シャバットの丸三日前以降は、船に乗り込んではいけない。
唯一の例外はミツバを実践するために旅をする場合である。
リショーニーム(中世初期の学者)はこの禁止事項についていくつかの理由を挙げています。
それぞれの理由はハラハーに影響を与えており、それぞれに教育的な洞察を含んでいます。
1.シュルハーン・アルーフ(要約ユダヤ法典)ではラビ・アルファシの説明に言及しています。
すなわち、海の旅の不快感を克服するには船の上で三日かかることから、船旅で具合が悪い人はシャバットを思いのままに過ごすというミツバ(オネグ・シャバット)を果たすことができないというものです。
この説明は、シャバットの休息を心から楽しむことの重要性を強調しています。
よく食べ、追加的な休養を取るという行動だけでは不十分で、実際に楽しむことが必要なのです。
2.ラビ・ゼラヒア・ハレヴィは、海上における船乗りは定常的に生死に関わる状況に直面しているので、普通は禁じられている労働に従事せざるを得ないことが問題だと結論付けています。
他の権威たちは、ある程度以上遠くに旅をしてはならないという制限(テフミン)に関連付けています。
そうであってもやはり、週の早い段階で出航すれば許容されるのです。
この区別は、シャバットに続く三日間は前のシャバットに属し、シャバットの前の三日間は次のシャバットに属するということに基づいています。
この説明は、シャバットがユダヤ人の生活の中心にあるということを示しています。
一週間を通して、前のシャバットの輝きの恩恵に浴しているか、または次のシャバットの準備をしているのです。

ミツバを目的として旅をすること
ミツバを目的とするのであれば、たとえ金曜日であっても出航することができる。
ミツバ自体が目的では無く、その準備のためであっても同様である。
多くの場所で賢人たちはミツバについて、しっかり準備をすることの多大な重要性を強調しています。
ミツバを行う途上にある人は外部からの害から守られます。
シナゴーグへ歩いて向かう人はその距離に対して特別な恩恵を受けます。
多くの場所でミツヴァの準備(ヘクシャ・ミツバ)は、ここでもそうですが、ミツバ自体と同様の許容度を持っています。
ラシは、神の当初の計画では「木の味はその実と同じになるはずだった」と書いています。
一つ可能な説明としては、目的のために手段に全力を注ぐことは、目的自体を達成したのと同じ満足感をもたらすというものです。
これは実際その通りです。
私たち人間にできることは、最善を尽くすことのみです。
その努力が成功するかどうかを決めるのは主なる神なのです。
私たちはできることを全てやったことを知ることで満足すべきなのです。
最後に、トーラーは、地上には木のような味がする果物の木が生えることを教えています。
私たちは、結果を評価して手段を軽視しがちです。
しかしながら、ミツバを達成するための手段に特別な地位が与えられていることは、神の世界の当初の理想的な計画に同調しています。
本日の課題
1:今回の学びで感じたことをシェアしてください。
これまでの「タルムードと神道」の学び
タルムードと神道(30):ペスーケイ・デズィムラ(祈りの儀式を始める詩編)
タルムードと神道(41):ケドゥーシャ・ディシドラとアレイヌ
タルムードと神道(45):トーラーの巻物を書くこと、トーラーの本を得ること
タルムードと神道(79):特別な助けに対する感謝とその助けを求めること
多くのラビの解釈が勉強になります。なぜそうなのか?というのを考えるクセは大切ですね。耳が痛い言葉もしっかりと受け止めて前進します。