お金の暗号:(7)伝統(後半)

ギリシャ哲学の多くの学派は、『全ての物質的な問題に欠陥がある』という信念を持っていました。

そしてたくさんのギリシャ哲学のコンセプトはクリスチャンの教義に組み込まれていきます。

聖書が貧困を教えているという信念がキリスト教徒の中に組み込まれ、そしてキリスト教とは、その信念を裏付けるように取れる一節を探し、文脈から外してその信念を強化しています。

お金に関する否定的な見方は一般的です。

『金持ちは嘘つきだ』
『お金を欲しがるのは霊的ではない』
『お金は諸悪の根源だ』
『GODとお金に同時に仕えることは出来ない』

等々…このようにお金をネガティブなものとして考えるようになる人は、どのような人であっても裕福になることはないでしょう。

アメリカの詩人、ラルフ・ウォルド・エマーソンは、「人はその人が1日中考えてる通りの人間になる」と述べています。

 

お金は諸悪の根元ではありません。
お金は誰がそれを使用しているか、そしてどのように使用されているのかに応じて、善または悪のために使用される中立的な物質です。

「人々を愛し、お金を使うこと」は全ての人類のモットーになるべきです。

人々を愛する人が富を獲得すれば、その人は気前よく提供することができます。

結局のところ、お金は人々に衣食住を提供します。
しかし、他の何にも勝るほどにお金を愛すると問題になります。
そしてこの状態は貧困の中にある人ほど引き起こしやすくなり、不正な行動や努力でお金を手に入れようとしがちになります。

つまり、真実は貧困こそが問題なのです。

ハシディズムのの哲学では『貧困は犯罪を引き起こす』とされています。
貧困は人々が生き残るために、普段はしないことまでさせることがあります。
貧困は売春、麻薬取引、暴力、殺人の原因にもなります。

人々に最も誤解を引き起こしやすい聖書の一節は、キング・ジェームス・バイブルの下記の言葉から来ています。

マモンとGOD両者に仕えることはできない

マモンとは貪欲をさし、擬人化されて神格として扱われ地獄の7大君主の一人とされることもあります。

人々が人生を通じてお金のために一生懸命働いていると、それは自分たちのためにお金を稼いでいるというよりは、マモンに仕えていると見なされるのです。

その生涯をお金のためだけに熱心に働く人は、お金の奴隷と言えるかもしれません。

人々は住宅ローンで住宅を購入し、ローンを組んで高級車を購入し、それらを維持するために一生をかけて働かなくてはなりません。

お金の奴隷を回避する鍵となるのは、一定期間(3年から10年)だけ寝食を忘れるほど懸命に働き、豊かな富を創造し、そして人生に受動的な収入をもたらす賢明な投資を通して、お金に働かせることです。

怠惰な人間よ、アリから学びなさい。アリのやり方を学び、賢くなりなさい。

彼らは冬の食料を蓄えるために、夏の間ずっと一生懸命働いている

冬になると、もうアリは食料を集めませんが、アリたちは自分たちが必要なたくさんの食物を蓄えています。

これと同じように、多くの起業家はビジネスや組織を構築する最初の数年間、非常に懸命に働きます。
それこそ24時間中、週7日働いています。

そして、一度彼らのビジネスや組織が構築されると、その会社を売却し、非常にたくさんの利益を手にし、そのお金でパッシブインカムを得られる投資先に投資します。

そして彼らは時間を手にし、そこからスピリチャルな追求、教育、寄付、潜在能力の開発、家族を増やし育むこと、創造、イノベーションなど、より重要な高次元のものを追求することに時間を当てていきます。

