誰もが暗い心を誤魔化している

八田です、

前回では、どうすれば煩悩をそのまま
喜びに変えることができるのか?

という質問で終わりました。

そもそも、本当の苦しみの根元は
一体何なのでしょうか?

煩悩が喜びの種になってしまうということは、
モノが欲しいと思う「欲の心」は、
苦しみの根元ではないということです。

では、苦しみの根元は一体何なのか?

それは、「無明の闇」という心だと
仏教では教えられています。

この「無明の闇」をなくすことができれば、
本当の幸福になれるらしいのです。

では、「無明の闇」とはどんなものなのか?

「無明」とは、明かりがないということなので、
暗いという意味です。

「闇」も暗いことを意味しますので、
暗い心のことを意味します。

寂しい、虚しい、孤独、不安…
あなたも、こういう気持ちに
なったことがあると思います。

これは「無明の闇」そのものではありませんが、
無明の闇から出てくる陰のようなものです。

本当の意味で満たされない、
何となく冷めていて、虚しい心。

人それぞれ違う世界に住んでいて、
自分のことを理解してくれる人がいない孤独な心。

この暗い心を見たくないから、
人それぞれが、色々な明かりをつけるのです。

その灯りが、お金だったり、スポーツだったり、
音楽や恋人、友達、地位、名誉だったりします。

なぜなら、この灯りがあれば、
暗い心を忘れていられるからです。

そう、楽しいことに没頭することで、
暗い心を忘れようとするのです。

しかし、楽しければ楽しいほど、
それが終わった時の寂しさは大きくなります。

テレビの最終回は楽しみだけど、
見たら終わってしまったら虚しさが残ります。

今の若者はどうか分かりませんが、
私と同じ年代の人なら誰もが
子供の頃、経験したと思います。

毎週土曜日は、
「明日は日曜日で学校が休みだ。
明日は何して遊ぼうかな?」
と考えるだけでウキウキ気分。

そして、翌日。

たっぷり遊んで、夕方になって
家に帰り「ササエさん」を見る。

サザエさんを見るのは楽しいけど、
エンディングとともに、
「また、明日から学校かぁ」
と憂鬱になる。

そして毎週これの繰り返し…

毎週日曜日の夕方は、
言いようのない寂しさがありました。

そうではありませんでしたか。

こうした感じで、友達といる時は
暗い心を忘れていられても、
1人になると暗い心がやってきます。

暗い心を持っていないように見える人でも、
それは何かで誤魔化しているだけで、
実は皆んな暗い心を持っているのです。

そして、どんな人であっても、
もっとまっ暗な心に直面する時が必ずきます。

本当の苦しみの根元…
明かりが全部消えるとき…

それが「死ぬ時」なのです。

次回は、この「死」についてお伝えします。

 

最後までお読みいただき、
ありがとうございました。

八田 芳雅

 

追伸:
前回、「天地開闢」についての動画を
プレゼントしましたが、
ご覧いただけたでしょうか。
https://xn--u9ju32nb2af11g.net/eftvvkgnidxe/pugmzvi5zean/

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