タルムードと神道(99・100):運ぶというメラハーと四つのシャバットの領域

シャバットに所有地から所有地へ物を運ぶこと、または公共の場所において4キュビト(約2メートル)運ぶことは禁じられている。

物を所有地から所有地へ動かす「運ぶ」という労働は、全てのメラホートの中でもっとも重要でないもののように思われます。

実際、初期の注釈者の中にはこれを「低位の労働」と呼んでいる人もいます。

結局、物に対しては何も為されておらず、ただ場所が変わるだけなのです。

さらに言えば、多くのユダヤ人は私有地と私有地を繋ぐエルヴのあるところに暮らしているので、物の移動が許容されますから、他のメラハーほどこれを気にしてはいません。

しかし、この「低位の」メラハーは大変な注意を引きつけています。

タルムードのシャバットの項は運ぶことについての法に始まり、その三分の一はこの労働のために割かれています。

また、エルヴィーンの項全体のテーマでさえあります。

またこれらの法はシュルハーン・アルーフのシャバットについての部分の約三分の一を占めています。

そしてブラツラフのラビ・ナタンは、運ぶことについて禁止事項には39のメラハー全てが含まれていると書いています。

それでは、この法に含まれている特別なメッセージを確認してみましょう。

 

シャバットにおける領域の考え方

トーラーの法によれば、領域には三つの種類があります。

個人の領域:レシュ・ハヤフィド(一人の領域)として知られる

公共の領域:レシュ・ハラビム(多くの人の領域)として知られる

誰にも属さず、領域ではない領域:メコム・ペツール(例外的な場所)と呼ばれる

賢人たちはこれに四つ目の分類を加えました。

開かれた場所:これはトーラーの法によれば除外されているが、中間的な領域と考えられ、カーメリットとして知られる

そして二種類の運搬が禁止されています。

それは、個人の領域と公共の領域にまたがる運搬と、公共の領域の中での4アモート(約2メートル)以上の運搬です。

 

個人の領域と公共の領域にまたがる運搬

「一人の領域」は自然に「ただ一つの神の領域」を暗示し、世界のうちで聖なるものに属する部分を示します。

「多くの(人の)領域」は自然に、分割されて隔てられた領域を暗示し、世界のうちで神のただ一つであらんとする試みの影響が限定され、多神を崇拝する異教の信仰が可能な部分を示します。

ただ言葉の上で似ているだけではありません。

個人の領域である家は、私たちが作り、守ることができ、容易く神の住まいとすることができる場所です。

公共の領域である道路は、私たちが他の人と共有する場所です。

共有する相手のほとんどはそれに値する人々ではありますが、誰でも入ることができるということから、この場所は邪なものが自由に振る舞う場所の象徴となっています。

 

道徳的な価値を測る労働

ですからこれらの領域においてものを運ぶことは、私たちの生活における体験に道徳的な基準を当てはめることを象徴します。

何かを個人の領域から公共の領域に移すことは、特定の特性や意見が私たちの個人としてのあり方を害するもの、相応しくないものであることを象徴します。

これは、多くの人の領域に追放する必要があります。

何かを公共の領域から個人の領域に移すことは、かつては拒絶していた考え方を取り入れることに対応します。

このような象徴的な理解においてさえ、「低位のメラハー」であるという見方をしたくなってしまいます。

本当の意味での主にお仕えすることとは、実際にポジティブな何かを行なってネガティブな誘惑と戦うことだと考えがちです。

運搬がメラハーであると考えられているという事実は私たちに、世界をより良くするためのどんなに困難な仕事も場合によってはその目的は何かを変えることではなく、その対象を評価し、そもそも何が正しくて何が正しくないのかを決めることであることを教えています。

しかし、シャバットは休息の日です。

世界を修繕する日ではなく、それが将来完成することを展望する日なのです。

そのような日には、いかなる運搬も許されません。

 

公共の領域内における運搬

この説明に基づけば、他の運搬についての禁止が持つ難解な象徴的意味についても理解することができます。

公共の領域内で4歩以上物を運ぶことについてです。

公共の領域の中で一つの場所から別の場所に物を移すだけのことに、どんな修繕の営みが含まれているのでしょうか。

高名な初期の注釈者であるラビ・ゼラヒア・ハレヴィは、4歩で行ける範囲はその人の個人の領域のようなものであるというハラハーの原則を引き合いに出してこの疑問に答えています。

この原則は獲得についての法(自分のごく近くに落ちたものは、自分個人の土地に落ちたものであるかのようにこれを獲得する)、後で学ぶシャバットの制約についての法、それとハラハーの他の多くの部分に関係しています。

