと神道(2):日ユ同祖論(2)

タルムードと神道(3):日ユ同祖論(3)

タルムードと神道(4):日ユ同祖論(4)

タルムードと神道(5):日ユ同祖論(5)

タルムードと神道(6):日ユ同祖論(6)

タルムードと神道(7):祈りについて

タルムードと神道(8):朝の目覚め

タルムードと神道(9):朝の目覚め(日本編)

タルムードと神道(10):手を洗い清める

タルムードと神道(11):手を洗い清める(禊)日本人編

タルムードと神道(12):礼儀正しい装い

タルムードと神道(13):礼儀正しさ(日本編)

タルムードと神道(14):排泄行為

タルムードと神道(15):排泄行為(日本編)

タルムードと神道(16):祈りの清浄な場所

タルムードと神道(17):祈りの清浄な場所〈日本編)

タルムードと神道(18):祝祷の掟

タルムードと神道(19):祝祷の掟(日本編)

タルムードと神道(20):朝の祝祷

タルムードと神道(21):朝の祝祷(日本編)

タルムードと神道(22):朝の祈り前の制限事項

タルムードと神道(23):夙起夜寐(シュクキヤビ)

タルムードと神道(24):ツィツィート

タルムードと神道(25):テフィリン(前半)

タルムードと神道(26):テフィリン(後半)

タルムードと神道(27):メズザ

タルムードと神道(28):祈りの準備

タルムードと神道(29):ベイト・クネセトの聖性

タルムードと神道(30):ペスーケイ・デズィムラ(祈りの儀式を始める詩編)

タルムードと神道(31):ミニヤンと先唱者

タルムードと神道(32):シェマーとその祈りを中断すること

タルムードと神道(33):シェマーの詠唱(えいしょう)

タルムードと神道(34):テフィラー

タルムードと神道(35):アミダーの祈りへの追加

タルムードと神道(36):先唱者によるアミダーの復唱

タルムードと神道(37):埋め合わせの祈り

タルムードと神道(38):タファナン(懺悔の祈り)

タルムードと神道(39):週日のトーラー朗読

タルムードと神道(40):完全なトーラーの巻物を書くこと

タルムードと神道(41):ケドゥーシャ・ディシドラとアレイヌ

タルムードと神道(42):会葬者のカディシュ

タルムードと神道(43):トーラーを学ぶことについての法

タルムードと神道(44):☆神道と儒教

タルムードと神道(45):トーラーの巻物を書くこと、トーラーの本を得ること

タルムードと神道(46):正しい行い

タルムードと神道(47):否定的な発言を避けること

タルムードと神道(48):天のために行動すること

タルムードと神道(49):正しく体をケアすること

タルムードと神道(50):危険な行い

タルムードと神道(51):喜捨(きしゃ)の法

タルムードと神道(52):ハッラーの法

タルムードと神道(53):肉に塩を振ること

タルムードと神道(54):食事の道具を水に浸すこと

タルムードと神道(55):非ユダヤ人が整えた食べ物

タルムードと神道(56):食事の前に食べること

タルムードと神道(57):☆儒教と神道を合体させた理由

タルムードと神道(58):パンを食べるために手を洗うこと

2 件のコメント

  • zipang044kwsk@au.com より:

    日本の文化である
     
    「いただきます」
     
    「ごちそうさま」
     
    の意味が分かったような気がします。
     
    また、全ての普通の行為を
    神聖な行為へと引き上げていくことは
    神道の「全てのものに神が宿る」に
    繋がるのかと思いました。
     
    深い学習の提供
    ありがとうございました。

  • kyorintomo@yahoo.co.jp より:

    神との繋がりを日常で意識しているか?ともし問われると恥ずかしながらYESとは言えません。
    何かのアクションを起こすときは、祈りを忘れないようにします。
    ふと思ったのですが、これまで神と近づく方法は質素でシンプルになることだと考えてましたが、実は逆だったのでは?というような気がして来ました。

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