人生にとって仕事以上に大切な価値のあることがあります。

例えば、人々はなぜ、子供をこの世に産み、そして子供を他の人に育てさせるのでしょうか。

子供達は自分たちの両親の1日中の注目と愛が必要であるにも関わらずです。

人間は非常に大きな潜在能力や精神的可能性を持っていますが、完璧にそれらを引き出すことは決してありません。時間がないからです。

発明家やクリエイターは傑作を作るのに時間がかかりますが、完成するまでは収入を得られません。

社会に大きく貢献することは、全ての人間の究極の目的ですが、しかしこれらは日々生活のために働いている時間とは別の時間を要求されます。

ドイツの小説家ゲーテはこのように述べています。

エネルギーは全ての土台です。

全てのユダヤ人はそれがどんな些細なことであったとしても、いくつかの決心を行い、そして目標をすぐに追求することにコミットします。

これが地球で最も普遍的な伝統を受け継いできた民族です。

多くのユダヤ人の究極の目標は、自分達の潜在能力を最大限に引き出すための学びに時間を集中して注ぐことができる経済状況や富を作り出すことです。

ラビのエラザル・ベン・アザリアは、「お金なくして、学びなし」と述べています。

ラビはさらに、「人々のお腹が満たされ、満足している状態でない限りは、人々は学ぶことができない、スピリチュアルな成長もない、良い仕事もできない」と続けます。

ユダヤ人は自分達の家族の面倒を見るため、そして助けが必要な人を援助するために、お金持ちになることに高い価値を持っています。

また同時に、GODに頼ることの重要性と、所有物に強く執着することを避ける重要性を理解しています。

タナハにおけるアドバイスは明確です。

心を尽くして主を信頼しなさい。

あなた自身の理解に頼ることをしてはなりません。

主はあなたの道の全てを存じられています。

そして主はその道を円滑に進めるように整えてくださいます。

貧困を善良で望ましいと考えるキリスト教徒とは異なり、ユダヤ教では一般に貧困を否定的に考えています。
ユダヤの聖典では、不当かつ重い足枷であると記述されています。

タルムードでは、「貧困は自分の家に50人のペスト患者がいるよりも悪い」と書かれています。

そしてユダヤ教は貧困を「無意味な苦しみ」と考え、タナハには「貧困の人々にとっての毎日は苦役である」とあります。

タルムードでは、「貧しい人は死んでいると考えられている」とまで書かれています。

ユダヤの人々は自分自身を助けることができない、あるいは、他の人を助ける余裕のない人は、何も成し遂げることができないということを知っています。

科学者のジャック・シュワルツは、「『出エジプト記』の隠喩は、初期の頃からユダヤ人のことを避けようとする人のことである。
ユダヤ人の希代な成功を妬んでいるのである。」と述べています。

たくさんのユダヤ人が成功へと辿り着く最も重要な要因は、ユダヤ人は決して他人によって諦めさせられることはないということです。

ユダヤ人は歴史を通して憎まれ、妬みの対象となってきましたが、彼らは成功し続けています。
なぜなら、彼らは他者の意見に惑わされることがないからです。

政治家のロバート・G・アレンは次のように述べています。

平凡な人の意見に惑わされれることを許してはならない。

夢を持てば、平凡な人はあなたをクレイジーだと考える。

成功すれば、平凡な人間はあなたを幸運だったと考える。

富を獲得すれば、あなたを強欲だと考える。

彼らに注意を払うのをやめなさい。

彼らは簡単に言えば、それらが理解できないのだ。

 

本日の課題

1:あなたはお金持ちや貧困に対してどのようなイメージを持っていましたか?
あなたやあなたの家族が持つ、潜在意識のイメージを教えて下さい。

2:あなたは「あなたがお金持ちになる許可」を自分自身に出すことはできますか?
もしその許可を出すことができなければ、あなたがお金持ちになった後に、世のため、人のために使うと決め、少額でもいいので、コンビニの募金箱に寄付をして、その一歩を踏み出して下さい。
潜在意識が許可を出せるようになるまで、このコンテンツを何度も繰り返し学んで頂いても良いかもしれません。

3:ミツバを引き続き学び、一つ一つ実行していきましょう。また、『旧約聖書』を引き続き学んで下さい。

4:今回の学びで感じたことをシェアしてください。


これまでの「お金の暗号」の学び

お金の暗号:(1)コードが隠されている場所

お金の暗号:(2)『旧約聖書』に従うことで豊かな人生が築ける

お金の暗号:(3)宗教が資産構築に影響を与える

お金の暗号:(4)知性(前半)

お金の暗号:(5)知性(後半)

お金の暗号:(6)伝統(前半)

3 件のコメント

  • kyorintomo@yahoo.co.jp より:

     以前は悪いことをしないと大金持ちにはなれないと思っていました。童話や昔話をよく聞かされたせいか清貧というマインドセットを自ら心に刻んで来たのだと思います。
    これまでコンテンツを学ばせて頂いて、志事が私の目標になりました。私事、仕事だけの人生では意味がない。また私利私欲のみで生きることほど空しいものは無いと思います。私の夢はちょっと大きすぎて言うのが恥ずかしいのですが、天照大神の「シラス国」を取り戻す事です。

  • 伊藤 より:

    裕福と貧困は、優越感と劣等感というイメージでした。
    「人を愛し、お金を使うこと」とは、究極の想念状態ですね。本当の利他愛実践に徹したとき、富は与えられるのですね。
    あと、起業家の成功までのパターンも、アリからの学びでとても理解できます。
    ユダヤ民族の成功は、一人ひとりの決心と実践の積み重ねが民族全体の蓄積となって現象化したものだと感じます。
    私もまず、自分ができる決心と実践から取り組んで行きます。

  • ユウキ より:

    小さい頃から、読書が好きだったので昔話をよく読んでいました。
    大体の話が、人に迷惑を掛けたり心がひねくれている悪い人間が罰せられて(貧困になる)、逆に人を助けたり心の綺麗な良い人間が報酬(裕福になったり幸せになったり)を受け取るといった物だったので、そういうイメージがあります。

    また、これは高校生の頃にテレビで、5億円ぐらいのランボルギーニを見て思ったことです。
    5億円というのは、サラリーマンや公務員の給料では手の届かない額です。
    つまり、学校→就職というのはお金を得る効率が非常に悪い道なのではないかと感じました。
    5億円のランボルギーニを買えるお金持ちの人は、効率が非常に高い道を見つけて歩めた人で、逆に一般人よりも貧困な人は道無き道を歩んでしまっているのだと思います。

    今度とも学ばせていただきます。
    よろしくお願いいたします。

  • コメントを残す