つまり、公共の領域の中で4歩分運搬することは、実際には個人の領域と公共の領域をまたいで運搬することと同じということになります。

ここで扱ったメタファーに基づいて、ラビ・ナタンはこの法的な考えを精神的な分野に拡張しています。

たとえ邪な力と分断にさらされている領域であるレシュ・ハラビムを通り過ぎる時であっても、高潔で神聖なミニチュア版の環境を自分だけの空間として保つことができるというのです。

私たちの神の似姿の神聖さは拡張し、広げることができるものなので、雑多な公共の大通りにあっても精神的な飛び地を作ることができるのです。

 

様々な領域の大きさ

個人の領域と公共の領域では範囲が異なる。個人の領域は「天に届く」ほど広がりを持つが、公共の領域は手幅にして10(約1メートル)ほどしかない。

先ほど説明したメタファーを考えれば、分割し、切り離す力の及ぶ範囲(多くの人の領域)には限りがあることが分かります。

この力はその性質そのものから、地位が低いものなのです。

反対に、私たちが自分だけの空間を確保してこれを主に捧げ、「ただ一つの領域」にすることで、これは空まで伸びることになり、私たちの可能性は天まで届くのです。

手幅の10という数字は、全体性と完全さを表します。

腐敗の力はその固有の領域では影響力を持ちますが、その外では何の力もありません。

同じ理由から、個人の領域は公共の領域から少なくとも手幅にして10離す必要があります。

そうすることで、私たちが死と腐敗の力が蔓延る世界とは全く違う世界に生きていることを示すのです。

 

カーメリットという混合の領域

トーラーの法によれば、きちんと囲われた個人の領域、あるいは本式の公共の大通りに当たらないものは、領域ではない。

これは免除された場所である。

この中で物を運んだり、ここを通って他の領域に運び出すこと、また運び入れることはできる。

しかし、古のラビの命令は、この寛容な性質を公共の領域の中のわずかな例外的な範囲だけに制限している。

広大な開かれた場所は、個人の領域と公共の領域に対する制限を大まかに共有する中間的な性質を持つ場所、カーメリットであると考えられる。

賢人たちは、この領域と個人の領域、公共の領域をまたぐ運搬が自由に許されてしまったら、人々がこの領域と他の領域を混同してしまい、またあらゆる運搬が許されるものと考えてしまうことを危惧しました。

聖なる領域と、邪なものが自由にアクセスできる領域に並んで、広い中立的な場があります。

この開かれた空間は、高潔さを養うための住居に囲まれるかもしれませんし、あるいは汚れから守られていない場所であれば幹線道路が作られるかもしれません。

言い換えれば、義務でもなければ禁じられてもいない、また良いものでも悪いものでもない、ただ許されているだけの人間の行為のための広大な場なのです。

この第三のカテゴリーである「中立的な」行為が、物を動かすことを道徳上の評価の象徴と見る先ほどのメタファーにどのように当てはまるのか考えてみます。

公共の領域がネガティブな道徳上の評価に対応し、個人の領域がポジティブな評価に対応しているとしたら、例外的な場は保留された評価に対応していると言えるでしょう。

保留された評価は本来的にいかがわしいものではなく、トーラーの法は例外的な場への運び入れと運び出しを自由に許容しています。

しかし、ここには特定の疑わしいケースにのみ慎重に適用されるべき保留の評価がその範囲を広げ、広範囲における道義的な責任の放棄に繋がってしまい、正しいこととそうでないことの区別ができなくなる危険があります。

このことは、例外的な場の濫用が最終的には運搬への禁止全体を無視することに繋がることを恐れているラビの命令に対応しています。

そうであっても、保留の評価が適当で良識的であるケースも限定的ではあるにせよ存在するので、ラビの法に従ったとしても小さな例外的な場は引き続き例外であることができます。

時々よく考え、評価を見直すことが適切ですが、自分の中にある評価の枠組全体は容易に知られることのないようにすべきです。

 

本日の課題

1:今回の学びで感じたことをシェアしてください。


これまでの「タルムードと神道」の学び

タルムードと神道(1):日ユ同祖論(1)

タルムードと神道(2):日ユ同祖論(2)

タルムードと神道(3):日ユ同祖論(3)

タルムードと神道(4):日ユ同祖論(4)

タルムードと神道(5):日ユ同祖論(5)

タルムードと神道(6):日ユ同祖論(6)

タルムードと神道(7):祈りについて

タルムードと神道(8):朝の目覚め

タルムードと神道(9):朝の目覚め(日本編)

タルムードと神道(10):手を洗い清める

タルムードと神道(11):手を洗い清める(禊)日本人編

タルムードと神道(12):礼儀正しい装い

タルムードと神道(13):礼儀正しさ(日本編)

タルムードと神道(14):排泄行為

タルムードと神道(15):排泄行為(日本編)

タルムードと神道(16):祈りの清浄な場所

タルムードと神道(17):祈りの清浄な場所〈日本編)

タルムードと神道(18):祝祷の掟

タルムードと神道(19):祝祷の掟(日本編)

タルムードと神道(20):朝の祝祷

タルムードと神道(21):朝の祝祷(日本編)

タルムードと神道(22):朝の祈り前の制限事項

タルムードと神道(23):夙起夜寐(シュクキヤビ)

タルムードと神道(24):ツィツィート

タルムードと神道(25):テフィリン(前半)

タルムードと神道(26):テフィリン(後半)

タルムードと神道(27):メズザ

タルムードと神道(28):祈りの準備

タルムードと神道(29):ベイト・クネセトの聖性

タルムードと神道(30):ペスーケイ・デズィムラ(祈りの儀式を始める詩編)

タルムードと神道(31):ミニヤンと先唱者

タルムードと神道(32):シェマーとその祈りを中断すること

タルムードと神道(33):シェマーの詠唱(えいしょう)

タルムードと神道(34):テフィラー

タルムードと神道(35):アミダーの祈りへの追加

タルムードと神道(36):先唱者によるアミダーの復唱

タルムードと神道(37):埋め合わせの祈り

タルムードと神道(38):タファナン(懺悔の祈り)

タルムードと神道(39):週日のトーラー朗読

タルムードと神道(40):完全なトーラーの巻物を書くこと

タルムードと神道(41):ケドゥーシャ・ディシドラとアレイヌ

タルムードと神道(42):会葬者のカディシュ

タルムードと神道(43):トーラーを学ぶことについての法

タルムードと神道(44):☆神道と儒教

タルムードと神道(45):トーラーの巻物を書くこと、トーラーの本を得ること

タルムードと神道(46):正しい行い

タルムードと神道(47):否定的な発言を避けること

タルムードと神道(48):天のために行動すること

タルムードと神道(49):正しく体をケアすること

タルムードと神道(50):危険な行い

タルムードと神道(51):喜捨(きしゃ)の法

タルムードと神道(52):ハッラーの法

タルムードと神道(53):肉に塩を振ること

タルムードと神道(54):食事の道具を水に浸すこと

タルムードと神道(55):非ユダヤ人が整えた食べ物

タルムードと神道(56):食事の前に食べること

タルムードと神道(57):☆儒教と神道を合体させた理由

タルムードと神道(58):パンを食べるために手を洗うこと

タルムードと神道(59):パンをちぎること

タルムードと神道(60):食事の間の振る舞い

タルムードと神道(61):食事中に祝祷を必要とする食べ物

タルムードと神道(62):食後の祈り

タルムードと神道(63):ツィムーン

タルムードと神道(64):禁止された食べ物

タルムードと神道(65):非ユダヤ人のワイン

タルムードと神道(66):焼かれた食べ物についての祝祷

タルムードと神道(67):ワインについての祝祷

タルムードと神道(68):食事の前の祝祷

タルムードと神道(69):結びの祝祷

タルムードと神道(70):食べ物についての祝祷

タルムードと神道(71):果物のジュースと野菜のゆで汁

タルムードと神道(72):中心となる食べ物と従属する食べ物

タルムードと神道(73):食べる前の祝祷の順番

タルムードと神道(74):正しく唱えられなかった祝祷

タルムードと神道(75):追加の料理についての祝祷

タルムードと神道(76):香りについての祝祷

タルムードと神道(77):喜びと悲しみについての祝祷

タルムードと神道(78):自然の驚異についての祝祷

タルムードと神道(79):特別な助けに対する感謝とその助けを求めること

タルムードと神道(80):商売の上での公平な取引

タルムードと神道(81):圧迫的な言葉と他人を欺くこと

タルムードと神道(82):禁じられた食べ物を事業で扱うこと

タルムードと神道(83):禁じられた金利についての法

タルムードと神道(84):融資におけるパートナーシップ上の許容

タルムードと神道(85):誓約と誓い

タルムードと神道(86):旅行者の祈り

タルムードと神道(87):午後の祈り

タルムードと神道(88):夜の祈り

タルムードと神道(89):夜の行い

タルムードと神道(90):シャバットの聖性

タルムードと神道(91):シャバットに非ユダヤ人によって為された仕事

タルムードと神道(92):シャバットの前に船に乗ること

タルムードと神道(93):シャバットの明かり

タルムードと神道(94):シャバットの祈り

タルムードと神道(95):キドゥーシュ

タルムードと神道(96):シャバットにおけるトーラーの朗読

タルムードと神道(97):預言書の一部を読むこと(ハフタラー)

タルムードと神道(98):シャバットに禁じられている労働

コメントを残す